2007年04月04日

久しぶりの同窓会



11年前の話だが。96年3月から1ヶ月あまり南西アフリカツアー「ジャズピアノ+島唄」明田川庄之(ピアノ)佐山雅弘(ピアノ)愚生とツンダラーズ・屋嘉部充、山里ゆき、金城実(沖縄うた・三線)コンサートを企画プロデュースした澤井夫婦が久々に来沖。読谷村に立派な家を建てた平井さん(当時ツアーマネジャーだった)の家に新築祝いも兼ね昨夜は(2日)集合した。

平井さんの家は読谷残波ロイヤルホテルのちかくでロケーションもすばらく環境もいい。
オキナワ移住して夫婦でよくここまでがんばったね。
まずは新築おめでとう!


読谷の酒と奥さんの美味しい手料理を舌鼓しながら思い出話は弾む・・・・

アフリカ・ジンバブエに到着初日からトウモロコシ畠にいき、コンサート会場に行くバス賃が無いから聞けない農夫達に沖縄のうた・三線音楽の反応も試したく畠道ライブは初日から盛り上がり、凄いことになった。また アパルトヘイトのあったソエット地区に入り、子供達と一緒にライブとカチャーシーしたことや、セネガルからゴレ島(奴隷を集める小島)に渡り、金城実さんが徐に三線を取り「屋嘉節」を歌うと、通りすがりの現地の人が耳をすまして「ナイス・スピリチャ~ル!」といってくれた。沖縄の島歌の魂を分かってもらえた。ポスターのサブタイトルも「魂」だった。ツアーの答えが出たようでスタッフ一同みんな喜んだ。

沢山ハプニングもあったけど、機会があれば、
いつか紹介したいと思います。


また澤井さんがジンバブエ公演&ワークショップを共演した指琴(ンビーラ)ミュージシャンのムジュールさんが4年前亡くなられたと報告があった。

↑実際ムジュールさんから頂いた指琴

ムジュールさんと云えば公演前に子供が誕生して、嬉しさのあまりに会場に連れてきました。子の名前を我々と共演する記念にと「オ・キ・ナ・ワ」と命名したそうだ。「ムジュール・オキナワ」いい名前だね~! 「可愛い~!」の連発。みんなで交互に抱き合いました。

オキナワちゃん!もう大きくなっているでしょうね
ムジュールさんのご冥福をお祈りしたいと思います。


アフリカ南西ツアーは本当の意味で国際交流を果たし素晴らしいツアーであった。まだまだアフリカツアー同窓会の話はつきないが・・・
また機会があったら集まろうね  
Posted by 大工哲弘 at 02:08

2006年12月20日

慣山あやぐ・歌碑めぐり

公演の翌日は朝から宮古島観光で楽しんだ。
元々コースに入っていなかったのですがバスの運転手にお願いして昨年城辺のイムギャーに建立されたと云う「なりやまあやぐ」の歌碑に寄って貰った

宮古でもっとも親しまれている島唄と言えば誰しも「なりやまあやぐ」と答えるであろう


1、サー なりやまや なりてぃぬなりやますみやま すみてぃぬすみやま
イラユマーン サーヤヌ すみてぃぬすみやま
<私たちは馴れ親しんだ仲、馴れた山でも心を許してならない>

2、サー なりやま参(んみゃ)いてぃ なりぶりさまずな主(しゅ)すみやま参(んみゃ)いてぃ すみぶりさまずな主
<夫よ、行き慣れた山だからといって甘く見てはなりません>

3、サー 馬(ぬま)ん乗(ぬ)らば 手綱(たづな)ゆゆるすな主(しゅ)美童(みやらび)家(や)行き心ゆるすな主
<馬に乗るなら手綱を緩めてはならない、まだ付き合ったばかりの美童の家に行って心を許してはいけない>

4、サー 馬(ぬま)ぬ美(かぎ)さや 白さどぅ美(かぎ)さ美童(みやらび)美(かぎ)さや 色(いる)どぅ美さ
<馬の美しいのは白馬で娘は色白いのが美人と言われている>

サー ぶり押(ゆ)し波(なん)や 笑(あま)いどぅ押(ゆ)しずばんぶなりゃ 笑(あま)いどぅ迎(んか)い
<寄せ来る波は愛らしい娘が笑っているかのように我を迎えてくいるようだ>・・・・だけど優しい海・山でも美しい娘も時には恐ろしいことに成りかねないので万事気を付けよ、自然の怖さと「親しき中にも礼儀あれ」人生の教訓を問いている。八重山の「でんさ節」沖縄の「てぃんさぐぬ花」を人呼んで3題教訓歌として知られるようになった。


最近はカラオケでも大抵の人が口ずさむほどポピュラーな「なりやまあやぐ」の歌碑前で会員全員が大合唱をした。バスガイドさんも始めての経験と感激しておりました。

歌碑を訪れたことにより親しみを感じ、なりやまあやぐが益々好きになった会員が多くなったに違いない。
大いに歌い継ぎたい歌である
有意義な2日間でした。
  
Posted by 大工哲弘 at 01:27

2006年12月14日

民謡で今日拝なびら

琉球放送の人気民謡番組「民謡で今日拝なびら」15:00~16:00(月~金)が今年で45周年を迎えたということで今週はお出かけ出前放送を各地を廻り公開生放送を行なっています。


12月11日(月) 司会:上原直彦
名護市・JAファーマーズマーケット2階ホール
ゲスト:でいご娘・田場盛信・吉田康子
アシスタント:末吉りえ
12月12日(火)
宮古島市・JAおきなわ宮古地区本部2階ホール
ゲスト:金城実・山里ユキ・仲宗根豊・平良重信
アシスタント:和泉ゆかり
12月13日(水)
石垣市・大川公民館
ゲスト:金城実・山里ユキ・通事克重・野原政俊・黒島弘・大浜安則
アシスタント:金城ひろみ
12月14日(木)
宜野湾市・JAおきなわ宜野湾支店会館(ジュビランス)
ゲスト:ザ・フェーレー(松田弘一・徳原清文・波田間武雄・松田末吉)
大工哲弘・大工苗子
アシスタント:末吉りえ
12月15日(金)
豊見城市・JAおきなわ豊見城支店2階ホール
ゲスト:神谷幸一・神谷幸裕・玉城一美
アシスタント:末吉りえ
12月16日(土)那覇市・RBCホール
ゲスト:宮良康正・国吉源次・津波恒徳・女三人花じゃかい(山里ユキ・金城恵子・饒辺勝子)・崎間麗進・八木政男・名嘉睦稔
アシスタント:末吉りえ

放送日時
●12月11日(月)~15日(金)
 第1部 15:00~16:00(再放送24:00~25:00)
●       〃          
第2部 19:00~20:00
●12月16日(土)12:00~15:00(特番)

民謡番組が45年も続くのは凄いと云う他に無いと思います。
絶対他県の放送局には無い文化だと沖縄の民謡に関わって自負をしております。

長寿番組で愚生が知っている範囲では永六輔さんの「誰かと何処かで」というTBSラジオ番組がおそらく45年を越えている(正確には何年?)番組があるが それ以外はおそらく無いと思う? 

「民謡で今日拝なびら」が1961年スタートした当時は「お国言葉で今日拝なびら」として芝居役者達がパーソナリティーを勤め流暢なウチナーグチで番組を進行。
その役者達が地方巡業のときピンチヒッターとして登場したのが上原直彦氏でディレクター兼パーソナリティーとして番組を支え今日に至るという歴史がある。


↑「琉球放送50年史」より

上原さんがレギュラーになって八重山の歌、宮古の歌、奄美の歌を番組に多く流すようになると沖縄民謡ばかり聞いていたリスナー達は「意味が分からない民謡はかけないで欲しい」とお叱りもあったそうですが・・・
上原氏は「分からないから聞いてもらいたい」と突っぱねたそうです。
今は 宮古・八重山・奄美の歌は確実に市民権を得て多くの人に親しまれていますが、
勿論 先輩達の歌い手やプロデューサー・放送局の支えもあって こんにち島唄が隆盛を極めているものだと信じています。

担当の上原氏は「まだ道半ば」と言っています。
これかも益々健康に留意され 50年・100年(ちょっと無理か?)と記録を伸ばしてください。


「皆様へ感謝の意を込めてお届けします・・・」と上原直彦氏の司会から始まる「民謡で今日拝なびら」45周年スペシャルウィークデーは各地で盛り上がっています。
いよいよ今日 宜野湾では愚生とザ・フェーレーが登場します。  
Posted by 大工哲弘 at 00:54

2006年09月29日

守口と音楽

守口・門真ジャズフェスティバルでのこと。守口市に、すごっ旨いイタリアンレストラン「MOGAJOGA」で前夜祭ミニライブを演った。

共演者は高岡大祐tubaを代表に池田安友子per :登敬三ts(baira con dios)と約2時間の演奏をすると云うのは分かるが、何分 開演2時間前にメンバーとは初対面。直前に予め演奏できそうな音源を高岡さんに送っては置いたものの、スゴク不安・・・でも そこがプロミュージシャンなのでしょう。即 譜面を起こしリハーサル。パーカッションの池田さんは本番途中参加、即興を心情としているジャズも顔負けと言うくらい見事 ♪安里屋ゆんた、お富さん、てぃんさぐぬ花、さよなら港、やしの実、雨降りお月さん、生活の柄 他を演奏出来 開店前から入っていた多くのお客を喜ばすことができた。

ミニライブ後は翌日のサンヨー本社(ネットカフェ)での本番演奏曲確認もでき、小心者の愚生も すっかりメンバーと溶け込み、マスターが準備してあった泡盛を交わしながら音楽のハナシが弾んだ。 愚生がこれまで共演した関島岳郎や梅津さんなど他のミュージシャン等とも 当然だが皆な仲間で繋がっていて嬉しかった。

チュバの高岡さんから音楽の話題とは別に教えて貰ったミニ知識・・・
守口の町は京都から大阪(高麗橋)まで繋がる京街道がある。街道沿いの家々は懐かしく昔を偲ばせてくれる。(レストラン沿いの家々もそうであった)


何気なしに見ていた街道の古い家の1階屋根の横に梁のような白い壁はある家と無い家がある。その白い壁が「うだち」と云って『ウダツが上がらない』という語源は これから来ているそうで。「出世ができない、身分がパットしない」富裕の家でないと「うだち」を上げられない。から転じていると教えてもらった。
昔の人はウダチを上げれるように一生懸命がんばったそうだ。 

「目から鱗が落ちる」である
たいへん勉強になった。

高岡さんありがとう!!

街道は物資も運ぶが人をも運んでくれる。そして勿論 音楽をも運んでくれた。
守・門(もりかど)ジャズフェスティバルで 素晴らしいミュージシャンとも“繋げ”てくれた。 

また 共演奏(baira con dios)と酒も飲みたいね 

愚生は まだまだ 音楽の道一筋に究めたいと決めて まだ5ヶ月
人生 まだ「道ナカバ」

これから愚生もウダツを上げれるようにがんばります。  
Posted by 大工哲弘 at 01:34

2006年03月22日

今週末ライブ



生まれて初めて滋賀県堅田にいきます。


■「春一番・島唄一番」ツアーライブ
■3月24日(金)
■オープン18:00 スタート19:00
■滋賀県大津市 堅田5丁目16-18 ライブハウス ハックルベリー
■¥3,800
■077-574-1022


■「春一番・島唄一番」
■3月25日(土)
■オープン18:00 スタート19;30
■大阪市旭区高殿4-4-21 沖縄料理ハイビスカス
■¥4,000(ワンドリンク付)
■06-4254-5253
完売したそうです。

■「春一番・島唄一番」
■3月26日(日)
■オープン17:00 スタート18:00
■大阪市北区天神橋5-5-19 奄美料理ティダ
■¥4,000(ワンドリンク付)
■06-6881-3639

完売したそうです。
ありがとうございました!

どうぞ よろしくお願いします。  
Posted by 大工哲弘 at 01:42

2005年12月22日

出てきたLP盤

今年も後10日を残すのみとなりました。
今日は冬至です。
寒中お見舞い申しあげます!

先日正月に向けて棚を片付けていたら、お宝の2枚組LP盤が出てきた。
75年に京都の円山公園野外音楽堂で開催した『琉球フェスティバル‘75』夜桜コンサートのライブ盤だ。
(先にディスコグラフィを閲覧しましたが近日中にまたkuwaくんが残り多くを追加します、乞うご期待!)

琉球フェスティバル‘75は4月1日にセッティング、「春」京都では綺麗な桜満開を想定して「夜桜」と名を打って屋外で強行したものの、予測に反して桜は2部咲き、おまけに当日の気温が1度から2度、経験したことない寒さで凍え三線のツボ処もわからないくらいでブルブル震えながら歌ったのを覚えている。

出演者も寒ければ勿論 お客も皆な防寒着を頭からスッポリ被り完全武装状態。75’当時ですから沖縄の民謡は京都にもまだまだ浸透していなくて集客には大分苦労したみたいだ。それを知った故竹中労氏は友人が多かった京都東映撮影所の職員に動員をかけさせ多くの升席を埋めさせたお陰で公演は盛り上がった。寒かった公演後の打ち上げで美味しく食べ体を温めた京都名産「湯豆腐」の味がいまだに忘れられない。

翌日 公演のお礼をと東映撮影所に皆でいったとき、当時 人気TV時代活劇「銭形平次」の親分・大川橋蔵さんと一緒に記念撮影をした。古いね~世代を感じるなぁ~


琉球フェスティバル‘75春
~夜桜コンサート/沖縄情歌行~
京都・円山公園屋外音楽堂ライブ
1975年 4月1日録音

side A
①滝落とし~
かじゃでぃ風
②前田節
③二見情話
④裏座小
⑤二才小バーチー
⑥紺地小
■大城美佐子
■知名定男

side B
①伊良部トーガニー
②御船の主
③根間ぬ主
④桃里節
⑤山崎ぬあぶじゃーま
⑥月ぬ真昼間節
⑦とばるま
■国吉源次
■大工哲弘 

side A
①恋の花
②恋語れ
③片想い
④今帰仁天底節
⑤十九の春
⑥西武門節
■嘉手刈林昌
■大城美佐子
■知名定男
■久場洋子

side B
①南洋小唄
②おぼろ月
③加那よー
④六調
⑤七月エイサー
⑥唐船ドーイ~嘉手久
■知名定男
■大城美佐子
■大工哲弘
■嘉手刈林昌
■嘉手刈林次

■太鼓:八木正男 
■鳴り物・囃子:北島角子  久場洋子

近いうちディスコグラフィーのレコード盤音を大工ネットに開放したいね。  
Posted by 大工哲弘 at 00:25

2005年12月18日

幸太と琉芸文の発表会

伊藤幸太が沖縄国際大学在学生最後の「琉球芸能文学研究会」の発表会に行ってきました。

場所 うるま市民劇場 響きホール
時間 午後18:30分
客入り満席

公演の構成は「陽春の宴」「稔りの秋に」「綾布の想い」「海のわざ」「野にいきる」と5つの場面をスピーディに展開して、綱引き口説や木綿花、魚売りの踊り創作振り付けも面白かった。
今回 地謡(じかた)を中心に担当 また独唱「夏花」ありで大活躍の幸太くんであった。

(写真は三線教室の安次富)

なんと言っても今回の公演のために幸太くんが「木綿花」を作詞・作曲したことは特筆される。


♪木綿花咲かりょうり 雪の花 咲かりょうり
読み美らさ 織りとうし 積む美らさ 織りとうし
月移つち あかいず羽 星添えてぃ 綾羽

曲想も単調で布さらしの雰囲気にあっていた。

昨年の発表会からして 一年間では相当みんな磨きがかかり
演舞や地謡(じかた)の調弦や声も息があい演出・構成もよかったです。
なによりもこのような立派な発表会が出来たのも顧問の狩俣恵一先生や各担当の先生方のご指導があったからこそ成し得た業です。多謝!

最近 県立芸大の発表会や琉球大学・八重山芸能発表会、そして今回の沖縄国際大学「琉芸文」を観ても分かるように沖縄伝統芸能を学ぶ若者が増えているように思う。とってもいいことだ。しかし いつも思うことだが、その盛り上がりは在学中のみに留めないで 学生時代で学んだスーパー芸や沖縄の肝心を大事に育て卒業しても 是非 地域、社会、職場に活かして欲しいと願うものである。


中学校の頃から愚生と文通し東京ライブの際は追っかけていた幸太くん、おとなしく静かな雰囲気で「沖縄で本格的に三線を勉強したい!」輝いている目つきからオーラを感じたのを覚えている。
そして とうとう沖縄の大学に入学、東京の和光小中学校から沖縄平和学習を取り組んでいた幸太にとっては現実に普天間基地隣接の沖縄国際大学で学業、昨年の夏校内に米軍のヘリ墜落事故をまざまざと見せられ、理不尽な基地問題を実感した。そんな政治的難問とは裏腹に悠久なる伝統芸能は連綿と受け継がれてまさに息吹かって元気だ。どちらもオキナワ現状を幸太は沖縄に来て身をもって学んだのである。昨夜は公演終了後「沖縄に来てよかったね」と声をかけてあげた。「はいっ」目涙 言葉にならなかった。
東京・町田のご両親も喜んでいることでしょう!
幸太くん 4年間お疲れさんでした。

幸太は卒業後沖国大の院生に入るそうです。
また厳しい歌の稽古がまっているよ~

♪ 想む事ん叶てぃ 歌ぬ花咲かち
  卒業ぬ花し  芸ぬ道ゆ すらし賜り  
Posted by 大工哲弘 at 01:06

2005年12月05日

競演の島うた

昨日『第3回競演の島歌』大会がありました。

会場は佐敷町文化センター・シュガーホール

主催:沖縄県南部連合文化協会
共催:琉球新報社、沖縄県文化協会、佐敷町教育委員会、佐敷町文化協会


脈々と受け継がれている島歌を新しい時代に継承されるよう、各民謡協会のコンクールとはまた違った雰囲気で日ごろの技術を磨いたヤカラ者達が集い歌の勝負(スーブ)しようというイベント。

選考委員には

宮城鷹夫・沖縄県南部連合文化協会名誉会長
金城実 ・琉球民謡協会会長
金城建蔵・琉球民謡音楽協会
上原正吉・前川流寿の会会長
新崎松秀・琉球民謡伝統協会会長
宮城武硯・琉球民謡本部理事
宮良康正・八重山古典民謡保存会顧問
来間武男・在沖宮古民謡協会会長

以上の先生方で審査が行われた。

出場者曲順

1、とぅばらーま
2、とぅばらーま
3、伊良部とうがに
4、懐かしき故郷
5、片想い
6、じんだま
7、伊良部とうがに
8、恋の花
9、たゆい
10、下千鳥節
11、中筋ぬヌベーマ
12、美童島唄
13、ハンタ原
14、とうがにすーざー
15、物知り節
16、安里屋節
17、小浜節
18、瓦屋情話
19、下千鳥節
20、伊良部とうがに
21、歌の道
22、梅の香り
23、とぅばらーま
24、とうがにあやぐ
25、とぅばらーま
26、染なし節
27、どぅなんすんかに
28、伊良部とうがに
29、ヤッチャー小
30、瓦屋情話
31、夏花
32、物知り
33、ナークーニ
34、多良間ションカネー
35、豊年音頭

以上35名のエントリー者(1名棄権)で競われたが出場者の中でも最年少者(11歳女の子)安里屋節を歌った琉球民謡音楽協会所属(知念イチエ)さんのお弟子が見事チャンピオンになった。
残念ながら我がやいまうた会教室の代表二人(有馬と屋嘉部)は及ばずながら力不足でした。

初年度が20名、昨年が26名、今年が35名と出場者が年々増えている。
プログラムの曲順を見ても分かるように順番と曲目だけが記されてある。
名前を書かずに所属・会派・出身地を伏せて唄だけ聴いてもらって審査するというもっともシビアなコンテストである。

客席の後ろから何名か聞かせてもらったが、マイクは設置してあるが、あくまでもモニター用で会場には音響されていない(もともとはクラシック専用のホール)そのため声が後部席までハッキリ聞こえない出場者が多かった。そんな会場はどうしても八重山・宮古民謡が有利だ。

それにしても出場者35名の枠はあまり多すぎる。
午後1時に始まった大会は午後5時30分に終了という長丁場のイベントとなった。
出場者が多ければ予選会などして30名くらいに絞るとか

また 審査中出場者への気配りか?会場へ「私語は慎んでください~」というアナウンスが何度も連呼され 耳障り、一度いえば判るのに、お客さんは出場者を盛り上げようと有料で応援しに来場しているのだから・・・ 逆に観聴客へも気配りして欲しかった。

まぁ意見はそれくらいにして  いずれにしても島唄者を育てようと南部連合文化協会が主催となり各協会と連携しながら競演の島うた大会も3回目まで続いた。
さぁ来年は どんな島唄のツワモノ達がシュガーホールに集合するのだろうか?今から楽しみである。
是非 近い将来 我がネットからのチャレンジも夢見ている。  
Posted by 大工哲弘 at 23:25

2005年11月27日

個人レッスン

愚生が師匠から歌を習っているころは録音機などというのはなかった。(世に出ていたと思うが買う金もなかった)
短い稽古時間に師匠の声と節回しをヒタスラ復声をしようと懸命だった。

しかし最近は録音(レコーダー)機械の発達は目覚しい進歩だ。
オープンリール式からカセット、DAT、CD、MD,はたまたデジタルレコーダー・HDDレコーダーと開発され日進月歩で進化を遂げている。

歌を覚えるに遠隔であればある程便利な録音機械は活躍する。
イチ音とも聞き逃すまいと録音された歌音に縋りつきネット諸君はすごく勉強熱心だ。
今年も実施された各地区特別出張稽古の際でも愚匠の歌を記録しようと多種な録音機はフル回転する。

どうしても大勢の出張総合稽古では細かい箇所は勉強できないということで 態々沖縄に足を運んで個人レッスンを授けにくる情熱的なネットのメンバーが今年から増えた。
大阪の○吉くん、○野、○○ねぇ、福岡の○木さん、青○くん、札幌の○橋さん、名古屋の○谷くん、東広島の○口さんや「ブカラス三線クラブ」・・・(漏れている方がいればゴメン)

昨日と今日(26・27日)大阪三線クラブの○野くんの3回目の個人レッスンがありました。

回を増す毎にいろんな意味で大きな成果がみられた。
当然といったら当然だが、テープレコーダや近代の録音機では教われない『面授・口訣』という奥義も授ける大切な師弟関係の空間が個人レッスンを通して生まれるからである。

レコーダが発達し時代と共に稽古の仕方や継がれ方に変遷はあるにしても面授によって歌から学ぶ肝心や歌門上は大切だと思う。(そこでは愚生の出張稽古も含む)

定着しつつある個人レッスン、来春早々大阪からの予約が4名ほど入った。
元気で迎えられるためにも愚生が 月並みの言葉ではあるが まず健康でいよう!
今年を回顧するには まだ早いが、振り返りながらつくづく思った。  
Posted by 大工哲弘 at 21:01

2005年11月19日

お土産

モハメッド・ブリ君が2週間ブリにチュニジアから帰って来た。
「テクノロジーのチュニジアと日本文化セミナー」がチュニジアで開催されブリ君も特別参加し「能への誘い」と題して講演、最後は「安里屋ゆんた」「てぃんさぐぬ花」「なりやまあやぐ」歌って会場を和やかにしたそうだ。

その活躍ブリはもう立派な沖縄文化大使だね。

前回のチュニジアの帰国お土産は水煙草(ウォーターシガレット)を持ってきてくれたが、
今回は どんな土産を持ってくるのだろう~期待していたら

なんと! 三線をもって来てくれた。

これが また型や組み合わせや音もしっかりしていて
ナカナカいい 沖縄の下手な三線屋で買う三線よりずっといいです。 

彼が滞在中にチュニジアの楽器屋さんに御願いして地元の材料を使い特別に製作させて貰ったそうだ。

弦はチュニジア楽器のウード弦を使い、棹は地元の木なのだけど、木の名前は分らないそうです(木の硬さもなかなかいいです)

ティーガ~(手掛け・胴のカバー)も地元の刺繍で綺麗です。


さて問題は胴の張り皮ですが?
実は魚の皮だそうだ。「どんな魚だったの?」名前が分らないので
黒板に図を書いてもらった。

以前 大工ネット交流板で東京のえり姐が沖縄は昔アバサー(針千本)の皮で三線を張っていたという証言を聞いての質問があったが、答えようと三線屋にいろいろ聞いてみたが、実証は得られなかった。

絵図からしてエイの仲間でしょうね?

チュニジアでも魚の皮で張れるのだから、キット沖縄にもあったものだと期待が持てた。これからも粘り強く聞いてみよう。

最近沖縄三線は以前からフイリッピンや東南アジアから製作輸入していますが、コストがあえばこれから十分チュニジアということも考えられると思った。

ブリは明日第9回芸能チャリティー公演(那覇市民会館大ホール・昼の出演)チュニジア三線でトゥバラーマ・デンサー節を歌います。  
Posted by 大工哲弘 at 18:34

2005年11月10日

ヨロンと与論

与論(ヨロン)島に「ヨロン今昔」という情報誌がある事を
知ったのは我が教室の○田くんから貰ってからである。

その情報誌に与論島歌CDが付録として付いている。
歌は高田英光さん、声からして60歳の半ばと聞こえるが・・・
素朴ですごくいい

1、デンサー節
2、ニゾヨイカナヨイ
3、イヨーヨーサー

デンサー節はご存知八重山の歌であるが、完全にヨロン風デンサーになっているのが面白い。
♪デンサー節なれんち 大宮 通ゆてぃ はいた打つ転げてぃ膝わいきょうち デンサースーリーデンサー
<デンサー節習うために 大宮通って間違えて転び膝を怪我してしまった。
♪忘れたんちん うとぅじゃ ヤバナ嫁なるな 
 大宮ぬバンタ 登いぬちゅらさ
<忘れても友よ 上の集落に嫁に行くなよ 大宮の坂道は登るのきついよ>

大宮の坂道は登っても良いですよ 想う人さえ 縁があってからは・・・と最後は人の縁を大切にしようという内容ですが。

ニゾヨイカナヨイも宮古のクイチャ~に似ている
イョーヨーサーは沖永良部の子守唄に似ている

それからすると昔の島人たちの方が盛んに文化交流をされていたのだなぁ~と実証される島々の歌である。

先日ヨロン今昔の社長に会うことができた。社長と言ってもすべて一人で編纂している、いわば
ワンマン編集長兼社長という元気なオキさんは来年早々自分の子供出産相談の為奥さんと共の来沖だった。
まだ若干22歳という若い典型的ヨロン青年である
伝統芸能の継承や島が観光の島としての将来性等等
いろいろ話を伺えてうれしかった。

沖縄本島最北端の岬、辺戸岬からは晴れた日に与論島が見えて近い島なのに意外と交流がないのは不思議である。
これからどんどん交流をしなくては思い年2回発行の情報誌「ヨロン今昔」を購買することにした。
今回 沖くんとヨロン献奉(けんぽう)が出来なかったのは残念だったけど 次会は是非5献奉したいと思っている。トートゥガナシ ありがとう!!  
Posted by 大工哲弘 at 16:55

2005年09月05日

糸満第1回とぅばらーま大会予選会

昨日(4日)糸満第一回とぅばらーま大会の予選会が糸満中央公民館で13:00~16:30まで
緊張感と和やか雰囲気で行われました。

当初申し込み者は20名越えれば良しと考えていたのが なんと最終締め切り8月31日まで46名と
なり、予選会をする運びになってしまい。本選枠も20名から24名と4名増やした。

↓予選会始まる前の出場者と応援団。


我が教室からはY嘉部、A馬、Mブリ、若狭からH拓実くんが出場し見事予選を通過しました。
また仕事の都合で予選会出場できなかった申し込み者はテープ審査され勤労ホーム(毛遊びクラブ)のY増くんも予選合格した。おめでとう!

                                          拓実くん

予選会の審査は愚生と山里勇吉セェンセイ、八重山古典民謡保存会の比屋根孝子さんが勤めた。

予選会始まる前にルールを説明するセェンセイ

申し込み者の中で14歳の拓実くんが最年少と思っていたがなんと13歳の中学生(小渡Dスケ)が出てきた。
具志頭村出身、歌詞が「とぅばらーま歌し 平和の橋かきてぃ 肝の果報や 幾世までぃん」自然と会場から沢山の拍手があった。(Dスケくんは予選通過)今年は戦後60年の節目、子供達がとぅばらーまの節に載せて平和を願う意義はとっても大きい。そういえば糸満は沖縄戦では多くの犠牲者を出した激戦地なのだ。
そのとぅばらーま大会会場も平和記念館の向かい「ワイン農園」の野外ステージで行われる。
きっと24日の本大会では 平和の架け橋となるとぅばらーまであって欲しいと祈る。


しかし審査して22名は予選から落とさなくてはならない審査員はつらいものです。
思い思いの歌詞で自由に吐露し歌われるとぅばらーまは「いずすどぅ主」が生命力とされ その生命線に触れて頂き、落ちた方は懲りずに次回チャレンジされる事を願ってます。


とぅばらーま歌がこんな広がりをみせているかと思うと関係者として嬉しい限りである。
うたって良し、聞いて良し、語ってよしとされる名曲とぅばらーまはきっと幾世までも響ましてくれるであろう。
いまから 本選が楽しみである。  
Posted by 大工哲弘 at 13:59

2005年08月07日

一人会ライブ お礼

8月1日から始まったライブツアー葉山「UMI・GOYA」東京・吉祥寺「まんだら」名古屋「得三」京都の「磔磔」で無事?終了しました。
ウィークにも関わらず会場に沢山の八重山のうたファンが来てくれてありがとうございました。


↑「吉祥寺・まんだら」にて2日(火)ジャンベは あの元さんのモノかりました。

やいま歌のみライブは初めて試みだったので不安であったが「案ずるより生むが如し」で熱い島歌ファンに支えながら、どうにかこうにかして 第一回の一人会は終えました。

この手ライブの話は4・5年前から八重山島歌を愛するファンからの要望もあったのですが、沖縄のさまざまな音楽が県外蔓延る中、八重山一本では 時期尚草 と断っていました。

県外の人が沖縄の歌を初めて聴いた頃は「沖縄の歌」は一つだと思って うた・三線に填ってとうとう三線を習い始めた人も多かったでしょう。 
段々やるにしたがって 沖縄本島、宮古、八重山の歌の違いが解って来くようになり 聞き分けるようになって ようやく この頃は いい意味で沖縄の島歌に聴く耳をもつようになってきていると思う。
そう云った意味で今回のコアな八重山うただけのライブは企画的だったと思うのだが・・・

しかし三線一丁、八重山うたオンリーで一人会をオフノートが企画・開催してくれたのに
生憎 小生の声の調子がまったく八重山うたを歌う声としては ほど遠く 失格の声
野球のピッチャーなら ストレートは投げれず、変化球でだまし だまし 4日間を唄い消化した。

なんで調子崩したか・・・弁解の余地もない「不摂生」 それしかないのである。 ある意味では師匠としても失格なのである。
これから 小生は大好きな歌と酒とをどう付き合っていくか!んっ~難しいィ これって 洒落にもならないが“避け”ては通れない問題ではある?! 上手く付き合って行くしかない。 がんばります!!!  
Posted by 大工哲弘 at 20:58

2005年07月26日

うちなージョッキー


↑番組プロデュースの牧港さんとゲストの赤嶺さん

今年度から隔月で放送しているNHK・FMラジオ18:00~18:50分(8月5日・金)放送分録音してきました。
今日は9月24日糸満で始めて開催される「第一回とぅばらーま大会」の実行委員長の赤嶺武さんをスタジオにお招きして、大会を開催する経緯やら、申し込みの方法、エーマ糸満会の活動などを話しながらの50分番組進めました。

大会の出場者枠20名で、申し込み者は すでに20名に達しているという。(申し込み締め切り8月31日まで)20名越えた場合は9月のはじめ予選会をする予定だそうです。当初はエントリー者は居るか?と心配していたら
嬉しい悲鳴だと 喜んでおりました。

今日番組で使用したCD音源
①とぅばらーま(山里勇吉)
②とばるま~ (宮良康正)
③とぅばらーま(通事安京)
④とぅばらーま(新良幸人)
⑤とぅばらーま(大工哲弘)

実行委員長の赤嶺さんは白保出身で新良幸人とは実家が隣りで1歳の時しか知らなくて
直後沖縄本島に移住。
お父さんの新良コウエイは良く知っていて、幸人の声はお父さんの声に良く似て来ていると
褒めていました。また 仲宗根長一さんとも従兄弟にあたるそうで、プライベートの話も聞けて楽しい超ローカルティ~な番組が収録が出来た。

それにしても 白保は歌手が多いと言う話になり、やっぱりそれは環境がそうさせたのでは・・・大島保克にしても

大会は雨天決行で、万が一雨が降ったとしてもレストランで出来る十分なスペースがあるそうです。
しかし 台風が来た場合はどうしようもないです。(順延予定)

教室からは屋嘉部、モハメド・ブリ、有馬が出場する予定です。

今年は戦後60年。沖縄戦・激戦地だった糸満、そんな想いを込めて歌った歌詞も出てきてもいいのでは・・・
記念する第一回とぅばらーま大会にしたいと実行委員はじめ、会員各関係者はがんばっております
ご成功を祈ってます。  
Posted by 大工哲弘 at 15:53

2005年07月12日

涼を呼ぶ二つの帽子

九州から四国にかけて活発化した梅雨前線の影響で豪雨が続き大分県など土砂災害などおおくのがけ崩れ、増水などで被害にあい犠牲者も出てテレビのニュースを見るたび心が痛む。
お見舞い申し上げます。


沖縄は先月梅雨が明けてからずっと好天気が続き、朝も蝉の大合唱で起こされ毎日うだるような猛暑で本格的な沖縄の夏、苦い夏が続いております。
皆さんのところはいかがでしょうか?
ちょっと早いかもしれませんが 
暑中お見舞い申し上げます。

小生の叔父が農業の片手間にクバ笠を作って親戚従兄弟にプレゼントしている。
先月石垣に帰った際、テツも丹精を込めて作ったクバ笠(畑人用と海人用)を戴いた。

なんとなしにクバを見ただけで真夏の涼が取れる。

去った5月 島袋マサル(BEGIN)のお父さんが小生の妻の恩師という関係で島袋のお父さんが 手作りで立派にオリオンビール缶で仕上げた帽子を贈ってもらった

なかなかの傑作 喜作である。
ビーチパーティが行われた5月サンサンビーチに帽子被っていくと、帽子はタチマチ人気の的となり、写真ラッシュにあった。
小生はどうでも いい~ 「帽子撮らせて!」「帽子欲しい 欲しい!」というお弟子が多かった!


三ツ星かざして オリオンビールの缶で帽子つくりとは 発想がいいですよね
なかなか考えたものだ。 リサイクルにもいい、 環境問題にもやさしいではないか?
 
今年の夏は我れ自慢の二つの帽子で暑さを乗り越えたいと思います。  
Posted by 大工哲弘 at 17:54

2005年03月05日

さんしんの日 メイン舞台

第13回目を迎えて盛大に挙行されたさんしんの日のイベント。
メイン会場はもとより各地でも3月4日にリンクさせ一日中三線に日が鳴り響いた。
昨日は三線演っていない人は身が狭い思いではなかったでしょうか?

いつも思う、さんしんの日を制定、提唱してくれた上原直彦氏には感謝をしています。
他の国に楽器の日を定め、一つの楽器を祝う日行事があるだろうか?

因みに3月8日は(サンバの日・三板)9月10日(琴の日・クトゥー)なども沖縄から発祥された祝い日である。
(サンバもクトゥーの日もさんしんの日後に提唱された)。
ついでに4月9日(フォークの日・音楽)6月9日(ロックの日・音楽)これもまた沖縄からである♪


久しぶりに名コンビぶりを聞かせてくれた金城恵子と田場盛信。ツーショットも本当に久しぶりだよね~(元夫婦とは思えないくらい仲良しこよしだよね)  
Posted by 大工哲弘 at 18:49

2005年02月25日

三線の日まで後○○にちぃ!



毎日(月~金)琉球放送の昼3時から4時まで上原直彦氏のラジオ番組「民謡で今日拝なびら」のコーナーで三線の日まで、各三線教室をめぐり三線をはじめて○○年、三線とのかかわり、あなたにとって三線とは?などなど ユニークな方々のインタビューが聞けるラジオ番組。

三線の日までのファイナル・ウィークは我が若狭公民館「島唄の会」の出番が廻ってきました。
4名がインタビューに応じた。
若狭島唄の会のかじゃでぃ風をバックに来週月~木まで昼3時50分頃放送でインタビューが聞けます。

三線の日まで あと7日!!  
Posted by 大工哲弘 at 00:41

2005年02月15日

分かりやすい解説集2



写真左から
方位の表わし方や時刻の表わし方を詳しく表記してあります

まるまぶんさんの背景、仲良田節の背景

安里屋ぬクヤマーの生家  
Posted by 大工哲弘 at 11:58

2005年02月14日

公民館まつりの打ち上げ料理1

  
Posted by 大工哲弘 at 16:03

2005年01月22日

新春早々から震災の話題が続いたので ここいらで柔らかく

八重山の島唄に『くいぬ頂』というのがある。

♪くいぬぱな登てぃ浜先ゆ見れば まかが布晒し見ものでむぬ
♪大石に登てぃ前千瀬ゆ見れば 松が蛸捕りや面白きょうがい
♪松が捕たる蛸やクヤーマにうち渡ち うる石とぅ添えて渡しゃるきにゃよ
♪側に立ちゅる者や悋気なモノやりば 鍋とまかい添えてぃ打ち割たきにゃよ

くいぬぱな(地名)に登って浜先を見れば まかー(人名)が布を晒すのは見事だ。
大石に上って前のリーフをみれば松(人名)が蛸を捕っている様子は面白くて滑稽だ。
松が蛸捕ったのを彼女のクヤーに 器用に蛸をそっとプレゼントしている。
側にいた本妻がそれを見て狂乱し鍋も飯碗も割ってしまった。

新城島の古い島唄なのにすごくリアルで生活感にあふれて面白い。

今の時期 八重山では小蛸のウムズナー(いいだこ)がバンジ(最盛期)な筈なのに今年は不猟で
「てっちゃんに送れないさぁ~」と毎年この時期ななると八重山の鳩間島の公民館館長(宮古民謡歌手・国吉源次の弟子)の仲宗根豊が小生に贈って貰うウムズナーシーズンだが「最近 地球温暖化にがなっているかね~」と豊が嘆いていた。
勿論 小生が蛸好物だと知ってのことで、今年はイナムヌ(残念)で八重山のウムズナーはあきらめることにした。

小生が全国回って旨い蛸のベスト3というのがある。一番は北海道稚内、二番は岡山の下津井、三番は兵庫の明石蛸と決め付けている。(しかし この順番はその地で変わる事がある)
上京した時のお土産は東京バナナではなしに羽田空港ターミナル・モノレール改札口の横に北海道のアンテナショップがあって そこの真蛸を必ず買って帰るくらい大好き定番の東京蛸土産になっている。
湯がいても、山葵和え、てんぷらしても そのまま刺身にしても真蛸は珍味である。「烏賊は味、蛸はかおり」と言われているが、どっちも小生は好物だ、どっちにするか?と言われるとヌメリとした舌触りと歯ごたえのあるしつこさの蛸に小生は軍配を上げる。

八重山・石垣の言葉に「シビゥニシャーン」という表現があるが、柔らかくて弾力性があって尚且つ しつこいと「烏賊や蛸のように」咀嚼するとき使うが、残念ながら いまはもう死語になっている島ムニ(言葉)だ。

これからも島歌を歌っていく上で声の出し方、ブレスの持ち方は 「シビゥニシャーン」と言われるようになれればいいなぁ~と思う。 人生はしつこく生きたくはないが、歌声だけは 柔らかく弾力性を持ち、蛸のように香りを放ち 烏賊の様に味を持つ 歌を唱いたい。 
声だけは持ちようによって老いないのだから・・・

今年も蛸ベスト3の地に行く機会があるだろうか? 岡山に行ったら きっと下津井が一番!と言うかも知れない。   
Posted by 大工哲弘 at 19:59