2008年03月13日
地方語
先日、沖縄帰りの便を待つANA空港で出発まで時間があったのでレストランで食事をとることにした。愚生の隣席の2名のオッサンが(すでに年金を受給している歳であろう)、ビールを片手に話がはずんでいる。きっと言葉の抑揚や強力なイントネーション「ばってん」の語尾は熊本であろうかと思われる。故郷の訛り言葉は何故か懐かしく心に響き、ノスタルジーである。
九州といえば宮崎県の東国原知事が好発信した「どげんせんと」「てげてげ」はあまりにも有名。また「がばいばあちゃん」で知られている島田洋七さんの古郷・佐賀でも80、75歳の姉妹コンビが地元ラジオで方言ニュース放送し、がばいパワーを発信しているそうだ。
佐賀県の方言、やーらしかー(かわいい)そんな情感が分かる人は少数派。若者達の方言離れが急速に進み、ちょっとでもお役に立ちたいと2003年に方言ニュースの姉妹コンビで「佐賀弁辞典」を出版したそうだ。
沖縄も余所事ではない。方言を見直そう。一昨年から9月18日(沖縄県が、しまくとぅばの日を制定し、対策を講じている)。愚生の古郷八重山・石垣も急速に流暢な島方言(むに)を話せる人が少なくなっている。それにはいろんな理由があると思うが、まずは「方言札」「標準語励行」「皇民化教育」が挙げられよう。
将来、消滅の危機を感じ石垣方言(むに)をどうにか後世に絶対残こなさないといけない。愚生のご意見番でもある宮城信勇先生(87歳)が完成させた「石垣方言辞典」(沖縄タイムス出版)が第42回・吉川英治文化賞を先週、見事受賞された。

73年、八重山民謡によく出る歌詞「若夏」の言葉を活かし復帰記念国体の愛称公募したところ当選した「若夏国体」の名づけ親でもある。「地方に古い方言が残っている。言葉を生かせば、日本語がもっと豊になる」八重山に目を留めてくれてうれしい。と愚生にも電話で喜びの心境を語ってくれました。信勇せんせい、本当におめでとうございます!

「お国訛りは言葉の手形」と申します。「地方人は地方の言葉を使って初めて本当の自由がある」柳宗悦の言葉を思い出す。
うちなーぐち、みゃ~くふつ、八重山むに、それぞれのお国の言葉で大いに話そう。言葉は文化なんだから
九州といえば宮崎県の東国原知事が好発信した「どげんせんと」「てげてげ」はあまりにも有名。また「がばいばあちゃん」で知られている島田洋七さんの古郷・佐賀でも80、75歳の姉妹コンビが地元ラジオで方言ニュース放送し、がばいパワーを発信しているそうだ。
佐賀県の方言、やーらしかー(かわいい)そんな情感が分かる人は少数派。若者達の方言離れが急速に進み、ちょっとでもお役に立ちたいと2003年に方言ニュースの姉妹コンビで「佐賀弁辞典」を出版したそうだ。
沖縄も余所事ではない。方言を見直そう。一昨年から9月18日(沖縄県が、しまくとぅばの日を制定し、対策を講じている)。愚生の古郷八重山・石垣も急速に流暢な島方言(むに)を話せる人が少なくなっている。それにはいろんな理由があると思うが、まずは「方言札」「標準語励行」「皇民化教育」が挙げられよう。
将来、消滅の危機を感じ石垣方言(むに)をどうにか後世に絶対残こなさないといけない。愚生のご意見番でもある宮城信勇先生(87歳)が完成させた「石垣方言辞典」(沖縄タイムス出版)が第42回・吉川英治文化賞を先週、見事受賞された。
73年、八重山民謡によく出る歌詞「若夏」の言葉を活かし復帰記念国体の愛称公募したところ当選した「若夏国体」の名づけ親でもある。「地方に古い方言が残っている。言葉を生かせば、日本語がもっと豊になる」八重山に目を留めてくれてうれしい。と愚生にも電話で喜びの心境を語ってくれました。信勇せんせい、本当におめでとうございます!
「お国訛りは言葉の手形」と申します。「地方人は地方の言葉を使って初めて本当の自由がある」柳宗悦の言葉を思い出す。
うちなーぐち、みゃ~くふつ、八重山むに、それぞれのお国の言葉で大いに話そう。言葉は文化なんだから
Posted by 大工哲弘 at
02:18
2008年02月21日
“てつひろ”
死語になっていると思った「親の背中をみて育つ」の言葉は久し振り心に響いた。
モノ心ついたころから「おやじはかっこいい、跡を継ぎたい」高校を中退して「漁師になる」と小型船舶免許を取った吉清哲大(てつひろ)さん。脳梗塞で倒れも頑張っていた親父の背中を幼いころから見て育った。オヤジの治夫さんも息子が漁師になったことをこの上なく喜んでいたという。
鳥羽一郎の「兄弟舟」ならぬ「親子船」で荒海に乗り出し父親の仕事を助けていた親孝行物語は。最近、毎日のように報道される希薄な親子関係の凄惨な事件が起きるたびに落胆をしていた日本の親父たちは、吉清親子の愛に胸を打たれたであろう。愚生も涙(なだ)グルグル~した。
こんなすばらしい親子船が19日未明、千葉県・野島崎沖でイージス艦「あたご」と衝突し漁船は沈没。父、治夫さんと長男の哲大(てつひろ)親子の行方はいぜん不明。まだ捜索中。安否が気づかれる、まったく運命?は極非情である。
川津港で哲大さんの叔母が清徳丸の写真の前で「哲ちゃん(哲大の愛称)無事でいてくれよ~!」と泣き叫ぶシーンをTVで見るたび、なんか愚生の愛称(哲ちゃん)を呼ばれているみたいで人ごとで無い感じである。
しかし高性能レーダーを搭載、最新鋭の技術を駆使して1400億円で建造されたという日本が誇るイージス艦は日本の防空防海の安全と自国人の命と財産を守らなくてはならないはずの防衛艦が小さな漁船を沈めるというお粗末なカジ取りはどうなっているのでしょうか。危機管理体制の問題など疑問点は多い、まだ原因究明中なので何とも言えませんが・・・
哲大よ、海人(うーみんちゅ)の意地をみせ、親父の治夫さんと一緒に無事でいてくれることを祈るばかりです。
因みにイージスとはギリシャ神話でゼウスが娘に与えた「盾」を意味するそうです。ネームをいただいた日本イージス艦の海自対応にゼウスの神はきっと嘆いているにちがいない。
モノ心ついたころから「おやじはかっこいい、跡を継ぎたい」高校を中退して「漁師になる」と小型船舶免許を取った吉清哲大(てつひろ)さん。脳梗塞で倒れも頑張っていた親父の背中を幼いころから見て育った。オヤジの治夫さんも息子が漁師になったことをこの上なく喜んでいたという。
鳥羽一郎の「兄弟舟」ならぬ「親子船」で荒海に乗り出し父親の仕事を助けていた親孝行物語は。最近、毎日のように報道される希薄な親子関係の凄惨な事件が起きるたびに落胆をしていた日本の親父たちは、吉清親子の愛に胸を打たれたであろう。愚生も涙(なだ)グルグル~した。
こんなすばらしい親子船が19日未明、千葉県・野島崎沖でイージス艦「あたご」と衝突し漁船は沈没。父、治夫さんと長男の哲大(てつひろ)親子の行方はいぜん不明。まだ捜索中。安否が気づかれる、まったく運命?は極非情である。
川津港で哲大さんの叔母が清徳丸の写真の前で「哲ちゃん(哲大の愛称)無事でいてくれよ~!」と泣き叫ぶシーンをTVで見るたび、なんか愚生の愛称(哲ちゃん)を呼ばれているみたいで人ごとで無い感じである。
しかし高性能レーダーを搭載、最新鋭の技術を駆使して1400億円で建造されたという日本が誇るイージス艦は日本の防空防海の安全と自国人の命と財産を守らなくてはならないはずの防衛艦が小さな漁船を沈めるというお粗末なカジ取りはどうなっているのでしょうか。危機管理体制の問題など疑問点は多い、まだ原因究明中なので何とも言えませんが・・・
哲大よ、海人(うーみんちゅ)の意地をみせ、親父の治夫さんと一緒に無事でいてくれることを祈るばかりです。
因みにイージスとはギリシャ神話でゼウスが娘に与えた「盾」を意味するそうです。ネームをいただいた日本イージス艦の海自対応にゼウスの神はきっと嘆いているにちがいない。
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00:31
2008年02月14日
綱紀粛正
この怒りの矛先はどこに向けていいのか?
『在沖米海兵隊の女子中学校生への暴行事件』
米兵による非道なる犯罪がまた10日北谷で起きてしまった。また、とは13年前(1995年)は小学生を在沖米兵3人で暴行したという悪夢からまたの事件である。他はあまり取りざたされてないが、戦後米兵関係者の主な性犯罪事件だけでも実は16件も発生している。

音楽や歌は「また」繰り返す(リピート)はあってもいいが、極悪非道なる事件は絶対に「また」繰り返してはいけないのである。度重なる事件の後は「綱紀粛正を図る」と唱えていた日米軍両政府機関の常套語はもう聞き飽きた。「綱紀粛正」というこの4文字熟語。愚生も辞書を引かないと解らなかった「こうきしゅくせい」。本当にアメリカ軍兵はこの4文字の意味を理解できていたのですかね。こうも事件が重なれば疑問をもたらずにはいられない。もっと米兵にもわかりやすい言葉はないのか「公務の規律を正せ」とか。事件から数日経つが沖縄県民を蹂躙した度重なる米軍兵の事件に県民の怒りは収まらない。
以前、うた・三線の札幌の弟子・小林くんが中央区宮の森にある大倉山ジャンプ場に連れていってもらったことがある、そこの高台から札幌市内が一望できるロケーションは絶景である。小林くん曰く「実は札幌市内の面積は沖縄全土の面積と一緒ですよ~」と教えられた。「かりに札幌市内に米軍基地があると想定しただけでもゾットしますね~」。それを考えれば「沖縄の小さな島に日本の75%の米軍基地が配備されている現状は誰が考えても理不尽だ!」と話しあったのを覚えている。
地方交付金目当てに「アメとムチ」の狭間に誘致派が多数な県もあれば、日米安保の笠に日米軍再編のおもいやり予算というアメで沖縄本島内に政府が再強化を進めている基地移転問題。絶対に基地がある故に起きる米兵の性犯罪や多発するその他の事件事故。安心して沖縄市ミュージックタウンで遊べる青少年達の平和な町であって欲しい。フラットで明るい活気溢れる新まちづくり構想に暗い影を落としている。もう基地の縮小・整理とかではなしに沖縄から、いや日本からも完全基地の撤退願うのは愚生一人であろうか。
『在沖米海兵隊の女子中学校生への暴行事件』
米兵による非道なる犯罪がまた10日北谷で起きてしまった。また、とは13年前(1995年)は小学生を在沖米兵3人で暴行したという悪夢からまたの事件である。他はあまり取りざたされてないが、戦後米兵関係者の主な性犯罪事件だけでも実は16件も発生している。
音楽や歌は「また」繰り返す(リピート)はあってもいいが、極悪非道なる事件は絶対に「また」繰り返してはいけないのである。度重なる事件の後は「綱紀粛正を図る」と唱えていた日米軍両政府機関の常套語はもう聞き飽きた。「綱紀粛正」というこの4文字熟語。愚生も辞書を引かないと解らなかった「こうきしゅくせい」。本当にアメリカ軍兵はこの4文字の意味を理解できていたのですかね。こうも事件が重なれば疑問をもたらずにはいられない。もっと米兵にもわかりやすい言葉はないのか「公務の規律を正せ」とか。事件から数日経つが沖縄県民を蹂躙した度重なる米軍兵の事件に県民の怒りは収まらない。
以前、うた・三線の札幌の弟子・小林くんが中央区宮の森にある大倉山ジャンプ場に連れていってもらったことがある、そこの高台から札幌市内が一望できるロケーションは絶景である。小林くん曰く「実は札幌市内の面積は沖縄全土の面積と一緒ですよ~」と教えられた。「かりに札幌市内に米軍基地があると想定しただけでもゾットしますね~」。それを考えれば「沖縄の小さな島に日本の75%の米軍基地が配備されている現状は誰が考えても理不尽だ!」と話しあったのを覚えている。
地方交付金目当てに「アメとムチ」の狭間に誘致派が多数な県もあれば、日米安保の笠に日米軍再編のおもいやり予算というアメで沖縄本島内に政府が再強化を進めている基地移転問題。絶対に基地がある故に起きる米兵の性犯罪や多発するその他の事件事故。安心して沖縄市ミュージックタウンで遊べる青少年達の平和な町であって欲しい。フラットで明るい活気溢れる新まちづくり構想に暗い影を落としている。もう基地の縮小・整理とかではなしに沖縄から、いや日本からも完全基地の撤退願うのは愚生一人であろうか。
Posted by 大工哲弘 at
15:11
2008年01月10日
諸刃の剣?
日和見主義を表す沖縄の言葉に「あんま~膏薬と理屈~ぇ まーにん たっくゎ~ゆん」という諺がある。<膏薬と理屈はどこにでも貼ることができる>
その時次第を理屈にまかせて、あっちいったりこっちいったりする節操のないことを云う。
「あんま~」(おかあさん)膏薬のラベルマークがお母さんの写真印であっため通称(あんま~)と呼んだそうです。
「膏薬・こうやく」今風に言うとサロンパスかシップみたいなもの。腰の痛みや肩コリなどに張るが、有名なのは内股膏薬、二股膏薬で股に張ると右にくっついたり、左にくっ付いたりするので、その譬えから理屈っぽい人を揶揄するようになった。
先日、福岡市の三幼児死亡事故の福岡地裁がくだされた判決も「理屈と法律はどこにでも貼れる」としか考えられない検察側と弁護側が対立した結果も似ている。
愚生は法律の事は知らない、業務上過失致死傷罪を適用の有無の前に、3名の幼い可愛い掛け替えのない尊い命を失わせた罪の重さは例えようがないと思う。疑問がのこる地裁の判決であった。
また 福田総理が決定的に国民から支持率を下げた要因に「選挙“公約”ほどのものではない」と年金問題を躱そうとした言葉もまさに「公約」違いではあるが「膏薬」の日和見主義を露呈した結果である。
いま 強行採決されようとしている「給油活動」を再開する新テロ対策特別措置法も「憲法の網をくぐる」あんま~膏薬と理屈のなにものでもない。「国際貢献」の名のもとに国民を誤魔化そうとしている理屈はもう 聞きあきた!
その時次第を理屈にまかせて、あっちいったりこっちいったりする節操のないことを云う。
「あんま~」(おかあさん)膏薬のラベルマークがお母さんの写真印であっため通称(あんま~)と呼んだそうです。
「膏薬・こうやく」今風に言うとサロンパスかシップみたいなもの。腰の痛みや肩コリなどに張るが、有名なのは内股膏薬、二股膏薬で股に張ると右にくっついたり、左にくっ付いたりするので、その譬えから理屈っぽい人を揶揄するようになった。
先日、福岡市の三幼児死亡事故の福岡地裁がくだされた判決も「理屈と法律はどこにでも貼れる」としか考えられない検察側と弁護側が対立した結果も似ている。
愚生は法律の事は知らない、業務上過失致死傷罪を適用の有無の前に、3名の幼い可愛い掛け替えのない尊い命を失わせた罪の重さは例えようがないと思う。疑問がのこる地裁の判決であった。
また 福田総理が決定的に国民から支持率を下げた要因に「選挙“公約”ほどのものではない」と年金問題を躱そうとした言葉もまさに「公約」違いではあるが「膏薬」の日和見主義を露呈した結果である。
いま 強行採決されようとしている「給油活動」を再開する新テロ対策特別措置法も「憲法の網をくぐる」あんま~膏薬と理屈のなにものでもない。「国際貢献」の名のもとに国民を誤魔化そうとしている理屈はもう 聞きあきた!
Posted by 大工哲弘 at
12:33
2008年01月07日
下駄
「下駄」のことを沖縄では「アシジャ」八重山では「アスィジャ」「アシゥジャ」と云う
語源は足の座から来ていると思われる。
10年前 岐阜県(郡上)の旧盆に行われる郡上徹夜踊りに参加したことがあった。
やぐらの上で三味線と太鼓・うたリズムに合して万人の群衆が浴衣を身に着け下駄を履き「カラッコロッ」音を立てながら踊る郡上八幡の踊り(10曲ある)には感動したことがある。

←10年前、郡上踊りで実際踊るため買った下駄。記念に保存していた。
また下駄と言えば、石垣島で新正月を迎えるに、各家は庭に白い砂を引きつめ元旦に箒の形を奇麗に入れ、年頭の挨拶で訪問する客を迎えるという風習があった。
当然 正月は着物を身につけ木製の下駄を履いて来るわけだから遠く道から歩く音は「カラッコロッ」家に近づくと「ザック、ザック」と門を入り砂踏む下駄の音が来客を知らせてくれた。
愚生のCDアルバム「うちなージンタ」ラッパ節の歌詞にも下駄が登場する
♪「お姉さんよ夕べ来た者何者か 妹喋るな あれは猫よ なんぼこの世が開けても猫が下駄を履くものかサノサ~」
「お姉さん、夕べ来たお客は誰?」「妹よしゃべらないで黙って!夕べ来たのは猫だよ」。「へぇ~猫が下駄を履くの?どんなに世が変わっても猫が履かないけれどな」
妹に彼氏が下駄を履いて忍んで来た故にバレてしまったお姉さん。下駄のせいにはしたくないとお姉さんは思っても恋は「下駄を履くまでわからない?」彼氏に「下駄を預ける」のが悪かったのか ・・・・

下駄に纏わる話は尽きないが。昨年暮れに下駄をこよなく愛し四六時中下駄を履いている知人KYさん(名古屋出身)がプチ三線留学の為公民館に来ていました。
本人いわく「下駄を履くことにより正直な人間になれる。音を出すことにより悪いことができない。足腰がつよくなる。ハイヒール同様、高くなる」Etc・・・すばらしく靴流通が発達している世に、下駄文化を誇示している女は奇人か変人か?現代社会を見下ろし、あざ笑っているかのようなKYさんは大きくみえた。
UPは本人の了解を得ています。
名鉄ならぬ「下駄電」日常の足を「下駄をはかせて」名古屋の町を闊歩している女を見かけたらきっとKYさんです。愚生は「元気でがんばってます」と伝えてください。
2008年も始まったばっかりだが、本年も下駄を履くまでわからない。 心を引き締めギバラナ(チバロウ・がんばろう!)
語源は足の座から来ていると思われる。
10年前 岐阜県(郡上)の旧盆に行われる郡上徹夜踊りに参加したことがあった。
やぐらの上で三味線と太鼓・うたリズムに合して万人の群衆が浴衣を身に着け下駄を履き「カラッコロッ」音を立てながら踊る郡上八幡の踊り(10曲ある)には感動したことがある。
←10年前、郡上踊りで実際踊るため買った下駄。記念に保存していた。
また下駄と言えば、石垣島で新正月を迎えるに、各家は庭に白い砂を引きつめ元旦に箒の形を奇麗に入れ、年頭の挨拶で訪問する客を迎えるという風習があった。
当然 正月は着物を身につけ木製の下駄を履いて来るわけだから遠く道から歩く音は「カラッコロッ」家に近づくと「ザック、ザック」と門を入り砂踏む下駄の音が来客を知らせてくれた。
愚生のCDアルバム「うちなージンタ」ラッパ節の歌詞にも下駄が登場する
♪「お姉さんよ夕べ来た者何者か 妹喋るな あれは猫よ なんぼこの世が開けても猫が下駄を履くものかサノサ~」
「お姉さん、夕べ来たお客は誰?」「妹よしゃべらないで黙って!夕べ来たのは猫だよ」。「へぇ~猫が下駄を履くの?どんなに世が変わっても猫が履かないけれどな」
妹に彼氏が下駄を履いて忍んで来た故にバレてしまったお姉さん。下駄のせいにはしたくないとお姉さんは思っても恋は「下駄を履くまでわからない?」彼氏に「下駄を預ける」のが悪かったのか ・・・・
下駄に纏わる話は尽きないが。昨年暮れに下駄をこよなく愛し四六時中下駄を履いている知人KYさん(名古屋出身)がプチ三線留学の為公民館に来ていました。
本人いわく「下駄を履くことにより正直な人間になれる。音を出すことにより悪いことができない。足腰がつよくなる。ハイヒール同様、高くなる」Etc・・・すばらしく靴流通が発達している世に、下駄文化を誇示している女は奇人か変人か?現代社会を見下ろし、あざ笑っているかのようなKYさんは大きくみえた。
名鉄ならぬ「下駄電」日常の足を「下駄をはかせて」名古屋の町を闊歩している女を見かけたらきっとKYさんです。愚生は「元気でがんばってます」と伝えてください。
2008年も始まったばっかりだが、本年も下駄を履くまでわからない。 心を引き締めギバラナ(チバロウ・がんばろう!)
Posted by 大工哲弘 at
01:15
2007年12月07日
北風のいやり4 最終回
自称グルメの愚生は全国三線行脚でネット各地に訪れた際、その土地で採れた郷土料理を嗜むのも楽しみの一つだ。地民の風土や歴史が感じられるからうれしい。全国の中でも北海道は他県の追従を許さない、海山陸の幸が豊富で素材もバラエティーに富み、食彩が味わえる北大地は味覚王国である。


その魅力や嗜好品は人によって異なるが、新鮮な章魚やタラバガニ、スープカレー、ラーメン他にも旨いものが北海道は多い、でも、本当に旨いモノは道地産の蕎麦だと愚生は思っている。いつも帯広の三線出張教室で伺うときメンバーにそば屋さんに連れていってもらう。十勝地方はそば味覚極楽だからだ。
全国的に蕎麦の需要は拡大し、それに伴い広大な畑で栽培される生産地の北海道は云わずと知れた日本一。明治・開拓史の時代から腰がつよく香り高いそばを育んできた歴史がある

・・・そう云えば今日夕方、大阪の弟子からお歳暮が届く、包みを開けると、なんと信州の蕎麦である。じっくり味わうことにしよう。Bっち、ありがとう!ちょっと話が逸れました。。。
←宮田村で小原さんに御馳走になった信州のそば。
昔から信州、甲州、武州武蔵国(蕎麦三国)は旨いというのが主流のイメージ。
それを遠慮してか?北海道は他に旨いのがあり過ぎてか?蕎麦を取り上げていないように思う、全国一の生産高と旨い蕎麦があるのに、大いに誇り宣伝してもいいのでないか

北大地はこの12月から原油の高騰で灯油が例年の二倍に跳ね上がり、生活が脅かされているという。それ以外厳しい冬の生活環境であってもそれをフォローする食道楽園だからか?ドサンコは北海道を愛し、誇れる土地だと・・・


札幌、帯広のネットのみなさん!お世話になりました。来年は元気で再会できタンタカタン(北海道産の焼酎)も飲めるように、健康に留意したいと思います。
遅ればせながら、ありがとうございました!
その魅力や嗜好品は人によって異なるが、新鮮な章魚やタラバガニ、スープカレー、ラーメン他にも旨いものが北海道は多い、でも、本当に旨いモノは道地産の蕎麦だと愚生は思っている。いつも帯広の三線出張教室で伺うときメンバーにそば屋さんに連れていってもらう。十勝地方はそば味覚極楽だからだ。
全国的に蕎麦の需要は拡大し、それに伴い広大な畑で栽培される生産地の北海道は云わずと知れた日本一。明治・開拓史の時代から腰がつよく香り高いそばを育んできた歴史がある

・・・そう云えば今日夕方、大阪の弟子からお歳暮が届く、包みを開けると、なんと信州の蕎麦である。じっくり味わうことにしよう。Bっち、ありがとう!ちょっと話が逸れました。。。
←宮田村で小原さんに御馳走になった信州のそば。昔から信州、甲州、武州武蔵国(蕎麦三国)は旨いというのが主流のイメージ。
それを遠慮してか?北海道は他に旨いのがあり過ぎてか?蕎麦を取り上げていないように思う、全国一の生産高と旨い蕎麦があるのに、大いに誇り宣伝してもいいのでないか
北大地はこの12月から原油の高騰で灯油が例年の二倍に跳ね上がり、生活が脅かされているという。それ以外厳しい冬の生活環境であってもそれをフォローする食道楽園だからか?ドサンコは北海道を愛し、誇れる土地だと・・・
札幌、帯広のネットのみなさん!お世話になりました。来年は元気で再会できタンタカタン(北海道産の焼酎)も飲めるように、健康に留意したいと思います。
遅ればせながら、ありがとうございました!
Posted by 大工哲弘 at
02:45
2007年12月02日
北風のいやり3
生まれて初めて、馬券を買った。



と云っても帯広の輓えい競馬券である。
一度は見たいと思っていた輓えい競馬。

先月の19日「帯広島うたの会」のメンバーに競馬場を案内して貰い念願叶い直で観戦することができた。朝一番11時の第一レース、パドックを見て馬券は5-7を買う。200㍍の直線コースを2ヵ所の登場障害、最大1㌧の鉄ソリを引く馬が、ありったけのパワーを振り絞り、北の大地に根付いた世界でただ一つの膂力(りょうりょく)レースは迫力満点な競馬である。
残念ながら馬券は見事に外れたが、非常に見応えがあった。



帯広輓えい競馬、一時は存続が危ぶまれていたが、「道遺産」を次世代へ引き継ぎたいと全国的に支援の和を広げ継続の展望は開けた。
北海道生まれを道産子という。「ドサンコ」という由来。これまで輓馬から来ているのだと思っていたが、実は輓馬の原産はペルシュロンというフランスの馬で使役に使われていた馬から来ていると、帯広の高橋さんから教えてもらった。
道産馬はもともと江戸時代ニシン魚に来ていた、東北地方の人々が運搬手段として連れてきた南部馬を冬に置き去りにしていった。その馬たちが生き延びて野生化したのが北海道和種。粗食に耐え、耐寒力が高く、しかも力が強い、開拓時代に運搬や農耕、馬車などの交通力に手助けした頼もしい見方だった道産馬。それを誇って道産子と呼び、道生まれをドサンコと云うようになったそうだ。


その馬文化を宝に帯広は、ばん馬振興策案(お菓子やチーズ、観光ツアー)でばん馬ブランドを興そうと商工会は打ち出している。期待したい。
馬と言えば、八重山の祝儀の座では必ず演奏される「赤馬節」、宮古馬や人頭税廃止を願った拝所「鏡原馬場あやぐ」なども馬が主役、他に与那国馬もいる。スーパーペガサス達は村興しや島おこしに一役かっている。
「月(ちち)ぬ走(は)いや馬(んま)の走い」<月日の過ぎるのは馬が走るごとに速い・光陰矢の如し>今年もあますところ29日である。
と云っても帯広の輓えい競馬券である。
一度は見たいと思っていた輓えい競馬。
先月の19日「帯広島うたの会」のメンバーに競馬場を案内して貰い念願叶い直で観戦することができた。朝一番11時の第一レース、パドックを見て馬券は5-7を買う。200㍍の直線コースを2ヵ所の登場障害、最大1㌧の鉄ソリを引く馬が、ありったけのパワーを振り絞り、北の大地に根付いた世界でただ一つの膂力(りょうりょく)レースは迫力満点な競馬である。
残念ながら馬券は見事に外れたが、非常に見応えがあった。
帯広輓えい競馬、一時は存続が危ぶまれていたが、「道遺産」を次世代へ引き継ぎたいと全国的に支援の和を広げ継続の展望は開けた。
北海道生まれを道産子という。「ドサンコ」という由来。これまで輓馬から来ているのだと思っていたが、実は輓馬の原産はペルシュロンというフランスの馬で使役に使われていた馬から来ていると、帯広の高橋さんから教えてもらった。
道産馬はもともと江戸時代ニシン魚に来ていた、東北地方の人々が運搬手段として連れてきた南部馬を冬に置き去りにしていった。その馬たちが生き延びて野生化したのが北海道和種。粗食に耐え、耐寒力が高く、しかも力が強い、開拓時代に運搬や農耕、馬車などの交通力に手助けした頼もしい見方だった道産馬。それを誇って道産子と呼び、道生まれをドサンコと云うようになったそうだ。
その馬文化を宝に帯広は、ばん馬振興策案(お菓子やチーズ、観光ツアー)でばん馬ブランドを興そうと商工会は打ち出している。期待したい。
馬と言えば、八重山の祝儀の座では必ず演奏される「赤馬節」、宮古馬や人頭税廃止を願った拝所「鏡原馬場あやぐ」なども馬が主役、他に与那国馬もいる。スーパーペガサス達は村興しや島おこしに一役かっている。
「月(ちち)ぬ走(は)いや馬(んま)の走い」<月日の過ぎるのは馬が走るごとに速い・光陰矢の如し>今年もあますところ29日である。
Posted by 大工哲弘 at
16:56
2007年11月29日
北風のいやり2
小樽は好きな町、あこがれの町だ。
運河を中心にガラス、工芸品、雑貨アクセサリー、オルゴール、そして何といっても豪快で新鮮な魚介類やカニ市場は人々が賑わう観光地だ。レトロの建物が立ち並ぶ雰囲気は歴史とロマンが一杯詰まった街道である。
観光客で賑わう街道から、すこし外れに、大正3年に建てられた旧米問屋を利用したカフェ「遊心庵」あずましい(落ち着いた・北海道弁)場がある。黒米を使ったぜんざい、ヨーグルトのケーキなど、体にやさしいデザートが豊富。


その遊心庵で昨年5月パーカッションの永原元と一緒にライブをさせていただいた御縁で経営者のママ(菅原)さんと親しくさせて貰っている。去った15日・札幌「くう」ライブの翌日、札幌三線稽古終了後、菅原さんに会いたく「札幌しまうたの会」の小林くん夫婦に小樽まで連れてもらった。
午後8時30分頃小樽に着いたが、街中は真っ暗。道歩く人は誰ひとり居ない、まさか時間を間違っていないかと目を疑い、何度時計を見てもまだ8時台。観光地で賑わう昼の喧騒からは想像できない、沖縄のナイトタイムからして考えられないことだ。

久しぶりの再会にお互い歓心。菅原さん愚生の故義母によく似ている、そのせいか?旧友にあった気分だ。

菅原さん曰く、小樽の街はいま元気がないそうだ。そう云えば!昨年 訪れた愚生の愛称名と同じイタリアンレストラン「てっちゃん」も不景気のせいか、店を畳んだそうだ。小樽名物の石原裕次郎記念館も閉館したとか、観光地にも押し寄せる不況の波。
近い将来、小樽を出て内地でいろんな仕事をやってみたい。夢大きい菅原さんと話が弾み、とうとう近くで一軒だけ開いていた寿司屋に場所を移し「巽」ですっかり新鮮な小樽名産の海産物を小林夫婦共々御馳走になった。



人は元気がなによりだ、常に前向きな菅原さんから沢山パワーをいただいた。旅先がどんな観光地であっても、その土地の魅力はその土地に活きる人と会うのが一番楽しい。
ありがとう!菅原さん。
運河を中心にガラス、工芸品、雑貨アクセサリー、オルゴール、そして何といっても豪快で新鮮な魚介類やカニ市場は人々が賑わう観光地だ。レトロの建物が立ち並ぶ雰囲気は歴史とロマンが一杯詰まった街道である。
観光客で賑わう街道から、すこし外れに、大正3年に建てられた旧米問屋を利用したカフェ「遊心庵」あずましい(落ち着いた・北海道弁)場がある。黒米を使ったぜんざい、ヨーグルトのケーキなど、体にやさしいデザートが豊富。

その遊心庵で昨年5月パーカッションの永原元と一緒にライブをさせていただいた御縁で経営者のママ(菅原)さんと親しくさせて貰っている。去った15日・札幌「くう」ライブの翌日、札幌三線稽古終了後、菅原さんに会いたく「札幌しまうたの会」の小林くん夫婦に小樽まで連れてもらった。
午後8時30分頃小樽に着いたが、街中は真っ暗。道歩く人は誰ひとり居ない、まさか時間を間違っていないかと目を疑い、何度時計を見てもまだ8時台。観光地で賑わう昼の喧騒からは想像できない、沖縄のナイトタイムからして考えられないことだ。
久しぶりの再会にお互い歓心。菅原さん愚生の故義母によく似ている、そのせいか?旧友にあった気分だ。
菅原さん曰く、小樽の街はいま元気がないそうだ。そう云えば!昨年 訪れた愚生の愛称名と同じイタリアンレストラン「てっちゃん」も不景気のせいか、店を畳んだそうだ。小樽名物の石原裕次郎記念館も閉館したとか、観光地にも押し寄せる不況の波。
近い将来、小樽を出て内地でいろんな仕事をやってみたい。夢大きい菅原さんと話が弾み、とうとう近くで一軒だけ開いていた寿司屋に場所を移し「巽」ですっかり新鮮な小樽名産の海産物を小林夫婦共々御馳走になった。
人は元気がなによりだ、常に前向きな菅原さんから沢山パワーをいただいた。旅先がどんな観光地であっても、その土地の魅力はその土地に活きる人と会うのが一番楽しい。
ありがとう!菅原さん。
Posted by 大工哲弘 at
11:19
2007年11月28日
北(にし)風ぬいやり(便り)1
いま何処のデパートに行ってもお歳暮商戦たけなわである。
お世話になった方に贈る上等な組み合わせ商品がズラリと陳列されたのを見ながら、食品偽装、製造日捏造、賞味期限切れの改ざん問題は今年、日本列島を激震した。「大丈夫かな?」と何時もより立ち止まって、ズラリと陳列された商品をみて、選ぶ時間がいつもより長い。そんな中お前もか?期限切れヨーグルトを使用していたと東京都内マクドナルド4店が発表した。マックで親しまれているマクドナルドは愚生も家の近く(西原)スルーに孫を連れて良く利用している。おいおい!しっかりしてくれよ~
消費者の不安は募るばかりである。
寒い便りが伝えられる中、北海道の恋人と久しぶに再会した。
・・・と言っても3ヶ月振りに製造販売が再開された北海道名産「白い恋人」との再会である。(帯広の三線弟子たちが持って来てくれた)北海道銘菓は数多かれど、やっぱり白い恋人は長く親しまれた道菓子だけに、懐かしかった。



白い恋人「消費者を二度と裏切りません」「食の安全」と信頼回復を誓って3ヵ月振りの登場販売に関しては賛否両論だが、概ねデパートでは列をなすくらい好評だという。
北の朗報と言えば、もう一つ、最近北海道産の米「キタヒカリ」が非常に美味しい。
温暖化の現象か?米処・東北の気候が北上して、良質の米が北海道にもできるようになったとか、昔の道産米は「やっかいどう米」と言われ邪魔者扱いにされたそうだ。県外産米の消費が多かった25年前と比べ、今は七割も道産米が伸びているという。札幌で大ブレイクしている名物スープカレーにはインディカ米か外国産が使われているのが多いが、どうだろう。これからは道産米(ほしのゆめ、ななつぼし)でスープカレー食べるのも乙ではないか?
暗雲が垂れこもる北便り、朗報も多い。
お世話になった方に贈る上等な組み合わせ商品がズラリと陳列されたのを見ながら、食品偽装、製造日捏造、賞味期限切れの改ざん問題は今年、日本列島を激震した。「大丈夫かな?」と何時もより立ち止まって、ズラリと陳列された商品をみて、選ぶ時間がいつもより長い。そんな中お前もか?期限切れヨーグルトを使用していたと東京都内マクドナルド4店が発表した。マックで親しまれているマクドナルドは愚生も家の近く(西原)スルーに孫を連れて良く利用している。おいおい!しっかりしてくれよ~
消費者の不安は募るばかりである。
寒い便りが伝えられる中、北海道の恋人と久しぶに再会した。
・・・と言っても3ヶ月振りに製造販売が再開された北海道名産「白い恋人」との再会である。(帯広の三線弟子たちが持って来てくれた)北海道銘菓は数多かれど、やっぱり白い恋人は長く親しまれた道菓子だけに、懐かしかった。



白い恋人「消費者を二度と裏切りません」「食の安全」と信頼回復を誓って3ヵ月振りの登場販売に関しては賛否両論だが、概ねデパートでは列をなすくらい好評だという。
北の朗報と言えば、もう一つ、最近北海道産の米「キタヒカリ」が非常に美味しい。
温暖化の現象か?米処・東北の気候が北上して、良質の米が北海道にもできるようになったとか、昔の道産米は「やっかいどう米」と言われ邪魔者扱いにされたそうだ。県外産米の消費が多かった25年前と比べ、今は七割も道産米が伸びているという。札幌で大ブレイクしている名物スープカレーにはインディカ米か外国産が使われているのが多いが、どうだろう。これからは道産米(ほしのゆめ、ななつぼし)でスープカレー食べるのも乙ではないか?
暗雲が垂れこもる北便り、朗報も多い。
Posted by 大工哲弘 at
01:48
2007年07月20日
自然災害と人的被害
毎日のように報道されている中越沖地震のニュースは心が痛みます。
太平洋側は台風4号の被害、日本海側では大きな地震が起き、改めて自然災害の怖さを震撼させた先週末であった。お見舞い申し上げます!
新潟地方に起きた地震は3年前もあった。冬の大豪雪被害、そして今回の大地震はトリプルパンチ。愚生の長男の嫁姉が新潟の十日町に嫁いでいる。連絡が取れないそうだ。人事ではない。
新潟の柏崎といえば十年前を思い出す・・・
1997年・1月冬の真っ只中、東京(府中、新宿)埼玉、栃木、群馬、新潟、最終日は柏崎の藝術市民会館(1月30日)で労音主催のコンサートツアーがあった。
ちょうど、その頃といえばおおシケの日本海(島根県隠岐島沖)でロシア船籍タンカー「ナホトナカ」号の破断事故があり、重油汚染が日本海の広範囲に広がり、必死の回収活動の和は95年・阪神大震災で活かされたボランティアネットワークの活躍があった。
愚生も公演の翌朝、雪の中、バケツも持って柏崎のビーチに行き、慣れない手つきで油を地元の人に混じって拾った経験がある。日本海で一番綺麗といわれている柏崎のマリンビーチは観光地の面影もなく、重油で黒く染まっていた。ロシアからの置き土産はあまりにも代償が大きかった。
思わぬ置き土産も許されないが、人的に柏崎に建設された原子力発電所。安全性神話を保っていた耐震性や管理能力も地震でトラブルが露呈され各方面に影響を及ぼしたのも許せない。世界で唯一被爆国日本が、人的原発の脆さで放射能被災にあってはならない。「天・人災は忘れた頃にやってくる」では済まされないと思う。
柏崎のマリンビーチから見るサンセットが「日本一綺麗!」と地元の人が自慢していたのを思い出す。一日でも早く観光地として賑わいを取り戻し、綺麗なサンセットが見られる町の復興を祈る。
太平洋側は台風4号の被害、日本海側では大きな地震が起き、改めて自然災害の怖さを震撼させた先週末であった。お見舞い申し上げます!
新潟地方に起きた地震は3年前もあった。冬の大豪雪被害、そして今回の大地震はトリプルパンチ。愚生の長男の嫁姉が新潟の十日町に嫁いでいる。連絡が取れないそうだ。人事ではない。
新潟の柏崎といえば十年前を思い出す・・・
1997年・1月冬の真っ只中、東京(府中、新宿)埼玉、栃木、群馬、新潟、最終日は柏崎の藝術市民会館(1月30日)で労音主催のコンサートツアーがあった。
ちょうど、その頃といえばおおシケの日本海(島根県隠岐島沖)でロシア船籍タンカー「ナホトナカ」号の破断事故があり、重油汚染が日本海の広範囲に広がり、必死の回収活動の和は95年・阪神大震災で活かされたボランティアネットワークの活躍があった。
愚生も公演の翌朝、雪の中、バケツも持って柏崎のビーチに行き、慣れない手つきで油を地元の人に混じって拾った経験がある。日本海で一番綺麗といわれている柏崎のマリンビーチは観光地の面影もなく、重油で黒く染まっていた。ロシアからの置き土産はあまりにも代償が大きかった。
思わぬ置き土産も許されないが、人的に柏崎に建設された原子力発電所。安全性神話を保っていた耐震性や管理能力も地震でトラブルが露呈され各方面に影響を及ぼしたのも許せない。世界で唯一被爆国日本が、人的原発の脆さで放射能被災にあってはならない。「天・人災は忘れた頃にやってくる」では済まされないと思う。
柏崎のマリンビーチから見るサンセットが「日本一綺麗!」と地元の人が自慢していたのを思い出す。一日でも早く観光地として賑わいを取り戻し、綺麗なサンセットが見られる町の復興を祈る。
Posted by 大工哲弘 at
10:56
2007年06月29日
ホームソング
BEGINが「沖縄のこども達に歌える、新しい歌を作りたい」と企画提唱。
それに賛同した琉球放送と共同で4月からスタートした沖縄のホームソングは大好評だ。(毎日RBCiラジオ・RBCTVで放送しています)。
1ヵ月に一曲を一年間。県内のミュージシャンが作詞、編曲、歌唱をそれぞれが担当し沖縄の子供達に口ずさめる歌を作り出そうというプロゼクトである。
4月「♪走(は)~え~ゴンゴン」。5月「♪ユンタク・ハンタク」。6月「♪辺安名ぬマムヤー」そして、7月からのホームソングは、いよいよ愚生の登場となる。
去った4月、BEGINの優から「哲ちゃんニィニィ~こんな(ホームソング)企画があるけど歌ってくれない」・・・上等だね~!迷いもなく直ぐOK。
数日後に送られて来た曲と詞のイメージは愚生にピッタリの内容
タイトルが「ガジマル・オジィ~」。
作詞:新城俊昭 作曲:島袋優、アレンジ:内田勘太郎、リコーダ:則松いづみ、コーラス:比屋定篤子で偶然にも沖縄が記念する日「日本復帰の日5月15日」にレコーディングが行なわれました。

♪グスクの森のガジマルは 僕らの秘密の隠れ家さ 緑の梢の向こうには かわいいあの子の白い家 友達喧嘩をはじめたら ガジマル・オジィの声がする「意地ぬいじらー 手引き手―ぬいじらー意地引き」握ったゲンコツは 自分の胸にあてなさーい はぁーい ガジマル・オジィ~
(2番は割愛)
愚生が幼い頃遊んだ風景や沖縄の諺を散りばめた曲想は、教訓や倫理道徳を子供達(むしろ大人達)に分かり易く教え、後章ではヤファ~ ヤファ~と南風が吹き、ガジマルの森からキジムナーもオジィ~が唱える「命どぅ宝」を側で聞いていた・・・作詞者のモチーフといい平和へのスピリッツが伝わり嬉しい。
これからは愚生の別名「ハンカチ・オ~ジィ~」を返上して来る7月からは「ガジマル・オジィ~」に生まれ変わります。どんな県産品ホームソングなるか、楽しみだ。

因みに7月末には好評の為(4、5、6、7月分)CD化されるそうです。また7月8日(ナハの日制定日)祭りイベントには あの優歌団でお馴染みのブルースマンこと内田勘太郎さんと共演します。
勿論♪ガジマル・オジィも披露しますよ。
それに賛同した琉球放送と共同で4月からスタートした沖縄のホームソングは大好評だ。(毎日RBCiラジオ・RBCTVで放送しています)。
1ヵ月に一曲を一年間。県内のミュージシャンが作詞、編曲、歌唱をそれぞれが担当し沖縄の子供達に口ずさめる歌を作り出そうというプロゼクトである。
4月「♪走(は)~え~ゴンゴン」。5月「♪ユンタク・ハンタク」。6月「♪辺安名ぬマムヤー」そして、7月からのホームソングは、いよいよ愚生の登場となる。
去った4月、BEGINの優から「哲ちゃんニィニィ~こんな(ホームソング)企画があるけど歌ってくれない」・・・上等だね~!迷いもなく直ぐOK。
数日後に送られて来た曲と詞のイメージは愚生にピッタリの内容
タイトルが「ガジマル・オジィ~」。
作詞:新城俊昭 作曲:島袋優、アレンジ:内田勘太郎、リコーダ:則松いづみ、コーラス:比屋定篤子で偶然にも沖縄が記念する日「日本復帰の日5月15日」にレコーディングが行なわれました。

♪グスクの森のガジマルは 僕らの秘密の隠れ家さ 緑の梢の向こうには かわいいあの子の白い家 友達喧嘩をはじめたら ガジマル・オジィの声がする「意地ぬいじらー 手引き手―ぬいじらー意地引き」握ったゲンコツは 自分の胸にあてなさーい はぁーい ガジマル・オジィ~
(2番は割愛)
愚生が幼い頃遊んだ風景や沖縄の諺を散りばめた曲想は、教訓や倫理道徳を子供達(むしろ大人達)に分かり易く教え、後章ではヤファ~ ヤファ~と南風が吹き、ガジマルの森からキジムナーもオジィ~が唱える「命どぅ宝」を側で聞いていた・・・作詞者のモチーフといい平和へのスピリッツが伝わり嬉しい。
これからは愚生の別名「ハンカチ・オ~ジィ~」を返上して来る7月からは「ガジマル・オジィ~」に生まれ変わります。どんな県産品ホームソングなるか、楽しみだ。

因みに7月末には好評の為(4、5、6、7月分)CD化されるそうです。また7月8日(ナハの日制定日)祭りイベントには あの優歌団でお馴染みのブルースマンこと内田勘太郎さんと共演します。
勿論♪ガジマル・オジィも披露しますよ。
Posted by 大工哲弘 at
02:25
2007年05月09日
大胆細心!名裁配
15年前は週末になると下手な横好きで毎週草野球を楽しんでいた。
愚生の三線教室弟子で(カーペンターズ)の野球チームを結成。また職場チームにも所属し毎週末。民謡シンカ(仲間)チームとは早朝試合(民謡酒場が終るのが新聞配達時間なので、そのままグランドに行く)を明けても暮れても草野球着けの時期があった。
因みに愚生のポジションと打順は??弟子達に聞いてくれ!
野球が盛んな沖縄は各チーム、グランド確保にはいつも至難の業
困った時には糸満の水産高校サブグランドを貸してくれたのが、そこの高校の監督であった。
監督は酒も好きで安里(栄町)にある沖縄居酒屋の老舗「うりずん」には、週イチというくらい居た。細い目をギラギラさせながら楽しそうに飲んでいる監督からはグランドで魅せる厳しい面影は無く、だれからも親しめる兄貴分的存在だった。
愚生のことも「てっちゃん!」と呼んでくれて「民謡の歌い手が野球やるとは気に入った」自分のことのように喜び、可愛がられた。正月には糸満にある監督の家に呼ばれ何度も遊びにいったこともある。
「監督」とは沖縄高校野球のレベルを上げ、礎を築いた名将、裁弘義監督である。
その裁監督が先日(8日・ゴーヤーの日)合併症の為、八重瀬町にある病院で帰らぬ人となりました。
65歳(奇しくも11日の葬儀日は故監督の誕生日だそうです)
紹介するまでもなく現在も活躍している現役プロ野球界の数多い教え子達から早すぎる死を惜しむ声。各界から追悼の言葉がメディアを通して多く寄せられている。数々の栄冠を沖縄高校野球にもたらした功績は偉大なものがあった。
これからは栄町に行っても、グランドに行っても合えることはない。
監督からご生前いただいたご厚情に深謝し、心よりご冥福をお祈りいたします。合掌!
愚生の三線教室弟子で(カーペンターズ)の野球チームを結成。また職場チームにも所属し毎週末。民謡シンカ(仲間)チームとは早朝試合(民謡酒場が終るのが新聞配達時間なので、そのままグランドに行く)を明けても暮れても草野球着けの時期があった。
因みに愚生のポジションと打順は??弟子達に聞いてくれ!
野球が盛んな沖縄は各チーム、グランド確保にはいつも至難の業
困った時には糸満の水産高校サブグランドを貸してくれたのが、そこの高校の監督であった。
監督は酒も好きで安里(栄町)にある沖縄居酒屋の老舗「うりずん」には、週イチというくらい居た。細い目をギラギラさせながら楽しそうに飲んでいる監督からはグランドで魅せる厳しい面影は無く、だれからも親しめる兄貴分的存在だった。
愚生のことも「てっちゃん!」と呼んでくれて「民謡の歌い手が野球やるとは気に入った」自分のことのように喜び、可愛がられた。正月には糸満にある監督の家に呼ばれ何度も遊びにいったこともある。
「監督」とは沖縄高校野球のレベルを上げ、礎を築いた名将、裁弘義監督である。
その裁監督が先日(8日・ゴーヤーの日)合併症の為、八重瀬町にある病院で帰らぬ人となりました。
65歳(奇しくも11日の葬儀日は故監督の誕生日だそうです)
紹介するまでもなく現在も活躍している現役プロ野球界の数多い教え子達から早すぎる死を惜しむ声。各界から追悼の言葉がメディアを通して多く寄せられている。数々の栄冠を沖縄高校野球にもたらした功績は偉大なものがあった。
これからは栄町に行っても、グランドに行っても合えることはない。
監督からご生前いただいたご厚情に深謝し、心よりご冥福をお祈りいたします。合掌!
Posted by 大工哲弘 at
02:34
2007年04月09日
広島1
コンサートで行く先々・その土地の民謡を成る丈うたうようにしている。
何故なら民謡は歴史や風土・生活感が漂い、民衆の中から湧き出た血や魂が込められていて一番分かり易い資料となるからである。
また 愚生が下手な横付けでも大和歌を歌う精神は「ワームン ジョウトゥ、ヤームヌンジョウトゥ」(我々沖縄の歌も上等だけど、あなた方の民謡も上等だよ~)その交流心をもって歌うと相手も心を開いてくれる雰囲気があるから、その土地の民謡は上等と考え良く歌わせて貰っている。
しかし 残念だけど最近地元の民謡を歌ってもご当地歌を知らない地元の人が多く、やり難いところもある。大切な無形の財産は無用な長物か?なんかモッタイナイないような気がする
先月 東広島でコンサートを終え帰り道、広島を代表する名曲「音戸の船歌」の歌碑がある呉市に弟子の井口さんに連れて行ってもらった。
無伴奏で櫓櫂を漕ぎながら河をゆったり渡るようなしぐさで朗々と歌う「音戸の舟唄」は情緒があって大好きな歌の一つです。

ヤーレーナー
♪船頭可愛いや 音戸の瀬戸はよ 一丈五尺のヤーレー櫓はしわるよ
♪泣いてくれるな出船のときはよ 沖で櫓櫂のヤーレー手がしぶるよ
♪男伊達すりゃ 音戸の瀬戸のよ 潮の流れを ヤーレーナ止めて見しょよ
♪ここは音戸の瀬戸 清盛塚のよー 岩に渦潮ヤーレーナどんど当るよ
今は立派な大橋が架かっているが、昔は安芸郡音戸町(倉橋島)とその対岸呉市警固屋(けごや)間の水路は90メートル幅の主要航路の潮流は急だったので渡るのに困難とされていた。船頭さんの男粋や別れの辛さを歌った舟唄ではないかと歌詞から推測される。
音戸の瀬戸は平清盛が開削されたと伝えられ、現地に清盛資料館などもあったが、新幹線の出発時間が迫ったので次回ジックリ訪館し勉強させてもらう楽しみを残し音戸町を後にした。
何故なら民謡は歴史や風土・生活感が漂い、民衆の中から湧き出た血や魂が込められていて一番分かり易い資料となるからである。
また 愚生が下手な横付けでも大和歌を歌う精神は「ワームン ジョウトゥ、ヤームヌンジョウトゥ」(我々沖縄の歌も上等だけど、あなた方の民謡も上等だよ~)その交流心をもって歌うと相手も心を開いてくれる雰囲気があるから、その土地の民謡は上等と考え良く歌わせて貰っている。
しかし 残念だけど最近地元の民謡を歌ってもご当地歌を知らない地元の人が多く、やり難いところもある。大切な無形の財産は無用な長物か?なんかモッタイナイないような気がする
先月 東広島でコンサートを終え帰り道、広島を代表する名曲「音戸の船歌」の歌碑がある呉市に弟子の井口さんに連れて行ってもらった。
無伴奏で櫓櫂を漕ぎながら河をゆったり渡るようなしぐさで朗々と歌う「音戸の舟唄」は情緒があって大好きな歌の一つです。

ヤーレーナー
♪船頭可愛いや 音戸の瀬戸はよ 一丈五尺のヤーレー櫓はしわるよ
♪泣いてくれるな出船のときはよ 沖で櫓櫂のヤーレー手がしぶるよ
♪男伊達すりゃ 音戸の瀬戸のよ 潮の流れを ヤーレーナ止めて見しょよ
♪ここは音戸の瀬戸 清盛塚のよー 岩に渦潮ヤーレーナどんど当るよ
今は立派な大橋が架かっているが、昔は安芸郡音戸町(倉橋島)とその対岸呉市警固屋(けごや)間の水路は90メートル幅の主要航路の潮流は急だったので渡るのに困難とされていた。船頭さんの男粋や別れの辛さを歌った舟唄ではないかと歌詞から推測される。
音戸の瀬戸は平清盛が開削されたと伝えられ、現地に清盛資料館などもあったが、新幹線の出発時間が迫ったので次回ジックリ訪館し勉強させてもらう楽しみを残し音戸町を後にした。
Posted by 大工哲弘 at
22:59
2007年03月01日
ゴッタン

「ゴッタン」という楽器を初めて知ったのは1983年、愚生の「ゆんたしょーら」第一回リサイタルを労働福祉会館(後に東町会館・現在は県立郷土劇場)で開催した記念にLPアルバム「ゆんたしょーら」を制作・リリースしてくれたプロデューサー(CBSソニー)の三須純平氏が鹿児島でゴッタンという幻の楽器を弾く盲目瞽女・荒武タミさんを77年・LPレコードで世に紹介してから、ゴッタンという謎の三味線を知った。
翌年の78年、沖縄労働福祉会館で荒武タミさんは始めて公演されている。愚生もその会場に居た。
荒武タミさんは鹿児島県福山市(現霧島)比曽木野に生まれ、5歳の時にハシカがもとで失明。7歳の時に父を失い。16歳で母とも死別。13歳の時2ヶ月ほど三味線の師匠についた。生活苦のあまり、18歳になると三味線を抱え、こっそりと門付けもして歩く、19歳の秋に三味線の師匠として立つ。当時絶えてしまったと思われていたゴッタンを演奏しつづけた。昭和52年・南日本新聞文化賞受賞する。残念ながら平成4年(1992)4月に死去した。明治44年生まれ。81歳。


潮枯れたタミさんのもの悲しい歌声にゴッタンの寂響する絃の音は三味線というよりリュートのような素朴な共鳴の音が心に凍みたのを覚えている。
♪はんやはんやで半年しゃくれたナ後の半年しゃ サマ寝て暮らす
どっかからな鹿児島からな
♪あたしゃなぁ あたしゃな おまいさんにどうやら こうやら縁があるやら
さま惚れたやら
♪島はなぁ島はなぁ島はうとても(歌っても)まだ夜は夜中中心静かにさま寝ておじゃれ
タミさんが歌う「ハンヤ節」である。
ここで紹介できないくらい超色っぽい歌詞がたくさんあるが・・・
割愛をさせてもらう
ゴッタンとは「板三味線」「箱三味線」という別名もあるが、大和の三味線も黒檀や紫檀は最高の棹材料である。ゴッタンはこれにも及ばないからコクタンをモジッテ「ゴッタン」という名前が付けられた。説と「ゴツイ」=「タン」はバカスッタン、スカタン、アンポンタンのタンで「ごくつ不細工なもの」という意味の造語ではないかと云う説もある。

↑実際 荒武タミさんが使用していたゴッタン(大工コネクション)
そのゴッタンも第二次世界大戦後、またたく間に消失した。板ということもあってタキギに使われ哀れな運命をたどったのも消失要因になったのでしょう
幻の板三味線は、タミさんの活動や三須氏のレコード出版により、ゴッタンが甦り、世に紹介され身軽なゴツイ楽器として現在は普及の一途にある。
来る3月4日(さんしんの日)はゴッタンを演奏し九州民謡の普及に努めている、竹内和正さん(宮崎在)夫婦がメイン会場の読谷村文化センター・鳳ホールでゴッタン演奏と宮崎民謡を演奏披露してくれる。
楽しみな「さんしんの日」です。
Posted by 大工哲弘 at
15:02
2007年01月23日
辰野の風
信州・長野県・辰野町に三浦久氏(フォークシンガー・英訳者)が経営するライブハウス「オーリアッド」で昨年もライブをさせて貰った。
ライブ終了後は三浦さんの奥さんが地元信州で取れた新鮮な野菜や特産物を活かした手料理が楽しみである。定番になった打ち上げは三浦さんの独演会が始まる。昨年は新しく作曲したという「千の風」も発表くれた。

作詞・作曲の経緯は2003年11月12日三浦さんの母(92才)が亡くなった。
母が亡くなる一週間前から毎朝同じ時間に家のデッキや木に鳥がとまっている。
その鳥が来なくなると母は大往生。母の魂は鳥になって飛んでいったという。
元々オリジナルの歌詞1番(風)2番(光)は仕上がっていたのですが母の死から3番(鳥)という歌詞が生まれ、自然と「千の風」の作詞作曲ができたという。
<三浦さんの詩>
1、私の墓の前に立ち 涙流さないで
私はその石の下に、眠ってはいません
私は風、千の風、大空を吹き渡る
お前がどこにいようとも おまえの側にいるよ
春は名のみの風の中に 夏の緑の草原に
金色に揺れる稲穂の波に きらめき踊る風花にも
2、私の墓の前に立ち、涙流さないで
私はその石の下に 眠ってはいません
私は光 千の光 いつもおまえの側にいるよ
どんなに暗い道を行こうと おまえを照らしているよ
3、私の墓の前に立ち 涙流さないで
私はその石の下に 眠ってはいません
私は鳥 千の鳥 いつもおまえの側にいるよ
耳を澄ませば聞こえるでしょう おまえを呼ぶ声が
だから、私の墓の前に立ち 涙流さないで
私はその石の下に 眠ってはいません
歌った後 三浦さんから「是非 大工さんも歌って欲しい!」CDを貰った。


同じ「千の風」で秋川雅史が大ブレイクしている。NHK紅白に出場したのが反響を呼び(12日現在)オリコンシングルチャート1位を獲得したという。
クラシック出身の歌手としては初めての快挙。三浦さんの曲は秋川氏の歌った曲とはまったく異なるが。詩も三浦久の詩訳とは若干違う。原作者の詩はアメリカの女性メアリー・フライ(主婦だった)1905年。2004年9月に没(享年99歳)♪私の墓の前で 泣かないでください そこに私はいません 死んでなんかいません(眠ってなんかいません)・・・・
心に沁みる「千の風」はこれからも多くの人に口ずさまれていくでしょう?
喜納昌吉の「花」だってビギンの「涙そうそう」だって 他の歌い手がカバーしてヒットした経緯を考えると「千の風」もいろんな人が歌って欲しいな
愚生もいつか三浦久さんの詩と曲の「千の風」を歌って見たい。

ライブ終了後三浦さんのオーリアッドで↑
ライブ終了後は三浦さんの奥さんが地元信州で取れた新鮮な野菜や特産物を活かした手料理が楽しみである。定番になった打ち上げは三浦さんの独演会が始まる。昨年は新しく作曲したという「千の風」も発表くれた。

作詞・作曲の経緯は2003年11月12日三浦さんの母(92才)が亡くなった。
母が亡くなる一週間前から毎朝同じ時間に家のデッキや木に鳥がとまっている。
その鳥が来なくなると母は大往生。母の魂は鳥になって飛んでいったという。
元々オリジナルの歌詞1番(風)2番(光)は仕上がっていたのですが母の死から3番(鳥)という歌詞が生まれ、自然と「千の風」の作詞作曲ができたという。
<三浦さんの詩>
1、私の墓の前に立ち 涙流さないで
私はその石の下に、眠ってはいません
私は風、千の風、大空を吹き渡る
お前がどこにいようとも おまえの側にいるよ
春は名のみの風の中に 夏の緑の草原に
金色に揺れる稲穂の波に きらめき踊る風花にも
2、私の墓の前に立ち、涙流さないで
私はその石の下に 眠ってはいません
私は光 千の光 いつもおまえの側にいるよ
どんなに暗い道を行こうと おまえを照らしているよ
3、私の墓の前に立ち 涙流さないで
私はその石の下に 眠ってはいません
私は鳥 千の鳥 いつもおまえの側にいるよ
耳を澄ませば聞こえるでしょう おまえを呼ぶ声が
だから、私の墓の前に立ち 涙流さないで
私はその石の下に 眠ってはいません
歌った後 三浦さんから「是非 大工さんも歌って欲しい!」CDを貰った。


同じ「千の風」で秋川雅史が大ブレイクしている。NHK紅白に出場したのが反響を呼び(12日現在)オリコンシングルチャート1位を獲得したという。
クラシック出身の歌手としては初めての快挙。三浦さんの曲は秋川氏の歌った曲とはまったく異なるが。詩も三浦久の詩訳とは若干違う。原作者の詩はアメリカの女性メアリー・フライ(主婦だった)1905年。2004年9月に没(享年99歳)♪私の墓の前で 泣かないでください そこに私はいません 死んでなんかいません(眠ってなんかいません)・・・・
心に沁みる「千の風」はこれからも多くの人に口ずさまれていくでしょう?
喜納昌吉の「花」だってビギンの「涙そうそう」だって 他の歌い手がカバーしてヒットした経緯を考えると「千の風」もいろんな人が歌って欲しいな
愚生もいつか三浦久さんの詩と曲の「千の風」を歌って見たい。

ライブ終了後三浦さんのオーリアッドで↑
Posted by 大工哲弘 at
01:58
2007年01月15日
世界を繋ぐ空
♪「太陽(てぃだ)アカラ 波キララ」作詞:外間完邦・外間完人 作曲:宮沢和史(THE BOOM)の歌を知っているだろうか?
知らない人も多いと思うので書き留めたい。
1995年と云えば沖縄戦終結から50年節目ということで、沖縄戦から得たもの、また 失ったものもある。廃墟の中からも生きる勇気を与えてくれたのがウチナーの<うた・三線>であった。
灰の中から宝を拾うように沖縄魂が三線に乗り移り三線の花を咲かせ生き抜いた戦後50年、沖縄から恒久平和を発信し大切な肝心を次世代へ?げようと3000人三線で大合奏するという大イベント「天に響め!さんしん3000」が1995年8月26日奥武山運動公園でありました。

3000人で歌え弾ける民謡曲も選曲、外に戦後50年に相応しい新しいメッセージソングも作ろうという企画案があった。
詩は那覇市(主催)が一般から公募をした2450点の中から故外間完邦さんと長男の完人さんの「太陽(てぃだ)アカラ 波キララ」親子共作が優秀作として採用された。(愚生も審査員であった)
作曲は当時「島唄」などで人気絶頂であった宮沢和史(THE BOOM)に作曲を依頼し「太陽アカラ 波キララ」の曲が仕上がった。

この歌を3000人で歌えるように音源を頼りに三線の工工四に書き換る作業を愚生が受け持った。
仕上がった工工四を一人でも多くに人に馴染んでもらおうと那覇市の各公民館・老人ホームを毎日巡回してオジィ・オバァを指導した。
これが至難の業であった。
年配の方は「大和歌小や弾ちぐりさぬ!」<日本語の歌は弾き辛い>リズム・節回しも難しいと言って簡単に馴染んで貰えなかった。(逆に若者達は「島唄」効果もあり簡単に弾けた)
そうして 3ヵ月余り猛稽古の成果があってオジィ・オバァも歌えるようになり、本番の奥武山運動公園には2万人の観衆も集まり3000人がグランドのスタンドで「かじゃでぃ風節」から「祝節」「安波節」「御縁節」「辺野喜節」「鷲ぬ鳥」「なりやまあやぐ」「屋嘉節」を弾いた後、 最後は会場・ステージが一体となり「太陽 アカラ 波キララ」を大合唱演奏した。
♪きれいな花が咲いたよ ずっと枯れない花だよ 送りたい 愛する貴方へ
♪きれいな鳥が鳴いたよ ずっと消えない声だよ 届けたい 見知らぬ貴方へ
♪南の島の 祈りを込めて 三線に声あわせ高らかに 高らかに
青い空に響(とよ)ませて 太陽アカラ 波キララ 世界をつなぐ空ひとつ

↑沖縄市で撮った今日の空
「世界をつなぐ空は」いつまでも平和をつなぐ空間であって欲しいと誰しも願っていることでしょう!
戦後50年、70年、いや100年も幾年も戦後を続けることが戦争元年に繋がらないことだと思う・・・だが 最近日本政府の動向を見ていると何か“きな臭く”感じるのは愚生一人であろうか?
平和のメッセージソング「太陽アカラ・波キララ」の作詞者・外間完邦さんが先週12日脳梗塞のため他界されました。70歳
心からご冥福をお祈りいたします。合掌
完邦さんの心を繋ぐためにも「太陽アカラ 波キララ」を歌い継ぎたいと思います。
知らない人も多いと思うので書き留めたい。
1995年と云えば沖縄戦終結から50年節目ということで、沖縄戦から得たもの、また 失ったものもある。廃墟の中からも生きる勇気を与えてくれたのがウチナーの<うた・三線>であった。
灰の中から宝を拾うように沖縄魂が三線に乗り移り三線の花を咲かせ生き抜いた戦後50年、沖縄から恒久平和を発信し大切な肝心を次世代へ?げようと3000人三線で大合奏するという大イベント「天に響め!さんしん3000」が1995年8月26日奥武山運動公園でありました。

3000人で歌え弾ける民謡曲も選曲、外に戦後50年に相応しい新しいメッセージソングも作ろうという企画案があった。
詩は那覇市(主催)が一般から公募をした2450点の中から故外間完邦さんと長男の完人さんの「太陽(てぃだ)アカラ 波キララ」親子共作が優秀作として採用された。(愚生も審査員であった)
作曲は当時「島唄」などで人気絶頂であった宮沢和史(THE BOOM)に作曲を依頼し「太陽アカラ 波キララ」の曲が仕上がった。

この歌を3000人で歌えるように音源を頼りに三線の工工四に書き換る作業を愚生が受け持った。
仕上がった工工四を一人でも多くに人に馴染んでもらおうと那覇市の各公民館・老人ホームを毎日巡回してオジィ・オバァを指導した。
これが至難の業であった。
年配の方は「大和歌小や弾ちぐりさぬ!」<日本語の歌は弾き辛い>リズム・節回しも難しいと言って簡単に馴染んで貰えなかった。(逆に若者達は「島唄」効果もあり簡単に弾けた)
そうして 3ヵ月余り猛稽古の成果があってオジィ・オバァも歌えるようになり、本番の奥武山運動公園には2万人の観衆も集まり3000人がグランドのスタンドで「かじゃでぃ風節」から「祝節」「安波節」「御縁節」「辺野喜節」「鷲ぬ鳥」「なりやまあやぐ」「屋嘉節」を弾いた後、 最後は会場・ステージが一体となり「太陽 アカラ 波キララ」を大合唱演奏した。
♪きれいな花が咲いたよ ずっと枯れない花だよ 送りたい 愛する貴方へ
♪きれいな鳥が鳴いたよ ずっと消えない声だよ 届けたい 見知らぬ貴方へ
♪南の島の 祈りを込めて 三線に声あわせ高らかに 高らかに
青い空に響(とよ)ませて 太陽アカラ 波キララ 世界をつなぐ空ひとつ

↑沖縄市で撮った今日の空
「世界をつなぐ空は」いつまでも平和をつなぐ空間であって欲しいと誰しも願っていることでしょう!
戦後50年、70年、いや100年も幾年も戦後を続けることが戦争元年に繋がらないことだと思う・・・だが 最近日本政府の動向を見ていると何か“きな臭く”感じるのは愚生一人であろうか?
平和のメッセージソング「太陽アカラ・波キララ」の作詞者・外間完邦さんが先週12日脳梗塞のため他界されました。70歳
心からご冥福をお祈りいたします。合掌
完邦さんの心を繋ぐためにも「太陽アカラ 波キララ」を歌い継ぎたいと思います。
Posted by 大工哲弘 at
17:13
2007年01月01日
島唄コラム・元旦 DJ

↑「波の上宮」の初詣で
皆様 明けまして おめでとうございます!新しい亥年の幕が開きました。
元旦に相応しく島唄コラムの初お輿(はちうく)しは「沖縄三大正月歌」を特集して見たいと思います
オープニングの座開きはやっぱり「正月かじゃでぃ風節」です。
♪粗玉(あらたま)る年に炭(たん)とぅ昆布飾(くぶかじゃ)てぃ 心から姿若くなゆさ
<新年になると 胆と喜ぶという(語呂合わせで)縁起を祝い 炭と昆布を飾り心も姿も若くなったような気がする>

↑我が家のこだわり
さて 2曲目は八重山の正月の歌で「鷲(ばすぃ)ぬ鳥節」で嘉利(かりー)をつけましょう!
♪綾羽(あやぱに)ば産(まら)しょうり びる羽ば生(すぃ)だしょうり
♪正月ぬ早朝(すぃとぅむでぃ)でぃ 元旦ぬ朝端(あさぱな)
♪東から飛びつけ 太陽ばかめ舞いつけ
♪大大和ぬ島(うふやまとぅぬすぃま)ん飛びつけ やすらりんぬ国ん舞つけ
<卵から綾をなした子鷲を孵化し綺麗な羽をした子鷲が育ち、正月の黎明、元旦の朝ぼらけ、大和の国へ子鷲を従えて飛び立っていった>

↑我が家の門松
3曲目は宮古島の正月唄です
普通は「とーがにあやぐ」でもいいのですが、やっぱり正月らしく目出度く「正月ぬあやぐ」を紹介しましょう
♪正月ぬ参(んみゃ)たりゃどぅよホーイー 新年ぬ参たりゃどぅよ
♪我巣出(ばんすでぃ)すしゃくどぅ思うよホーイー 羽や生い飛びしゃくよ
♪大瀬(うふし)だき吾が父よホーイー根岩だき吾が母よ
<正月迎えたので我は生まれ変って若返るほどに羽が生えて飛び立つほどだよ、大岩の如く我が父よ根岩の如く我が母よ 宮古島の続く限り親よ居座ってくれ>
雄大でかつ壮厳な曲にのせて沖縄・八重山・宮古島と3題の正月代表歌を聞いていただきましたが、いかがでしたでしょうか?
音にしてお聞かせできないのが残念でしたが・・・近い将来ブログが進化して同時に声も聞かせられる時代が来るかも知れませんね?
スミマセン ちょっと横道にそれましたが・・・苦難な歴史年にも乗り越え耐え忍んできた力強い歌を生み出した先人の知恵を学び、かつ歌心を生活の中に少しでも生かし喜怒哀楽に生き、大いに飛翔できるよう、がんばって活きたいですね。
そろそろ「正月歌3大歌」のお別れの時間ですが、最後までお付き合いありがとうございまいした!
エンディングは八重山のミルク節を聞きながらお別れです。
予祝を願い再会を誓いあう歌です。
♪大国ぬミルク我が島にいもち うかきぶせみしょり 島ぬ主(あるじ)
・・・いよいよ閉幕です。
今年は平和世で豊年世も祈念し 亥々年(いいとし)になるよう 皆さんと共に願いましょう
どうぞ 今年も「島うたコラム」宜しくお願いします!
来年・2008年子年の元旦までお元気で・・・さようなら
Posted by 大工哲弘 at
19:54
2006年12月31日
行く年・来る年
今年も後数時間となった、2006愚生の重大ニュース回顧録
3月付けで長年(36年間)勤めた那覇市役所を勧奨退職し音楽活動に専念できる生活環境を整えたのが今年一番重大な出来事だった。
音楽活動の始めは永原元(パーカッション)と道中東(札幌、小樽、芦別、釧路、佐呂間、帯広)を5月春爛漫な時期にミニキャラバンカーで廻りライブを実現できたことだ。 ライブ終了後は その土地の人たちとの心温まる交流があるから、地方ライブはやめられないのである。むしろ これを演りたかったから フリターになったと言っても過言ではない。
7月にはジンタシリーズ第3弾「ジンターランド」CDをオフノートからリリースし、大阪チンドン通信社と東京、名古屋、京都、大阪ライブを 林幸次郎さん率いるチンドン一行とこれまたキャラバンカーで同乗し巡回できたことも楽しかった。
また ソロライブでは始めてライブをやった大阪(野崎観音)や甲府の「桜座」は一番印象に残っている。「あまんじゃく」の今村さんには大変お世話になった。
また 尊敬していた故竹中労セェンセイの妹が管理している父・故竹中英太郎記念館を訪問出来たことも嬉しかった。
今年自然災害が日本列島各地を襲ったのを象徴するかのように大洪水が起きた直後(7月22日)に長野(辰野町)ライブも印象に残る
今年から全国の大工ネットが出張で各地へ移動教室とは別途に個人的に沖縄に来て三線の稽古を面授する三線兄弟が増えたことも 特筆であろう。
プライベートでは亡き父・善三郎の大焼香(うふしょうっこう・33年忌)の法事を済ませたことだ。親がいて愚生がいる。 これは一番大事な回顧録と記したい。
いろいろあった2006年 皆さんにとっては どんな年でしたでしょうか?
♪「月日(つぃちふぃ)走(は)い過(すぃ)ぢてぃ一夜(いちや)隔(ひ)ざみたる 年ぬ中垣(なかがち)ん今宵(くゆい)なたさ」
<月日も走るように過ぎてきたが一夜隔ての(旧年と新年)垣根(大晦日)も今宵になったね>

今年一年 拙い「島唄コラム」ありがとうございました!!
良い年をお迎えください。
3月付けで長年(36年間)勤めた那覇市役所を勧奨退職し音楽活動に専念できる生活環境を整えたのが今年一番重大な出来事だった。
音楽活動の始めは永原元(パーカッション)と道中東(札幌、小樽、芦別、釧路、佐呂間、帯広)を5月春爛漫な時期にミニキャラバンカーで廻りライブを実現できたことだ。 ライブ終了後は その土地の人たちとの心温まる交流があるから、地方ライブはやめられないのである。むしろ これを演りたかったから フリターになったと言っても過言ではない。
7月にはジンタシリーズ第3弾「ジンターランド」CDをオフノートからリリースし、大阪チンドン通信社と東京、名古屋、京都、大阪ライブを 林幸次郎さん率いるチンドン一行とこれまたキャラバンカーで同乗し巡回できたことも楽しかった。
また ソロライブでは始めてライブをやった大阪(野崎観音)や甲府の「桜座」は一番印象に残っている。「あまんじゃく」の今村さんには大変お世話になった。
また 尊敬していた故竹中労セェンセイの妹が管理している父・故竹中英太郎記念館を訪問出来たことも嬉しかった。
今年自然災害が日本列島各地を襲ったのを象徴するかのように大洪水が起きた直後(7月22日)に長野(辰野町)ライブも印象に残る
今年から全国の大工ネットが出張で各地へ移動教室とは別途に個人的に沖縄に来て三線の稽古を面授する三線兄弟が増えたことも 特筆であろう。
プライベートでは亡き父・善三郎の大焼香(うふしょうっこう・33年忌)の法事を済ませたことだ。親がいて愚生がいる。 これは一番大事な回顧録と記したい。
いろいろあった2006年 皆さんにとっては どんな年でしたでしょうか?
♪「月日(つぃちふぃ)走(は)い過(すぃ)ぢてぃ一夜(いちや)隔(ひ)ざみたる 年ぬ中垣(なかがち)ん今宵(くゆい)なたさ」
<月日も走るように過ぎてきたが一夜隔ての(旧年と新年)垣根(大晦日)も今宵になったね>

今年一年 拙い「島唄コラム」ありがとうございました!!
良い年をお迎えください。
Posted by 大工哲弘 at
01:56
2006年12月26日
キリシタン
沖縄にクリスチャンとはまったく関係ないが 昔から「キリシタン祭り」という行事が残っているという村があった。
名護市は久志区である。今日平成18年度の「切支丹」まつりが区民総出の元 久志公民館で今夕(25)開催された。
「久志村誌」によると前年11月9日から当日迄に生まれた幼児を部落事務所に集め、部落総員参加の下に酒宴を開き、子供達の前途を祝福する行事がキリシタンまつりと記されている。
知識不足で そんな素晴らしい祭りが沖縄にあるとはまったく知りませんでした
その祭りのアトラクションで招かれ今年2006年最後のライブを公民館で演ってきました。

クリスマスだからと言って幕開けはジングルベルでもなければクリスマスの歌でもない。
やっぱり ♪かじゃでぃ風節

↑♪谷茶前を踊る平安山裕子/西村綾乃

↑♪加那よー天川を踊る宮城昭博/東江祐吉

この行事は 旧藩時代基督教の取り締まりが厳しく行なわれていた時代。切支丹宗門改帳が各村で作成させられ、11月10日該当児の記名をなくして首里王庁の大興座(当時の戸籍役場)に提出する日で記帳後に行なわれた祝宴をキリシタンチョウーと称し、切支丹禁制に起因したのは遺風であると記され当区ではキリシタン祝には該当する子供の家庭は心盛り(シンムイ)と称し、沢山ご馳走を山盛りにして供応し村屋で区民総出でのお祝いが昔は行なわれていたそうです。最近は折り詰めが該当家庭に配られるようになった。
戦後になって旧暦11月9日に開催されていたが 現在はクリスマスの25日に行なわれるようになったそうです。
今年の平成18年度は13名の可愛い子供達が祝福を受けた。可愛い!!

キューバ独立の英雄ホセ・マルティさんも、「子供は世界の希望であり、愛することを知る存在」子供が強く健康に成長し、自由な大人になれるよう環境を整えるのも大人の責任・・・」と
本当に子供は島・国の宝、すくすく育って欲しいと願っています。
久志公民館長の島袋さんお世話になりました。 ありがとうございました!!
名護市は久志区である。今日平成18年度の「切支丹」まつりが区民総出の元 久志公民館で今夕(25)開催された。
「久志村誌」によると前年11月9日から当日迄に生まれた幼児を部落事務所に集め、部落総員参加の下に酒宴を開き、子供達の前途を祝福する行事がキリシタンまつりと記されている。
知識不足で そんな素晴らしい祭りが沖縄にあるとはまったく知りませんでした
その祭りのアトラクションで招かれ今年2006年最後のライブを公民館で演ってきました。

クリスマスだからと言って幕開けはジングルベルでもなければクリスマスの歌でもない。
やっぱり ♪かじゃでぃ風節

↑♪谷茶前を踊る平安山裕子/西村綾乃

↑♪加那よー天川を踊る宮城昭博/東江祐吉

この行事は 旧藩時代基督教の取り締まりが厳しく行なわれていた時代。切支丹宗門改帳が各村で作成させられ、11月10日該当児の記名をなくして首里王庁の大興座(当時の戸籍役場)に提出する日で記帳後に行なわれた祝宴をキリシタンチョウーと称し、切支丹禁制に起因したのは遺風であると記され当区ではキリシタン祝には該当する子供の家庭は心盛り(シンムイ)と称し、沢山ご馳走を山盛りにして供応し村屋で区民総出でのお祝いが昔は行なわれていたそうです。最近は折り詰めが該当家庭に配られるようになった。
戦後になって旧暦11月9日に開催されていたが 現在はクリスマスの25日に行なわれるようになったそうです。
今年の平成18年度は13名の可愛い子供達が祝福を受けた。可愛い!!

キューバ独立の英雄ホセ・マルティさんも、「子供は世界の希望であり、愛することを知る存在」子供が強く健康に成長し、自由な大人になれるよう環境を整えるのも大人の責任・・・」と
本当に子供は島・国の宝、すくすく育って欲しいと願っています。
久志公民館長の島袋さんお世話になりました。 ありがとうございました!!
Posted by 大工哲弘 at
00:58
2006年12月23日
柳節と墓の祝
八重山では人間が住む家を「前ぬ家」<まいぬやー>終の住み家「墓」を「後ぬ家」<しぃぬやー>として呼び分けている。

石垣在の朋友(當山・同級生)が後の家を新築完成させたという事で祝嘉利(かりー)を付けに故郷・石垣に蜻蛉返りで行ってきました。
墓の中に納骨する前に三線で落成の喜びと、此れまでの苦労をねぎらって「墓祝事」の歌詞で歌う↓
●土(つぃち)ん引(ふぃ)ち美(ぢゅ)らしゃ 石(いし)ん居(ゐ)し美(ちゅ)らしゃ、風(ふん)水(し)真(ま)塚(ちか)根(に)ぬ 向(ん)けぬ美らしゃ(かじゃでぃ風節)
●白銀(なんぢゃ)森(むい)くさてぃ 黄金森前(くがにむいめ)なち、風水真塚根ぬ 居ちょる美らさ(恩納節)
●まかやかやぶちや かいやどぅどぅやゆる、風水真塚根や 末代(まちで)までぃん(辺野喜節)
●五(いち)ぬ錠(さし)うるち 七(なな)ぬ錠うるち、風水真塚根ぬ 止(とど)めさびら(止めかじゃでぃ風節)
納骨し墓の門口を閉めてご馳走のお供えが終えたら 今度は祈祷歌「柳・天川節・チルン節」で邪気を払い墓主の子孫繁栄と健康を願う意味で長々と唱う。

♪柳は緑、花は紅、人はただ情け、梅は匂い(柳節)
人間の自然体を歌った柳節は八重山でも墓の落成や家の棟上式にも必ず演奏された歌であったが最近は、簡略化されテープ「柳節」を流して行なう処も増えてきた。その理由として家のすべてコンクリート建設とされお墓地も段々狭くなり大勢招待して昔風の祝ができなくなってきているということもあるでしょう
ですから うた・三線で柳節を歌い嘉利をつける墓祝は最近稀である。
↓儀式的な柳の歌の演奏が終ると その後は普段の祝座で歌う歌で雰囲気を盛り上げる
石垣在の新垣重雄氏と同級生の森田佐知夫(太鼓)

以前の八重山は1日と15日に朝親子ラジオから必ず流れる柳節でその月の「物除く」<むんぬき>としても生活に密着していた歌であった。
琉歌体が8886の30音を定形とするのに、柳節は口説節調に、7786の28音で構成されているのは和歌の影響が大であることが解る。その例として似たような歌詞がある。
♪梅は匂いよ木立は要らぬ 人は心よ姿は要らぬ。
♪梅は匂いよ桜は花よ 人は心よ振り要らぬ。
今年も残すところ9日である。
「柳節」を歌い嫌物を払い 人間自然体で無事無難に過ごし新年を向えたいものです。

発電をつけ夜晩くまで祝はつづく・・・愚生は飛行機の時間まで
↓料理は特別に猪鍋とバーベキュウが振舞われた。実に美味かった!


追伸:
今年 八重山商工が甲子園で活躍した一人に金城長靖くんがいた。その父と墓の祝座でも野球談義で花が咲いた。「卒業後は沖電に就職が決まっているが、大阪の皆さんは「阪神タイガースに入って欲しい」と願ってましたよ~と伝えると、どうしても本人の希望で それを尊重したいと父も語っていました。
長靖本人も墓に着てましたけど、愚生が三線弾いて居る間に帰ってしまった。

晴天の元 盛大で素晴らしい墓の祝(よい)でした。末代までも當山家の繁栄を祈っています。

石垣在の朋友(當山・同級生)が後の家を新築完成させたという事で祝嘉利(かりー)を付けに故郷・石垣に蜻蛉返りで行ってきました。
墓の中に納骨する前に三線で落成の喜びと、此れまでの苦労をねぎらって「墓祝事」の歌詞で歌う↓
●土(つぃち)ん引(ふぃ)ち美(ぢゅ)らしゃ 石(いし)ん居(ゐ)し美(ちゅ)らしゃ、風(ふん)水(し)真(ま)塚(ちか)根(に)ぬ 向(ん)けぬ美らしゃ(かじゃでぃ風節)
●白銀(なんぢゃ)森(むい)くさてぃ 黄金森前(くがにむいめ)なち、風水真塚根ぬ 居ちょる美らさ(恩納節)
●まかやかやぶちや かいやどぅどぅやゆる、風水真塚根や 末代(まちで)までぃん(辺野喜節)
●五(いち)ぬ錠(さし)うるち 七(なな)ぬ錠うるち、風水真塚根ぬ 止(とど)めさびら(止めかじゃでぃ風節)
納骨し墓の門口を閉めてご馳走のお供えが終えたら 今度は祈祷歌「柳・天川節・チルン節」で邪気を払い墓主の子孫繁栄と健康を願う意味で長々と唱う。

♪柳は緑、花は紅、人はただ情け、梅は匂い(柳節)
人間の自然体を歌った柳節は八重山でも墓の落成や家の棟上式にも必ず演奏された歌であったが最近は、簡略化されテープ「柳節」を流して行なう処も増えてきた。その理由として家のすべてコンクリート建設とされお墓地も段々狭くなり大勢招待して昔風の祝ができなくなってきているということもあるでしょう
ですから うた・三線で柳節を歌い嘉利をつける墓祝は最近稀である。
↓儀式的な柳の歌の演奏が終ると その後は普段の祝座で歌う歌で雰囲気を盛り上げる
石垣在の新垣重雄氏と同級生の森田佐知夫(太鼓)

以前の八重山は1日と15日に朝親子ラジオから必ず流れる柳節でその月の「物除く」<むんぬき>としても生活に密着していた歌であった。
琉歌体が8886の30音を定形とするのに、柳節は口説節調に、7786の28音で構成されているのは和歌の影響が大であることが解る。その例として似たような歌詞がある。
♪梅は匂いよ木立は要らぬ 人は心よ姿は要らぬ。
♪梅は匂いよ桜は花よ 人は心よ振り要らぬ。
今年も残すところ9日である。
「柳節」を歌い嫌物を払い 人間自然体で無事無難に過ごし新年を向えたいものです。

発電をつけ夜晩くまで祝はつづく・・・愚生は飛行機の時間まで
↓料理は特別に猪鍋とバーベキュウが振舞われた。実に美味かった!


追伸:
今年 八重山商工が甲子園で活躍した一人に金城長靖くんがいた。その父と墓の祝座でも野球談義で花が咲いた。「卒業後は沖電に就職が決まっているが、大阪の皆さんは「阪神タイガースに入って欲しい」と願ってましたよ~と伝えると、どうしても本人の希望で それを尊重したいと父も語っていました。
長靖本人も墓に着てましたけど、愚生が三線弾いて居る間に帰ってしまった。

晴天の元 盛大で素晴らしい墓の祝(よい)でした。末代までも當山家の繁栄を祈っています。
Posted by 大工哲弘 at
12:51




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