2005年04月28日
黄金花

♪春過ぎてぃ夏に 立ちかひてぃ咲ちゅる 梯梧ぬ紅花ぬ 咲ちゅる美らさ
(春過ぎて夏になってから また再び春に立ち返ったように咲く梯梧の紅の花が実に美しい)
♪はてぃ知らぬ山ぬ 岩先ぬ百合や みぐる若夏に 眺みぶしゃぬ
(果て知らぬ山ん岩先に咲いている百合の花は何時見ても あきないものである
来年の初夏もまた眺めてみたいものである)
~琉歌より~
北部(山原)では鉄砲百合が咲き誇り房香をただよわせて梯梧花と共に若夏のシンボライズを色取っている。
梯梧といえばザ・ブームの「島唄」に出てくる
♪梯梧の花が咲き風を呼び嵐が来た・・・
一般にはこの歌詞が分かりやすいかな?
しかし八重山の歌をやっていると
♪赤ゆらぬ花や2・3月どぅ咲ちゅる
我がけーらぬ花や何時ん咲ちゅさ
八重山では梯梧のことを「赤ゆら」「赤ようら」「ズグ」
沖縄では「ディグ」
(デイゴの花は旧暦の2・3月に咲くが 我々の華はいつでも咲くよ)
という「桃里節」の一節が真っ先に出てくる。
デイゴの花が綺麗に咲く年は台風が多いという
ジンクスがあるが 果たして今年は・・・
また百合の花といえば「永良部百合の花」が
あまりにも有名だ。
♪永良部百合ぬ花アメリカに咲かち うりが黄金花島にヨー咲かさ
明日から大型連休、黄金ウィークが始まる。生憎沖縄は期間中天気が悪い
国民の休日 心に黄金花を各地で咲かせてください
Posted by 大工哲弘 at
23:27
2005年04月27日
流派・会派?
いったい八重山島唄界にはいくつの流派があるの?
よく聞かれる質問である。
ざっと揚げれば大浜用能流保存会、安室流協和会、
八重山古典民謡保存会、八重山音楽安室流保存会でも玉寄勢長傳先生率いる会とそして
我が山里勇吉先生の室山会がある。
その流派の歴史や経緯は後に細かく紹介することにして こんな小さな島にこんなに流派や会派があるのは
不思議な気もする。初めて八重山に移住し三線を習おうとする県外の人は先ず戸惑い入門選択の悩みがあると聞く。
しかし八重山の民謡がこれほどまでに人口に膾炙されたのも、流派や会派が競い合っているからだという人もいる。「むこうには負けたくない!」そういう競争力が増し盛んになっているという考え方もある?!
でも 本来音楽や伝統芸能をやるには好ましくない精神だ。自分を磨くのであって、相手の会を咎めて自分の会を誉めるのは惨めになるだけで「むこうも上等だけど、我々の会もいいよ~!」の精神で流が変わろうが、会派が変わろうが、小さな島の同じうた達を歌っているのだから、歌心を大切に切磋琢磨に共有しあいたいものです。
小生は高校のときから山里勇吉師匠に惚れ、島のうたを追っかけて紆余曲折ここまで来た。
たまたま先生が安室流保存会所属だったから小生も
安室流にいる。まぁ単純な発想だが、流派・会派はどうでもいい事であって ただ山里勇吉師匠の歌が好きだったから、いまの小生がいる。また 昨年室山会発足に伴い 小生もアムラー(安室)と称し山里先生に尽くしたく会長も引き受けた。そして工工四も何曲か若干変わった。(その為ネットの皆さんにはご迷惑をおかけしております)
去った3月に空手の達人(宇城憲治)が小生とのラジオ番組の談で
「師を持たず、組織をつかずして自分自身で型をつくり上げる、これでは絶対の真理を得ることは出来ない。
自分なりの解釈が入るからです。自分なりの解釈ではいくら努力してもレベルの低いものになってしまう。歴史の流れの前にあっては、個人の考え、力は微々たるものだという謙虚な心が必要だと思います」
まったく この談話はそっくり島唄の会にも適用できそうです。
先日 札幌の琉球民謡愛好会が「さっぽろ島うたの会」
また「札幌やいま歌会」と名称変更された。
ある意味ではっきりした「形」→「会」ができた証拠だ。その形を長らく追求し得る事ができるか
弟子たちも師と仰ぎ技術は勿論、歌を通して師弟の謙虚な心を培い無形の遺産を継承していけるものだと
願っております。
札幌は名称変更と小林正樹の心機一転した変革を楽しみにしている。本当の意味でやる気が出てきた証拠だと喜んでいます。
よく聞かれる質問である。
ざっと揚げれば大浜用能流保存会、安室流協和会、
八重山古典民謡保存会、八重山音楽安室流保存会でも玉寄勢長傳先生率いる会とそして
我が山里勇吉先生の室山会がある。
その流派の歴史や経緯は後に細かく紹介することにして こんな小さな島にこんなに流派や会派があるのは
不思議な気もする。初めて八重山に移住し三線を習おうとする県外の人は先ず戸惑い入門選択の悩みがあると聞く。
しかし八重山の民謡がこれほどまでに人口に膾炙されたのも、流派や会派が競い合っているからだという人もいる。「むこうには負けたくない!」そういう競争力が増し盛んになっているという考え方もある?!
でも 本来音楽や伝統芸能をやるには好ましくない精神だ。自分を磨くのであって、相手の会を咎めて自分の会を誉めるのは惨めになるだけで「むこうも上等だけど、我々の会もいいよ~!」の精神で流が変わろうが、会派が変わろうが、小さな島の同じうた達を歌っているのだから、歌心を大切に切磋琢磨に共有しあいたいものです。
小生は高校のときから山里勇吉師匠に惚れ、島のうたを追っかけて紆余曲折ここまで来た。
たまたま先生が安室流保存会所属だったから小生も
安室流にいる。まぁ単純な発想だが、流派・会派はどうでもいい事であって ただ山里勇吉師匠の歌が好きだったから、いまの小生がいる。また 昨年室山会発足に伴い 小生もアムラー(安室)と称し山里先生に尽くしたく会長も引き受けた。そして工工四も何曲か若干変わった。(その為ネットの皆さんにはご迷惑をおかけしております)
去った3月に空手の達人(宇城憲治)が小生とのラジオ番組の談で
「師を持たず、組織をつかずして自分自身で型をつくり上げる、これでは絶対の真理を得ることは出来ない。
自分なりの解釈が入るからです。自分なりの解釈ではいくら努力してもレベルの低いものになってしまう。歴史の流れの前にあっては、個人の考え、力は微々たるものだという謙虚な心が必要だと思います」
まったく この談話はそっくり島唄の会にも適用できそうです。
先日 札幌の琉球民謡愛好会が「さっぽろ島うたの会」
また「札幌やいま歌会」と名称変更された。
ある意味ではっきりした「形」→「会」ができた証拠だ。その形を長らく追求し得る事ができるか
弟子たちも師と仰ぎ技術は勿論、歌を通して師弟の謙虚な心を培い無形の遺産を継承していけるものだと
願っております。
札幌は名称変更と小林正樹の心機一転した変革を楽しみにしている。本当の意味でやる気が出てきた証拠だと喜んでいます。
Posted by 大工哲弘 at
01:57
2005年04月20日
小林正樹と奈々夫婦

千客万来はまだ続いてます。
昨夜は札幌の小林夫婦が札幌の発表会を無事終え凱旋報告を兼ねて
久しぶりに帰って来た。
2月のリーダー会以来の来沖とあって小生との話も尽きなかった。
①来年のリーダー会の開催時期
②これからの札幌教室のあり方
③これまでの反省を踏まえ将来を見据えた稽古方法
④師弟関係
④ネットの効用
⑤今年から器楽部の設置に伴い伴奏楽器の指導育成
他・・・

↑コバ夫婦のこの満面な笑顔 ひさしぶりだな~~
大工教室のメンバーも交えて アルテ・崎山店で
みんなでワイワイ話すことまだまだあったが・・
時計を見たら もう3時を回っていた。
おつかれさんでしたね!
小林夫婦は今日から山原でマイナスイオンを沢山吸って心身ともに癒しに旅たつそうです。
どうぞ ゆっくり リフレッシュされてくだされ。
PS・小林くん 最近札幌の名産となりつつある、
スープカレー(らっきょう、チキン)と小生の大好物(真蛸)お土産ありがとう!!
早速 今日昼らっきょうカレー賞味しました。
此処だけの話だけど 本当に美味しかった!!
絶品モノです。
ありがとうね~
そういえば今週末は名古屋からYさんがくるなぁ~
手羽餃子・八丁味噌美味しいよね。。。
Posted by 大工哲弘 at
16:18
2005年04月18日
コンクール実施要綱
昨日(17日)理事会があり、第4回民謡コンクールの実施要綱が発表されました。
①~④実施要綱
⑤受験申し込書
「konkuruNO4.rtf」をダウンロード
今度から器楽部のコンクールが実施されます。
八重山笛の部(上い口説、下口説→新安里屋ゆんたに変更されました。
他鷲ぬ鳥かつんだら節を1曲選択)
「konkuruNO5申し込み書.rtf」をダウンロード
「kNO1.rtf」をダウンロード
「konkuruNO2.rtf」をダウンロード
「konkuruNO3.rtf」をダウンロード
コンクールに受験される方はご参照ください。
①~④実施要綱
⑤受験申し込書
「konkuruNO4.rtf」をダウンロード
今度から器楽部のコンクールが実施されます。
八重山笛の部(上い口説、下口説→新安里屋ゆんたに変更されました。
他鷲ぬ鳥かつんだら節を1曲選択)
「konkuruNO5申し込み書.rtf」をダウンロード
「kNO1.rtf」をダウンロード
「konkuruNO2.rtf」をダウンロード
「konkuruNO3.rtf」をダウンロード
コンクールに受験される方はご参照ください。
Posted by 大工哲弘 at
15:18
2005年04月16日
フォーク界の老人力 高田渡


このコラム正月からはじめて何名の訃報をお伝えしたか?また親しい歌友の訃報を知らせなければ なりません。
昨日午前1時22分に北海道の釧路でツアー中倒れて病院で療養していたが元気な姿を再び見せることなく息を引き取ってしまった高田渡さん。享年56歳。あまりにも早い死である。
きっと倒れたときはいつものアル中症候だからと思って再びステージで歌を聞けるとだれもが信じていたに違いない だが・・・
<渡さんのエピソード供養>
小生も昨年大阪の茨木でコンサートしたとき、チョット調子が悪かったので始まる前に差し入れの泡盛を喉を潤す為に飲んだが、飲みすぎて本気で酔ってしまった。
ステージは正直言ってあまり覚えていない。
そして打ち上げは実行委員の方々と盛大にされた。
「スミマセン 酔って散漫なステージになってしまって」と侘びをいれたら・・・「大工さん 心配しないで高田渡さんより まだまだいいよ~」
「えっ~??」
以前に同じ実行委員が渡さんを呼んでコンサートしたとき渡さん途中ステージで寝てしまったそうな・・・
んん~小生に慰めの言葉なのか?あまりにも渡さんの存在が大きいだけにあれくらいビッグになりなさいよ~ともきこえた。
小生なんかが ステージで寝てしまったら観客からキット石が飛んでくるでしょうね やっぱり渡さんくらい大モノだったからこそ睡眠ライブは許されるはずです。
そして打ち上げ会場ではスタッフ達が「生活の柄」をはじめ高田渡のオンパレードで盛り上がった。
風狂詩人、吟遊詩人、酒狂歌人などなどの異名をもつ渡さんは60年代から社会風刺歌や自衛隊を揶揄ったりプロテストソング数々にしても 自由を尊重する心の表れだったのだ
60年代から70年代にかけて政治経済、文化、社会が激動期のなかで生き抜いた背景があったからフォークソングを通して時代の旗手となっていたと思う。
小生と同じ団塊の世代だと会社では定年寸前だったりリストラにあったりして出口が見えない日本の経済環境は暗いニュースばがり、そういうときいつも深遠なる詩世界と繊細さと豪放な歌を聴いて多くの人が勇気を付けられたのではないでしょうか。
これからもずっと高田渡歌心は生き続けております。小生も渡さんの歌をライブの度歌い継いで活きたいと思います。
高田渡さんにあえて一緒に仕事できたこと幸せにおもっております。安らかに永眠されてください。
ご冥福を祈ってます。合掌
Posted by 大工哲弘 at
16:15
2005年04月14日
桜坂






今日ポカポカ陽気に誘われて昼休み時間散策しながら桜坂を撮ってきました。
(小生が昔通っている頃は桜何本かのこっていたが、いまは一本も・・・)
映画館が閉館になって向かいの平識商店のおばぁ~は「アイエナァ~誰も来なくなったさぁ~兄さんも遊びにきてね~」って・・・
そこでツナサンドを買った。
全国から毎日のように桜開花の知らせがあるが
日本人に最も親しまれている桜は地名や看板名称などによく使われている。
沖縄にも戦後大宜味村喜如嘉出身の今は亡き山城善光さん(民族、民話研究、)が那覇市の壺屋と牧志3丁目に跨る坂に桜を100本植樹したところから「桜坂」と名が付きもっとも賑やかな歓楽街となり、バー、キャバレー、クラブ、スナック、民謡クラブなど那覇の特飲街として80年代まで毎日朝方まで賑わっていた。
♪かりゆしぬ遊び うち晴りてぃからや 夜ぬ明けてぃ太陽ぬ上がるまでぃん
♪夜ぬ明きてぃ太陽ぬ上がらわんゆたさ 巳午時までぃん勉強さびら
71年頃桜坂の入り口(今は駐車場)に「おきなわ」という民謡クラブがあって山里勇吉先生、デビュー間もない大城志津子、上原正吉らが毎夜歌っていた。山里先生が都合で出演できない場合は小生がピンチヒッターを務めて歌っていた時期もあった。その民謡クラブ「おきなわ」が沖縄で民謡酒場の前進でもある。
桜坂は社用族が屯する社交の場として、また単身赴任族には行き付けの飲み屋は社会勉強の場として家人衆(やーにんじゅ・家族)の雰囲気があって夜桜が咲き乱れる独特なネオン大学でもあった。
しかし こんなに賑わっていた桜坂も時代と共に他の新歓楽街に横綱の座を奪われ閑散とした街と化してしまった。
それに輪をかけたように先日桜坂の名所「桜坂シリコン琉映」が閉館された。テレビやビデオDVDのレンタルには勝てなかったのか?青春の頃のノスタルジアの灯がまた一つ消えていく思いだ。
余談だが・・・
桜坂シリコン琉映閉館最後の映画は沖縄ロケの「寅さんシリーズ・男はつらいよ」であった。
そして なんと映写技師の名前が納清(おさめ きよし)。閉館にふさわしい?!
映画が始まると昔風にフイルム切れ会場真っ暗「フイルムも別れたくないてと泣いてます、本当に男はつらいです」。と館長がアドリブで別れの挨拶をステージ袖でしたそうだ。会場からは大爆笑と涙が・・・
その会場にいたかったなぁ~
また4期16年にわたり県都那覇市の市長を務めた親泊康晴さん(79歳)が11日お亡くなりになった。今日葬儀であった。人情味あふれる温厚な人柄は革新、保守問わず誰からも信頼され多くの支持を得ていた。文化・平和行政と街づくりに力を入れ95年の「天に響めさんしん3000」のイベントは印象に残っている。ご自宅も小生の前マンションの隣で、いつも「大工くんワンニンカイン サンシンナラーチクィリヨ~!」<私にも三線教えてくれよ~>といつも声をかけてくれて普段は島ぞうりを履く庶民派の市長でもあった。
ご冥福をお祈りしたいと思います。
Posted by 大工哲弘 at
15:21
2005年04月10日
過去
昨年の暮れから始めたVHSビデオテープからDVDへのダビングへの作業はいまも続いている。
(狭い我が家の書庫を広く使いたいのと、映像を劣化させない為でもある)
毎日2本ずつしたとしても すでに済んだものも240本は越えた。別にビデオマニアでもないが70年後半からTV出演番組、近親の結婚式や叔父、叔母、母の古希祝から、八重山、沖縄の各行事などなどを貯めて置いたらまだ数えたことはないが要に400本余りはあろう。残念ながら小生の結婚した73年はまだビデオは普及していなかった。記念写真もまだ白黒しか残ってない。時代だなぁ~
ダビングしながら時間があるときは見たり聞いたりする。
今はなき民謡界大御所の懐かしい在りし日の元気な姿がリアルに映し出されて、ついつい見入ってしまう。改めて感じるのは唄い方、唄の姿勢など 心の意識、意志がいまの歌い手とはちがうような気がする。自然体で歌う、いうまでもなく相手に聞かそうというリキミがまったくないのである。その真理こそが沖縄のうた心だと解っていても、過去の映像や音源を聞くことにより再発見し、勉強させられる。
「自らを顧みて縮くんば、千人いようが、わが道を行く」
(反省して正しと確信できれば相手が何千人いようが わが道を行く)である。
過去といえばいま新聞をにぎわしている中国や韓国が
反日感情をマル出しにしているのも、日本が「過去」の歴史をはっきりしないからであって、日本も背アジアであってはならない、凛とした態度で対峙してほしい。
沖縄は各地で先週から清明祭(しーみー)が始まった。この行事も元々中国からきた祭で先祖を敬う、一族郎党がお墓に集まり、いわば過去を知り、絆を確かめあう行事だ。
「過去」を見て「現在」を知り、また「未来」を
示唆してくれるような多くのビデオ映像は小生の宝だ。
(狭い我が家の書庫を広く使いたいのと、映像を劣化させない為でもある)
毎日2本ずつしたとしても すでに済んだものも240本は越えた。別にビデオマニアでもないが70年後半からTV出演番組、近親の結婚式や叔父、叔母、母の古希祝から、八重山、沖縄の各行事などなどを貯めて置いたらまだ数えたことはないが要に400本余りはあろう。残念ながら小生の結婚した73年はまだビデオは普及していなかった。記念写真もまだ白黒しか残ってない。時代だなぁ~
ダビングしながら時間があるときは見たり聞いたりする。
今はなき民謡界大御所の懐かしい在りし日の元気な姿がリアルに映し出されて、ついつい見入ってしまう。改めて感じるのは唄い方、唄の姿勢など 心の意識、意志がいまの歌い手とはちがうような気がする。自然体で歌う、いうまでもなく相手に聞かそうというリキミがまったくないのである。その真理こそが沖縄のうた心だと解っていても、過去の映像や音源を聞くことにより再発見し、勉強させられる。
「自らを顧みて縮くんば、千人いようが、わが道を行く」
(反省して正しと確信できれば相手が何千人いようが わが道を行く)である。
過去といえばいま新聞をにぎわしている中国や韓国が
反日感情をマル出しにしているのも、日本が「過去」の歴史をはっきりしないからであって、日本も背アジアであってはならない、凛とした態度で対峙してほしい。
沖縄は各地で先週から清明祭(しーみー)が始まった。この行事も元々中国からきた祭で先祖を敬う、一族郎党がお墓に集まり、いわば過去を知り、絆を確かめあう行事だ。
「過去」を見て「現在」を知り、また「未来」を
示唆してくれるような多くのビデオ映像は小生の宝だ。
Posted by 大工哲弘 at
00:19
2005年04月08日
歓迎会
とにもかくにも若狭島歌の会は元気がある。
昨夜も新人4名入ったので歓迎会を口実に飲み会であった。9時前まで稽古して食道楽「わんだーら」へ15名で駆け込んだ。新人生はアメリカ人の一茶さん(両親は日本人で、俳人・小林一茶が親は好きだったそうだ)他は女性で山本さん(神奈川)。ひが たかこ(那覇・若干21歳・保母士)。とよたあさこ(北海道・若干21歳・保母士)自己紹介が終わった。早速保母士の二人に名前を付けた。二人併せて「とよたにあさひがたかく上る」昔歴史の年代を覚えるみたいに、ピッタリハマッタ。
でも沖縄には「ひが のぼる」さんもいれば「ひが てるこ」さんもいる、まさに常夏沖縄のイメージに相応しいネーミング?!
などなど珍名を紹介した。
その とよたさんが僕の隣に座った。北海道出身ということは知ったけど、広い北海道はどちらですか?と聞いたら「紋別」。「先生も北海道に行ったこと有りますか?」と問われた「憚りながら毎年行ってますよ~」
「へぇ何しに行くのですか?」
「観光ですか?」
ンン~ う 歌を歌いに行くの ~
「すごいッ どんなところで歌うのですか?」
昨年は時計台で歌ったよ~
「時計台だったら 観光客の前で歌うの?」
「いや時計台の中は立派なコンサート会場施設があるんです、元々は農学校の演武場で すばらしいところだよ~」って北海道の人に
時計台の説明をオレが何故しなくちゃ成らないのか。。。
「へぇ知らなかった?」「でもすごい!時計台の中でうたを歌うって」
彼女が頷く「すごっい!」という言葉の含みは時計台でやるからすごいなのか、その時計台がすごいなのか?まったくチンプンカンプンで会話になってない、
というのも そもそも小生を歌い手ということも知らない、なんとなしに若狭公民館の門をくくったらしい、沖縄に来て約1年だそうだ。ハァ~疲れた!!
これから保母を続けながら沖縄の文化に触れて生きたいと力強く語っていた。
こうして県外の若い子も三線に触れ一つ一つ勉強し、皆と溶け込んでいくのだな~と思うと今更ながら嬉しくなった。でも とよたさん!これからは私「歌手」であるということ 憶えておいてね~♪
飲み直しに2軒ハシゴして帰りはいつものようにブリくんに送って貰ったが
もうすでに小生の時計も翌日を指していた。
昨夜も新人4名入ったので歓迎会を口実に飲み会であった。9時前まで稽古して食道楽「わんだーら」へ15名で駆け込んだ。新人生はアメリカ人の一茶さん(両親は日本人で、俳人・小林一茶が親は好きだったそうだ)他は女性で山本さん(神奈川)。ひが たかこ(那覇・若干21歳・保母士)。とよたあさこ(北海道・若干21歳・保母士)自己紹介が終わった。早速保母士の二人に名前を付けた。二人併せて「とよたにあさひがたかく上る」昔歴史の年代を覚えるみたいに、ピッタリハマッタ。
でも沖縄には「ひが のぼる」さんもいれば「ひが てるこ」さんもいる、まさに常夏沖縄のイメージに相応しいネーミング?!
などなど珍名を紹介した。
その とよたさんが僕の隣に座った。北海道出身ということは知ったけど、広い北海道はどちらですか?と聞いたら「紋別」。「先生も北海道に行ったこと有りますか?」と問われた「憚りながら毎年行ってますよ~」
「へぇ何しに行くのですか?」
「観光ですか?」
ンン~ う 歌を歌いに行くの ~
「すごいッ どんなところで歌うのですか?」
昨年は時計台で歌ったよ~
「時計台だったら 観光客の前で歌うの?」
「いや時計台の中は立派なコンサート会場施設があるんです、元々は農学校の演武場で すばらしいところだよ~」って北海道の人に
時計台の説明をオレが何故しなくちゃ成らないのか。。。
「へぇ知らなかった?」「でもすごい!時計台の中でうたを歌うって」
彼女が頷く「すごっい!」という言葉の含みは時計台でやるからすごいなのか、その時計台がすごいなのか?まったくチンプンカンプンで会話になってない、
というのも そもそも小生を歌い手ということも知らない、なんとなしに若狭公民館の門をくくったらしい、沖縄に来て約1年だそうだ。ハァ~疲れた!!
これから保母を続けながら沖縄の文化に触れて生きたいと力強く語っていた。
こうして県外の若い子も三線に触れ一つ一つ勉強し、皆と溶け込んでいくのだな~と思うと今更ながら嬉しくなった。でも とよたさん!これからは私「歌手」であるということ 憶えておいてね~♪
飲み直しに2軒ハシゴして帰りはいつものようにブリくんに送って貰ったが
もうすでに小生の時計も翌日を指していた。
Posted by 大工哲弘 at
16:07
2005年04月04日
勤労ホーム講座最後の文化祭他






大和でも桜開花宣言が出され、桜前線が駆け巡る春の便り日
沖縄も気持ちいい陽光な日曜日は第54回那覇市勤労青少年ホーム教養講座の最後の閉講式&文化祭が多彩なプログラムで賑々しく行われた。
講座最後の文化祭とあってこれまでとは違って観客も多く集まりワークショップ、や
てぃんさぐぬ花、島人ぬ宝などは舞台と観客が一つになっていた。
小生も生徒の演出により舞台に立たたされカチャーシーを演奏し全員がおどり、思い出に残る文化祭となった。
また その日は沖縄テレビのニュースにも取り上げられ、一般にも勤労ホームの名残を報道された。
小生の昨日はブリの足っし~で慌ただしくスケジュールをこなした。
まず勤労ホームの文化祭&交流会、その後玉城村にある浜辺の茶屋でYAEちゃんと朝崎郁恵さんのライブがあるとことを知り是非 聞きたいと思い、現地(玉城村)に行ったのですが
残念ながら、現地到着まではYAEのライブは終わっていた。悪かったYAEちゃん!
せっかくだから、浜辺の茶屋で会ってYAEと記念写真をパチリ。
その後、朝崎さんのライブを途中まで聞いて、隣の新原ビーチで琉球大学留学生がビーチパーリィしているというので、じゃーちょっとそこにも顔をだし挨拶でもしてくるか~
そこで来週台湾にかえる留学生と記念写真。(その新原ビーチは小林くんが率いる札幌のメンバーが最初来沖したときビーチパーティをしたところ)
急ぎ足で那覇市に戻り勤労の講座、毛遊びクラブが合同打ち上げをやっている会場・居酒屋「海援隊」に合流。新たに毛遊びで頑張ろうと誓い晩くまで呑ミィーニケーションをした。
モハメドブリくん!昨日はお疲れさんでした。
Posted by 大工哲弘 at
15:27




日本の地域ブログ大集合!津々浦々の美味い・楽しいがここに!