2005年03月31日
福岡と博多
先日福岡で恒例のがちまやぁ~三線教室があった。
福岡は空港から地下鉄駅で博多駅まで約6分、駅から殆ど待つことなく100円バスで
約15分で「がちまやぁまで」行ける。本当に便利なアクセスだ。
その福岡市と博多は別の町とまだ思っている方も多いようだ。
そこで何度も通わせてもらっている大好き街FUKUOKAと博多をチョット一考してみた。
まぁ どっちかというと福岡市は東京で言う山の手で都市工業機能地帯、博多は下町いわば商品の流通地帯と表現できるのでは、例えば大阪の北(ビジネス街)南(商業、玄関)みたいなものでしょうかね?
しかし1876年福岡市が行政単位としてなったときは「福岡市」が気に入らないと 博多エリアの人たちからは「博多市」として改めるべきだ、分離するべきだという運動もおき、長らくくすぶりつづけたそうです。
「博多市」として改めるようにと議会で決議したが採決は賛否同数になり、議長が福岡市側に回ったので決議案は否決され一件落着した、バランスよく駅は「博多駅」港は博多港、空港は「福岡空港」と命名されたのも反対派をなだめる秘策だったとか?どっちの街名も今は全国に知れ渡った大きなツインシティである。
いま全国は市町村合併で新市名がすんなり決まる町、なかなか決まらない町 ゆれに揺れております。我が八重山市合併も擦ったもんだと 中々難しい問題のようです。
福岡は街中も綺麗し適度な都会の喧騒と落ち着いた街風はなにか心が休まる都市で、グルメも楽しめ この時期転勤先「福岡」と希望する数が全国一多い街と聞く。分かるような気がする。
小生は勿論 福岡に限らず全国の三線教室の皆さんと歌・三線を共有できることが唯一の楽しみの一つで、これからも行くところの街を探訪し勉強してみたい。
福岡の祭り「祇園山笠まつり」と並んで「博多どんたく港まつり」はやがてやってくるゴールデンウィークに行われるが全国から200万人もの人が集まる最大のイベントとして盛り上がるそうですが、小生は残念ながら まだドンタク祭りを見たことがない「ドンタク」とはオランダ語で「ドンダク・休日」が語源だそうだ。
♪博多どんたく
1、ぼんち 可愛いやねんねしな 品川女郎衆 は 十匁十匁が鉄砲玉 玉屋が川へ スッポンポン
2、博多どんたく まつばやし 恵比須に大黒 福禄寿千代に繁昌の街じゃもの めでたく祝って スッポンポン
因みに八重山の大先輩民謡歌手、仲宗根長一さんも「車屋さん」というタイトルで八重山風に同曲を歌っております。
福岡は空港から地下鉄駅で博多駅まで約6分、駅から殆ど待つことなく100円バスで
約15分で「がちまやぁまで」行ける。本当に便利なアクセスだ。
その福岡市と博多は別の町とまだ思っている方も多いようだ。
そこで何度も通わせてもらっている大好き街FUKUOKAと博多をチョット一考してみた。
まぁ どっちかというと福岡市は東京で言う山の手で都市工業機能地帯、博多は下町いわば商品の流通地帯と表現できるのでは、例えば大阪の北(ビジネス街)南(商業、玄関)みたいなものでしょうかね?
しかし1876年福岡市が行政単位としてなったときは「福岡市」が気に入らないと 博多エリアの人たちからは「博多市」として改めるべきだ、分離するべきだという運動もおき、長らくくすぶりつづけたそうです。
「博多市」として改めるようにと議会で決議したが採決は賛否同数になり、議長が福岡市側に回ったので決議案は否決され一件落着した、バランスよく駅は「博多駅」港は博多港、空港は「福岡空港」と命名されたのも反対派をなだめる秘策だったとか?どっちの街名も今は全国に知れ渡った大きなツインシティである。
いま全国は市町村合併で新市名がすんなり決まる町、なかなか決まらない町 ゆれに揺れております。我が八重山市合併も擦ったもんだと 中々難しい問題のようです。
福岡は街中も綺麗し適度な都会の喧騒と落ち着いた街風はなにか心が休まる都市で、グルメも楽しめ この時期転勤先「福岡」と希望する数が全国一多い街と聞く。分かるような気がする。
小生は勿論 福岡に限らず全国の三線教室の皆さんと歌・三線を共有できることが唯一の楽しみの一つで、これからも行くところの街を探訪し勉強してみたい。
福岡の祭り「祇園山笠まつり」と並んで「博多どんたく港まつり」はやがてやってくるゴールデンウィークに行われるが全国から200万人もの人が集まる最大のイベントとして盛り上がるそうですが、小生は残念ながら まだドンタク祭りを見たことがない「ドンタク」とはオランダ語で「ドンダク・休日」が語源だそうだ。
♪博多どんたく
1、ぼんち 可愛いやねんねしな 品川女郎衆 は 十匁十匁が鉄砲玉 玉屋が川へ スッポンポン
2、博多どんたく まつばやし 恵比須に大黒 福禄寿千代に繁昌の街じゃもの めでたく祝って スッポンポン
因みに八重山の大先輩民謡歌手、仲宗根長一さんも「車屋さん」というタイトルで八重山風に同曲を歌っております。
Posted by 大工哲弘 at
02:36
2005年03月26日
産らしょーり!
同じ言葉でも全然ちがった意味をもつ語がある。
先月京都で「オオキニィ!」と普通に帰ってくる言葉は
女の子を食事に誘って「オオキニィ」と答えたらイントネーションによって「オオキニィ!」は<結構どすぅ>と断っている意と、
そのケッコウが<ありがとう>と引き受ける、全く逆の意味を持っているということを教えてもらった???
また 京都では「お上がり」と言われて、本当に家に上がり迷惑をかけたという話も聞く。
そう言えば沖縄の糸満でも「くーん」という言葉は「来る」「来ない」というややっこしい逆意味をもつそうだ。
八重山方言の「たまとーん」<真っ直ぐ>も沖縄では<曲がっている>八重山「ぅたいん」<歌う>沖縄本島<疲れる>
いま思いつくのはこんなもんだが他にも沢山あると思う。そう云えば・・・
いつも歌っている鷲ぬ鳥の一節の「まらしょーり」<生まれる>が「まぁらしょーり」<死んだ>動物の生死をアクセント一つ違えば大変な意味をもつ語の例だ。
しかし どれも文字だけでは面白おかしくもない。その土地たちの抑揚があってその豊潤な言葉も生きてくると思う。
小生の幼馴染みだった同級生が昨年癌で逝って、今日は一年忌の法事があった。
生前はいつも小生を応援してくれた一番友人(いちばんどぅしぐぁ~)だっただけに、改めて死は悔やまれる。
彼の母が八重山踊り勤王流創始者の一番弟子で
八重山の踊りを支えてくれた母も二年前に亡くなった。
小生から三線を習い自分が地謡をして母を踊らせたいと夢を見て家も造り母の踊れる環境も整えていたのに母に先立たれ、後を追うようにマァラシテしまった
故細原政志君。
万能でスポーツマンは何させてもタノール(先天的な才能)があって皆から好かれるタイプだった。
逆意味をもつ「まぁらしょーた」の政志は新しく「まらしょーり」になってくれないかと願わずには居られなかった。
仏前(祭壇)には生前大好きだったオリオンビールが供えられてあった。合掌
先月京都で「オオキニィ!」と普通に帰ってくる言葉は
女の子を食事に誘って「オオキニィ」と答えたらイントネーションによって「オオキニィ!」は<結構どすぅ>と断っている意と、
そのケッコウが<ありがとう>と引き受ける、全く逆の意味を持っているということを教えてもらった???
また 京都では「お上がり」と言われて、本当に家に上がり迷惑をかけたという話も聞く。
そう言えば沖縄の糸満でも「くーん」という言葉は「来る」「来ない」というややっこしい逆意味をもつそうだ。
八重山方言の「たまとーん」<真っ直ぐ>も沖縄では<曲がっている>八重山「ぅたいん」<歌う>沖縄本島<疲れる>
いま思いつくのはこんなもんだが他にも沢山あると思う。そう云えば・・・
いつも歌っている鷲ぬ鳥の一節の「まらしょーり」<生まれる>が「まぁらしょーり」<死んだ>動物の生死をアクセント一つ違えば大変な意味をもつ語の例だ。
しかし どれも文字だけでは面白おかしくもない。その土地たちの抑揚があってその豊潤な言葉も生きてくると思う。
小生の幼馴染みだった同級生が昨年癌で逝って、今日は一年忌の法事があった。
生前はいつも小生を応援してくれた一番友人(いちばんどぅしぐぁ~)だっただけに、改めて死は悔やまれる。
彼の母が八重山踊り勤王流創始者の一番弟子で
八重山の踊りを支えてくれた母も二年前に亡くなった。
小生から三線を習い自分が地謡をして母を踊らせたいと夢を見て家も造り母の踊れる環境も整えていたのに母に先立たれ、後を追うようにマァラシテしまった
故細原政志君。
万能でスポーツマンは何させてもタノール(先天的な才能)があって皆から好かれるタイプだった。
逆意味をもつ「まぁらしょーた」の政志は新しく「まらしょーり」になってくれないかと願わずには居られなかった。
仏前(祭壇)には生前大好きだったオリオンビールが供えられてあった。合掌
Posted by 大工哲弘 at
20:02
2005年03月22日
80回目の放送記念日







今日22日は放送記念日にあたり、日頃NHKに貢献した方々の表彰式がNHK沖縄放送局第一スタジオでありました。
小生がNHKと関わっているのは毎月第一金曜日の18:00~18:50分の「ウチナージョッキー」のパーソナルティを長年関わってきたお陰で「感謝状」の受賞となった。
1925年日本でラジオ放送がはじまって80年。第一声は東京・芝浦の仮設放送所からだそうで、
沖縄では昭和16年12月3日 日米開戦を告げる臨時ニュースが第一声だったそうです。
昭和42年には沖縄放送協会(OHK)設立、宮古、石垣の先島で放送開始。
昭和47年5月15日 本土復帰と同時にOHKの権利義務をNHKが継承、現在のNHK沖縄放送局として開局する・・・・まぁいろんな変遷を経て今日80年という歴史を刻んだ。
しかしNHKは一連の不祥事から大きな逆風をあおっている。これからは襟を正し真摯に公共放送という使命で地域に根ざした放送局と頑張ります、と局長が力強い挨拶をした。
式典の後は受賞者一同、記念撮影、食事会。
受賞もして、記念品も戴いて。食事まで なんか申し訳ない気分だった。正直言って恐縮しております。
これからも もっと「ウチナージョッキー」頑張らなくちゃーと肝に誓った。でも 長寿番組「ウチナージョッキー」も来月から月一放送から二ヶ月に一回の放送に減る編成となる。 今のNHK事情じゃ仕方がないですかね~?
沖縄放送局も今の豊見城から来年3月に新しく新都心に移転します。ですから今の局での放送記念日の表彰式は最後の式だということで記念する表彰になった。
世間をいま騒がしているライブとフジのニッポン放送株券争奪戦で真の放送のあり方が問われている中で来年からデジタル放送化が始まる。実際 放送とはなんぞや?いろんな意味で考えされられる過度期に来ていると思う。
此処だけの話だけど・・ 先日福岡西方沖で発生した大きな地震の速報はNHKが早かった。
毎夜PCをする時、小生はNHKラジオの「ラジオ深夜便」の愛聴者だ。
あのゆったりとした語り、懐かしい曲の数々、歳取ったせいか?話口調のリズムが合う 心が落ち着く放送だ。
明日から始まる春の選抜高校野球も絶対NHKで観戦するぞぉ~!!
因みに沖縄尚学は27日の第一試合目。
その前に受信料も忘れずに。。。。
Posted by 大工哲弘 at
16:48
2005年03月21日
福岡西方沖地震
昨日はお彼岸入りでハタビー(旗日・沖縄では祝祭日をいう言葉)そのハタビー連休日を楽しむはずだった福岡の人たは前例のない地震に恐怖に陥れたことでしょう。
後も余震が続くそうです クワバラ ・クワバラ!(呪文・まじない語)
余談ですが 沖縄・八重山では「チョーチカ ・チョウーチカ!」と地震が起きたときに唱えるまじない語です。小生が小学生の時に石垣でも大きな地震がありましたが祖母はチョウーチカ チョーチカと唱えておりました。
福岡出張稽古当初は昨日20日に当てて松本さんと予定計画していた。一週間ずらせば桜見時期とドッキングできるかも知れないので一週間スライドさせた方がいいのでは との意見が一致して27日に延期した次第である。
27日延期は正解だった。もし昨日だったらと思うと ゾットする。 桜のお陰?それとも悪運が強かったのか?
なによりも 福岡みなさんが無事であったことが幸いです。そして一日でも早い復興を
去年後半の中越、スマトラ沖地震と災害年を越えて今年は平穏な年であるようにと誰もが祈ったはずだったが、すでに先月(2月23日)のイランで地震(死者550人)が発生している。
これからも いつどこで起きるか分からない地震。
備えあれば憂いなしで防災対策は十分なのかなぁ~
小生もまず 身の回りからはじめようと思って昨日スーパーに行って北海道のスープカレーカップをヒトケース買って来た。非常食用に・・・というよりも単に自分が食いたかったからである。
また昨日は思い出したくも無い地下鉄サリン事件から10年。
小生の友人もその日霞ヶ関から難を逃れたのがいて、いつも強運だったと聞かされる。
犠牲者のご冥福を
「暑さ寒さも彼岸まで」という季節語があるが・・・もう 地震と津波は彼岸までとしたいね~テロもない地震もないミルク世を再び願わずにはいられない。
後も余震が続くそうです クワバラ ・クワバラ!(呪文・まじない語)
余談ですが 沖縄・八重山では「チョーチカ ・チョウーチカ!」と地震が起きたときに唱えるまじない語です。小生が小学生の時に石垣でも大きな地震がありましたが祖母はチョウーチカ チョーチカと唱えておりました。
福岡出張稽古当初は昨日20日に当てて松本さんと予定計画していた。一週間ずらせば桜見時期とドッキングできるかも知れないので一週間スライドさせた方がいいのでは との意見が一致して27日に延期した次第である。
27日延期は正解だった。もし昨日だったらと思うと ゾットする。 桜のお陰?それとも悪運が強かったのか?
なによりも 福岡みなさんが無事であったことが幸いです。そして一日でも早い復興を
去年後半の中越、スマトラ沖地震と災害年を越えて今年は平穏な年であるようにと誰もが祈ったはずだったが、すでに先月(2月23日)のイランで地震(死者550人)が発生している。
これからも いつどこで起きるか分からない地震。
備えあれば憂いなしで防災対策は十分なのかなぁ~
小生もまず 身の回りからはじめようと思って昨日スーパーに行って北海道のスープカレーカップをヒトケース買って来た。非常食用に・・・というよりも単に自分が食いたかったからである。
また昨日は思い出したくも無い地下鉄サリン事件から10年。
小生の友人もその日霞ヶ関から難を逃れたのがいて、いつも強運だったと聞かされる。
犠牲者のご冥福を
「暑さ寒さも彼岸まで」という季節語があるが・・・もう 地震と津波は彼岸までとしたいね~テロもない地震もないミルク世を再び願わずにはいられない。
Posted by 大工哲弘 at
14:20
2005年03月20日
カンムリワシと鳩

「白雲節」という歌詞の中に
♪飛び鳥ぬ如に自由に飛ばりてれ 毎夜行じいちゃてぃ語れすしが
(好きなあの人のところに自由に飛んでいける鳥さまを羨ましく思っている願望がひしひしと伝わってくる歌詞だ)。
1月20日、沖縄こどもの国(小動物園)から国指定特別天然記念物の雌カンムリワシが網を破り逃げたというニュースを知った(琉球新報)
その逃げたカンムリワシが2ヶ月逃避行して今月15日こども園飼育小屋に舞戻ってきたという。
逃げたときには管理の問題もあったが園の飼育係りも 人騒がせのカンムリワシにきっとお冠りだったでしょうが、ワシ子屋に戻ってきたきたのだから一応ホットしたことでしょう。
しかし ネットを破りカンムリワシは2ヶ月間、一体どこへ飛んで行ってたのでしょうか
白雲節の如く好きな雄のいるあの島へ行っていたのでしょうか?
2ヶ月外遊した末 同園にいる雄ワシに会いたくなったのか?まったく知るすべはないが・・・
ヒョットしたら近いうち産卵があるかも知れない、と飼育担当は喜んでいる。
ついでに もう一つ鳥の話題。
先月 我が庭の黒木に鳩が卵を産み順調に行けば今月15日孵化する予定だった。子鳩が元気に巣立つことを楽しみにしていたら鳩は無情にも卵を置いて逃避行してしまった。
鳥に詳しい友人に聞いたら 鳩は卵を温めならが色んな条件で孵化しないことを知ったら諦めるそうです。 その悪条件の一つに沖縄は2・3月は毎日雨が降って鳩も雨宿り(あまやとり)もできなかったからでしょう!
なんて言ってましたが・・・ ?!
それにしても舞い戻る鳥もいれば 去る鳥もいる
トリ留めも無い話で申し訳ないです。
Posted by 大工哲弘 at
01:46
2005年03月15日
勤労青少年ホーム閉鎖
74年 本土復帰を済ませた直後年、県からの委託を受けて那覇市勤労青少年ホームが開設されスタートした。那覇市に職をもち受講資格も16歳~29歳までの年齢制限があり、同世代が同じ平屋でおのおのの講座を普段職場では味わえない雰囲気で自己啓発に4ヶ月間多様な教養講座を啓蒙することが出来た。
小生が講座講師として迎えられたのは遅れて84年からであった。
三線講座開講時の若者は民謡というイメージは、まだ古い、ダサイと中々受講する者が居なく、人気ある外の講座の第二希望者から御願いして三線講座に回して頂き、ようやく受講生定数確保させたという時代であった。
三線が若者に脚光を浴びはじめたのは95年に那覇市の平和振興課が模様した「天に響め・さんしん3000!」の企画であった。戦後50周年をむかえ世界に平和発信を沖縄の三線でしよう!とのコンセプトであった。
絶頂の宮沢和史のザーブーム、ディアマンテス、韓国のサムルノリをゲストに向かえ華々しく奥武山競技場で
2万人の観衆を飲み込み スタンドで3000千名が同時に10曲を共有したのは圧巻であった。
(不肖小生がリードヴォーカルを勤めた♪)
そのイベント後から公民館やホームにも若者達が三線を遣ってみたいというブームが訪れた。
それも圧倒的にザ・ブームの「島唄」を弾いてみたという希望が多かった。
いまは何処に行っても若者達が三線を楽しんでいる光景は珍しくないが、当時はどうして
三線講座生を確保するかで苦労した。興味を持たせる為に先日お亡くなりになった照屋林助さんを招いたり、古謝美佐子、上原直彦、北島角子、おもろ研究者玉城先生など 特別文化ミニ講座時間を組んでやりくりしてきたことを考えると現在の普及は隔世の感がする。
そんな歴史を重ねながら那覇の若者と築き上げてきた那覇市勤労ホームが今月3月でもって廃止するという。多くの署名運動、OBたちが継続を求め那覇市に詰め寄ったが如何せん国が進める三位一体や行政改革とで2005年度の予算も大幅に削減され大きくマスコミにも報道され厳しい自治体の本筋がこれから沖縄、日本を背負って立つ大切な若者文化啓蒙の場も財政削減の波には勝てないのか?
「将来この島を見るには若者を見よ!」大きな夢を見続け長い時間を那覇市旭町のコンクリート建て平屋に明かりをずっと灯してきた憩いと教養の場が今月で
消えようとしている。
いまは4月3日最後の文化祭に向けて猛稽古をしている。
文化祭で歌う十九の春、題して「勤労の春」替え歌をバージョンを紹介しよう!
♪私が三線と会ったのはちょうど去年の秋でした。
今更 止めれと言われても 元の私に戻れない
♪元の私にするならば 所詮無理な話です
それより先を思うとき ホームなくては暮らせない
♪三線講座は誰がいうた 美らさん 美人が勢ぞろい
類が類を呼ぶものと 美らはチュラ~でも肝美らさ
♪オキナワの芸能は面白い 三線エイサー唄踊り
今日も講座で楽しくと 三線で広げる大きな和(沖縄)
♪待ちに待ちたる文化祭 日頃の練習胸に染め
逆上せず あがらず初舞台 カーネギーホールも夢じゃない
チャチャ チャンチャンチャン チャ チャンチャンチャン(口三線で唄持ちのつもり・擬声音を出してみて下さい)
★ファイナル文化祭盛り上がりますよう祈ってます。
小生が講座講師として迎えられたのは遅れて84年からであった。
三線講座開講時の若者は民謡というイメージは、まだ古い、ダサイと中々受講する者が居なく、人気ある外の講座の第二希望者から御願いして三線講座に回して頂き、ようやく受講生定数確保させたという時代であった。
三線が若者に脚光を浴びはじめたのは95年に那覇市の平和振興課が模様した「天に響め・さんしん3000!」の企画であった。戦後50周年をむかえ世界に平和発信を沖縄の三線でしよう!とのコンセプトであった。
絶頂の宮沢和史のザーブーム、ディアマンテス、韓国のサムルノリをゲストに向かえ華々しく奥武山競技場で
2万人の観衆を飲み込み スタンドで3000千名が同時に10曲を共有したのは圧巻であった。
(不肖小生がリードヴォーカルを勤めた♪)
そのイベント後から公民館やホームにも若者達が三線を遣ってみたいというブームが訪れた。
それも圧倒的にザ・ブームの「島唄」を弾いてみたという希望が多かった。
いまは何処に行っても若者達が三線を楽しんでいる光景は珍しくないが、当時はどうして
三線講座生を確保するかで苦労した。興味を持たせる為に先日お亡くなりになった照屋林助さんを招いたり、古謝美佐子、上原直彦、北島角子、おもろ研究者玉城先生など 特別文化ミニ講座時間を組んでやりくりしてきたことを考えると現在の普及は隔世の感がする。
そんな歴史を重ねながら那覇の若者と築き上げてきた那覇市勤労ホームが今月3月でもって廃止するという。多くの署名運動、OBたちが継続を求め那覇市に詰め寄ったが如何せん国が進める三位一体や行政改革とで2005年度の予算も大幅に削減され大きくマスコミにも報道され厳しい自治体の本筋がこれから沖縄、日本を背負って立つ大切な若者文化啓蒙の場も財政削減の波には勝てないのか?
「将来この島を見るには若者を見よ!」大きな夢を見続け長い時間を那覇市旭町のコンクリート建て平屋に明かりをずっと灯してきた憩いと教養の場が今月で
消えようとしている。
いまは4月3日最後の文化祭に向けて猛稽古をしている。
文化祭で歌う十九の春、題して「勤労の春」替え歌をバージョンを紹介しよう!
♪私が三線と会ったのはちょうど去年の秋でした。
今更 止めれと言われても 元の私に戻れない
♪元の私にするならば 所詮無理な話です
それより先を思うとき ホームなくては暮らせない
♪三線講座は誰がいうた 美らさん 美人が勢ぞろい
類が類を呼ぶものと 美らはチュラ~でも肝美らさ
♪オキナワの芸能は面白い 三線エイサー唄踊り
今日も講座で楽しくと 三線で広げる大きな和(沖縄)
♪待ちに待ちたる文化祭 日頃の練習胸に染め
逆上せず あがらず初舞台 カーネギーホールも夢じゃない
チャチャ チャンチャンチャン チャ チャンチャンチャン(口三線で唄持ちのつもり・擬声音を出してみて下さい)
★ファイナル文化祭盛り上がりますよう祈ってます。
Posted by 大工哲弘 at
01:00
2005年03月12日
告別式

今日午後1時から2時30分までの間沖縄市葬祭場で、故照屋林助さんの告別式に線香をあげてきました。
小雨降りしきる中 大勢の会葬者が列をなし葬祭場の駐車場はパニック状態でした。
葬儀では友人代表の興ちゃん事、マーニンネーランバンドの仲本興次さんが故人との思い出ある苦労話や楽しかった事、涙を堪えながら別れの言葉を述べた。
また 遺族代表の会葬お礼挨拶の長男 りんけん の言葉は、ほとんど言葉になっていなかった。ありがとうございました・・・・ しかきこえませんでした。
一般焼香の告別式が始まると生前林助さんご本人の音楽をバックに多くの参列者が元気だったありし日の林助さんを偲びつつ最後の別れを継げ 焼香していた。
故人の告別式に葬祭場でこんなに多くの供花が寄せられているのも かって見たことありません。
ミュージシャン、音楽事務所、政財界、お笑い界、各マスコミ。
人は亡くなって初めてその人の業績が分かる!!とはよく言ったものです。
林助さんが逝った後。 小生も憚りながら林助さんと共演したTV番組や共演したライブは無かったか?
探したら 沢山出てきました。貴重なVTRになるぞ、とDVDにダビングしている。
いい告別式でした。
林助さん これからはゆっくりおやすみなってください。
Posted by 大工哲弘 at
18:52
2005年03月11日
永遠の眠り 安らかに


この白黒写真は小生が高校の夏休みの時、山里勇吉先生や林助さんに進められて
与那国、小浜島、波照間公演に参加したときのUPである。
後にいるのが小生。
右、今は亡き照屋林助さん。
左は地元の舞踊家、池田のおばぁ~。
(随分昔の写真で申し訳ないです)
1968年頃といえば林助さんは「ワタブーショー」で一世を風靡していた全盛期。
いつも公演オフの日はオジィー、オバァーから現地の古謡を、子供達からは童うたを聞き取りし録音していたのを覚えている。スターでありながら勉強熱心な林助さんであった。
与那国公演の共演者、池田のおばぁ~、あの嘉手苅林昌さん、林助さんまであの世に逝ってしまった。
後年の琉球フェスティバルの時も小生のウチナージンタバンドを故林助さんが楽屋で「面白い!これはテツッチャンにしか出来ないユニットだから ちばりよ~!」とウチナー音楽の先駆者、漫談、歴史家、いろんな顔を持つ林助さんからの励ましとお褒めのお言葉は最高に嬉しかった。
林助さんは師匠としていた小那覇ブーテンさんの芸魂をたいせつに受け継いでいた。「命の祝い・ぬちぬぐすーじ」の鎮魂歌は終戦直後荒廃していたウチナーの人々に勇気と希望を与えた話は有名だ。
明治、大正と街頭で世相を風刺してうたった添田唖然坊の「のんき節」スタイルに似た命の祝い歌は
時代差はあるものの共通のパワーを感じる。
東の唖然坊、西の林助と不屈の中からも笑いを誘う芸風は永遠に語り継がれるであろう。
いやしくも昨日(3月10日)は東京大空襲から60年目の春であった。
謹んで ご冥福をお祈りいたします。
Posted by 大工哲弘 at
02:31
2005年03月11日
若狭恒例の送別会
若狭しま唄の会は新しいメンバーが入会すると、
歓迎会。沖縄を離れると送別会と、恒例行事。
どっちかと言うとこれを楽しみにしているメンバーも多い
今回は若狭メンバーが経営するカラオケハウス「JAM」で行われた。
以前若狭公民館祭りでもカルメンを紹介したが、ドミニカ共和国出身。若干○○歳。
今月の24日でもって琉球大学の院生を終了し母国に帰るという。
1994年、小生もドミニカ共和国は民間交流芸能団としてコンサートをしている。
カリブ海に浮かぶドミニカはとっても明るい陽気な国民性でメレンゲ(サルサに似ている)
という音楽をもち、気候は沖縄に似ている。
ホームレスという言葉がない国、「地球は皆我がホームという」
カルメンはこれからドミニカ共和国と沖縄の架け橋になり役立てたいと語っていた。
模合を興しお金を貯めて是非 いつかドミニカに行こうと皆と誓った。
カルメン!頑張ってね~お元気で・・・ダンジュかりゆし♪



歓迎会。沖縄を離れると送別会と、恒例行事。
どっちかと言うとこれを楽しみにしているメンバーも多い
今回は若狭メンバーが経営するカラオケハウス「JAM」で行われた。
以前若狭公民館祭りでもカルメンを紹介したが、ドミニカ共和国出身。若干○○歳。
今月の24日でもって琉球大学の院生を終了し母国に帰るという。
1994年、小生もドミニカ共和国は民間交流芸能団としてコンサートをしている。
カリブ海に浮かぶドミニカはとっても明るい陽気な国民性でメレンゲ(サルサに似ている)
という音楽をもち、気候は沖縄に似ている。
ホームレスという言葉がない国、「地球は皆我がホームという」
カルメンはこれからドミニカ共和国と沖縄の架け橋になり役立てたいと語っていた。
模合を興しお金を貯めて是非 いつかドミニカに行こうと皆と誓った。
カルメン!頑張ってね~お元気で・・・ダンジュかりゆし♪



Posted by 大工哲弘 at
02:14
2005年03月07日
奄美に雪?
5日、6日は日本付近に張り出した寒気がよってきた影響で沖縄もこの冬一番の最低気温、国頭村奥で5・2度を記録したという。また奄美大島の油井岳頂上に6日雪が積もったという。
那覇は9度でしたが、それにしても寒かった。もう 会う人々の会話はもちろん「ヒーサッサーヤー!・さむいね~」と凍えていた。
本当に昨日のウチナーは先週京都に行ったとき4度、夜は雪が降っていたときより寒さを感じた。
あっさり ウチナーにも雪降ってくれないかね~と冗談をいう会話もあった。
9度の寒さで寒いと嘆いたら北海道や東北の人は何て言うのだろう?
でも まだ旧暦は1月27日。三寒四温ならぬ沖縄は二寒四温。もう一回ワカリビーサ(別れ寒さ)がある。
今日は久しぶりにいい天気で朝から太陽がまぶしいくらい、昼からは気温20度にまであがるという。
やっといつもの沖縄天気になる。週のはじめでもある。さぁ~天気のように明るく気持ちよくチバティんだ(がんばってみよう!)
那覇は9度でしたが、それにしても寒かった。もう 会う人々の会話はもちろん「ヒーサッサーヤー!・さむいね~」と凍えていた。
本当に昨日のウチナーは先週京都に行ったとき4度、夜は雪が降っていたときより寒さを感じた。
あっさり ウチナーにも雪降ってくれないかね~と冗談をいう会話もあった。
9度の寒さで寒いと嘆いたら北海道や東北の人は何て言うのだろう?
でも まだ旧暦は1月27日。三寒四温ならぬ沖縄は二寒四温。もう一回ワカリビーサ(別れ寒さ)がある。
今日は久しぶりにいい天気で朝から太陽がまぶしいくらい、昼からは気温20度にまであがるという。
やっといつもの沖縄天気になる。週のはじめでもある。さぁ~天気のように明るく気持ちよくチバティんだ(がんばってみよう!)
Posted by 大工哲弘 at
12:52
2005年03月05日
さんしんの日 メイン舞台
第13回目を迎えて盛大に挙行されたさんしんの日のイベント。
メイン会場はもとより各地でも3月4日にリンクさせ一日中三線に日が鳴り響いた。
昨日は三線演っていない人は身が狭い思いではなかったでしょうか?
いつも思う、さんしんの日を制定、提唱してくれた上原直彦氏には感謝をしています。
他の国に楽器の日を定め、一つの楽器を祝う日行事があるだろうか?
因みに3月8日は(サンバの日・三板)9月10日(琴の日・クトゥー)なども沖縄から発祥された祝い日である。
(サンバもクトゥーの日もさんしんの日後に提唱された)。
ついでに4月9日(フォークの日・音楽)6月9日(ロックの日・音楽)これもまた沖縄からである♪




久しぶりに名コンビぶりを聞かせてくれた金城恵子と田場盛信。ツーショットも本当に久しぶりだよね~(元夫婦とは思えないくらい仲良しこよしだよね)
メイン会場はもとより各地でも3月4日にリンクさせ一日中三線に日が鳴り響いた。
昨日は三線演っていない人は身が狭い思いではなかったでしょうか?
いつも思う、さんしんの日を制定、提唱してくれた上原直彦氏には感謝をしています。
他の国に楽器の日を定め、一つの楽器を祝う日行事があるだろうか?
因みに3月8日は(サンバの日・三板)9月10日(琴の日・クトゥー)なども沖縄から発祥された祝い日である。
(サンバもクトゥーの日もさんしんの日後に提唱された)。
ついでに4月9日(フォークの日・音楽)6月9日(ロックの日・音楽)これもまた沖縄からである♪




久しぶりに名コンビぶりを聞かせてくれた金城恵子と田場盛信。ツーショットも本当に久しぶりだよね~(元夫婦とは思えないくらい仲良しこよしだよね)
Posted by 大工哲弘 at
18:49
2005年03月05日
さんしんの日・メイン会場と中継
琉球放送ラジオ生中継が室山会総会・会場に入り、その模様を会主の山里勇吉先生と
事務局長の金城盛長がインタビューに答える。
そこでバタバタしていたので札幌からの中継は聞くことが出来なかった。
携帯電話から映像を中継してメイン会場で大画面に映し出したという。
しかし三線の日の模様を全国にインタネットで随時中継したり、携帯電話からの映像といい、
便利な世の中になりました。



事務局長の金城盛長がインタビューに答える。
そこでバタバタしていたので札幌からの中継は聞くことが出来なかった。
携帯電話から映像を中継してメイン会場で大画面に映し出したという。
しかし三線の日の模様を全国にインタネットで随時中継したり、携帯電話からの映像といい、
便利な世の中になりました。



Posted by 大工哲弘 at
18:27
2005年03月05日
懇親会 余興
総会・さんしんの日の中継終了後は各教室の歌を披露した。
室山会発足以来、初めて顔を合わすメンバーが多いので懇親会は有意義な
時間であった。
大工教室からはモハメド・ブリが先週外国人による弁論大会で奨励賞をもらった時唄った
「とぅばらーま」の歌詞を披露した。
♪三線が乗せ 歌ゆいざば~
国を越え(くや~)聴いて賜れ(すきゆたぼり~)
幸太は「くいぬぱな」早弾きを披露。
金城盛長教室は、かたみ節、繁昌節、
山里勇吉先生の教室は、あがろうざ~他



室山会発足以来、初めて顔を合わすメンバーが多いので懇親会は有意義な
時間であった。
大工教室からはモハメド・ブリが先週外国人による弁論大会で奨励賞をもらった時唄った
「とぅばらーま」の歌詞を披露した。
♪三線が乗せ 歌ゆいざば~
国を越え(くや~)聴いて賜れ(すきゆたぼり~)
幸太は「くいぬぱな」早弾きを披露。
金城盛長教室は、かたみ節、繁昌節、
山里勇吉先生の教室は、あがろうざ~他



Posted by 大工哲弘 at
17:48
2005年03月05日
室山会役員決まる
名誉会長・山里勇吉、会長・大工哲弘、
副会長・長間辰夫、安里勇、事務局長・金城盛長
会計・上間 かな恵
他理事、監査役を合わせて19名です。
後に八重山音楽安室流・室山会の経緯を書きたいと思います。
今日はさしずめ報告まで・・・




副会長・長間辰夫、安里勇、事務局長・金城盛長
会計・上間 かな恵
他理事、監査役を合わせて19名です。
後に八重山音楽安室流・室山会の経緯を書きたいと思います。
今日はさしずめ報告まで・・・




Posted by 大工哲弘 at
17:41
2005年03月05日
安室流・室山会総会
平成17年度安室流・室山会の総会が昨日(3月4日)レストラン「宝楽」で行われた。
1部は総会で会則案について、役員選出・その他。
2部は懇親会が琉球民謡音楽協会の会長・金城健蔵、副会長の仲西光雄氏も出席して賑々しく
行われた。


1部は総会で会則案について、役員選出・その他。
2部は懇親会が琉球民謡音楽協会の会長・金城健蔵、副会長の仲西光雄氏も出席して賑々しく
行われた。


Posted by 大工哲弘 at
17:20
2005年03月03日
追懐 さんしんの日 1
明日 三線の日は十三祝いを迎える。
(十三祝いとは数え13歳(十二支生まれ年)は一人前の大人になったという意味で健康祈願をする祝い)
♪御縁あて弟じゃ(オトジャ) いちゃてぃ嬉しさや
うちはりてぃ 遊べわぬん 遊ば
(御縁があって兄弟よお会いできて幸せです、さぁ心晴れ晴れと祝い遊びましょう)
オトジャは兄弟の意味することもあれば、シヌジャ(兄)に対するオトジャ(弟)とも言う。また 女の姉妹にもシヌジャ(姉)オトジャ(妹)と呼ぶ場合もある。
古典音楽上巻節の「ゴエン節」の一節である。
三線の日第一回が行われた主会場のパレット久茂地ホールで小生が番組の終了直前の
グランドフィナーレーで歌った歌である。この歌を三線の日を発案し提唱者でもある上原直彦氏が「テツちゃん、エンディングはゴエン節をを歌ってくれ」と珍しくも注文があった(直彦氏は総合司会並びに総合プロデュース) 小生も光栄の至り、涙をこらえながら歌わせてもらった。
なんで涙グルグル~したか?記憶の奥にしまっておくには勿体無い話である。
弟の晴れ舞台 三線の日を心待ちにしていた上原直彦氏の姉が3月2日に他界し4日の三線の日始まる時刻に(故小渡由子・享年61歳)の葬儀が奇遇にも重なった。親愛する姉を失い、また会場にも来る筈だった由子姐さんに聞かせてあげたかった自分が企画した祝いの日、大好きな島歌の数々を・・・まさか まさかの同じ日・同じ時刻に
その悔しさを紛らわし 姉に捧げる意味でゴエン節を小生に歌わせたに違いないと今考えると思う。
故由子姉さんも、三線の日を一緒に共有したいと一心で、小生が講師を勤めていた若狭公民館三線講座を受講した。3ヶ月の講座終了後もサークルとして続けて欲しいと小生に態々御願いしに来た。小生は首里、勤労ホームと講座指導していたので、忙しくて無理だと断っていたのを由子姉さんの情熱に負け、いわば拝み倒されて今の若狭島うたの会創設の経緯がある。ちょうど13年前の春であった。また、若狭島うたの会のネーミングも由子姉さんが名づけ親である。
明日は13年前由子姉さんが生前愛用していた三線を読谷村の鳳ホールメイン会場に持ってくるという。
13年振りに再会する由子姐さんの三線で「桃里節」を唄わせて貰う。
三線の日はいつまでも忘れられない追憶となって 明日十三回目の「ゆかる日・まさる日・さんしんの日」の出番を待つ。
正に三線は人と人 心をつなぐ楽器と言える。
さんしんの日まで あと 1日!
(十三祝いとは数え13歳(十二支生まれ年)は一人前の大人になったという意味で健康祈願をする祝い)
♪御縁あて弟じゃ(オトジャ) いちゃてぃ嬉しさや
うちはりてぃ 遊べわぬん 遊ば
(御縁があって兄弟よお会いできて幸せです、さぁ心晴れ晴れと祝い遊びましょう)
オトジャは兄弟の意味することもあれば、シヌジャ(兄)に対するオトジャ(弟)とも言う。また 女の姉妹にもシヌジャ(姉)オトジャ(妹)と呼ぶ場合もある。
古典音楽上巻節の「ゴエン節」の一節である。
三線の日第一回が行われた主会場のパレット久茂地ホールで小生が番組の終了直前の
グランドフィナーレーで歌った歌である。この歌を三線の日を発案し提唱者でもある上原直彦氏が「テツちゃん、エンディングはゴエン節をを歌ってくれ」と珍しくも注文があった(直彦氏は総合司会並びに総合プロデュース) 小生も光栄の至り、涙をこらえながら歌わせてもらった。
なんで涙グルグル~したか?記憶の奥にしまっておくには勿体無い話である。
弟の晴れ舞台 三線の日を心待ちにしていた上原直彦氏の姉が3月2日に他界し4日の三線の日始まる時刻に(故小渡由子・享年61歳)の葬儀が奇遇にも重なった。親愛する姉を失い、また会場にも来る筈だった由子姐さんに聞かせてあげたかった自分が企画した祝いの日、大好きな島歌の数々を・・・まさか まさかの同じ日・同じ時刻に
その悔しさを紛らわし 姉に捧げる意味でゴエン節を小生に歌わせたに違いないと今考えると思う。
故由子姉さんも、三線の日を一緒に共有したいと一心で、小生が講師を勤めていた若狭公民館三線講座を受講した。3ヶ月の講座終了後もサークルとして続けて欲しいと小生に態々御願いしに来た。小生は首里、勤労ホームと講座指導していたので、忙しくて無理だと断っていたのを由子姉さんの情熱に負け、いわば拝み倒されて今の若狭島うたの会創設の経緯がある。ちょうど13年前の春であった。また、若狭島うたの会のネーミングも由子姉さんが名づけ親である。
明日は13年前由子姉さんが生前愛用していた三線を読谷村の鳳ホールメイン会場に持ってくるという。
13年振りに再会する由子姐さんの三線で「桃里節」を唄わせて貰う。
三線の日はいつまでも忘れられない追憶となって 明日十三回目の「ゆかる日・まさる日・さんしんの日」の出番を待つ。
正に三線は人と人 心をつなぐ楽器と言える。
さんしんの日まで あと 1日!
Posted by 大工哲弘 at
15:23
2005年03月01日
大阪三線クラブ合同稽古
27日の午後2時から大阪三線クラブの合同稽古が玉川コミュニティホールで行われました。
行く度に新しいメンバーが入り、人数が増え続けているという。
嬉しい悲鳴だ。
当日は残念ながら 大阪はインフルエンザが流行っているのか?風邪を引いている人が多かった。
一番悔しいのはご本人であろう。
次回は体調整えて 普段練習しているような歌を聞かせてね♪
小生もこの悔しさ分かる 分かる。

行く度に新しいメンバーが入り、人数が増え続けているという。
嬉しい悲鳴だ。
当日は残念ながら 大阪はインフルエンザが流行っているのか?風邪を引いている人が多かった。
一番悔しいのはご本人であろう。
次回は体調整えて 普段練習しているような歌を聞かせてね♪
小生もこの悔しさ分かる 分かる。

Posted by 大工哲弘 at
01:26
2005年03月01日
大阪三線教室独唱会
全員で何曲か斉唱した後は
独唱してもらい個人個人のチェックをした。
全体(100名)その中から33名の独唱者がいた。
コンクールを意識して唄うものから、度胸ためし、ただ聞いてほしい。
など それぞれの独唱会があった。
↓兵庫から高校生も参加。






お疲れさんでした!!
独唱してもらい個人個人のチェックをした。
全体(100名)その中から33名の独唱者がいた。
コンクールを意識して唄うものから、度胸ためし、ただ聞いてほしい。
など それぞれの独唱会があった。
↓兵庫から高校生も参加。






お疲れさんでした!!
Posted by 大工哲弘 at
01:02
2005年03月01日
大阪三線クラブ 交流会。
大阪三線教室稽古の後はお楽しみ、交流会。
各教室の練習の成果を披露しながらお互いの交流をはかり、楽しい時間が流れる。最後は恒例の流しカチャーシー。
ホンマニ 大阪は元気があるわ!!
↓↓ダレ 遠近感を出そうと少しでも小さく顔を見せようとしているけど?






中央・兵庫県高砂からも参加。来生さんの出番ですよ!
各教室の練習の成果を披露しながらお互いの交流をはかり、楽しい時間が流れる。最後は恒例の流しカチャーシー。
ホンマニ 大阪は元気があるわ!!
↓↓ダレ 遠近感を出そうと少しでも小さく顔を見せようとしているけど?






中央・兵庫県高砂からも参加。来生さんの出番ですよ!
Posted by 大工哲弘 at
00:16





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