2005年05月31日
岡山・稽古 ツアー4

28日岡山やいま歌会の出張稽古がありました。
13時30分からコンクールにチャレンジする3名の個人指導
16時30分から全体の練習、日頃の練習の成果を
聞いていただこうと一生懸命だった。
その後は交流会、懇親会、一次会、二次会、飲みなおし会、
それにしても皆元気だ!
三線したら酒が丈夫になったのか?
酒が元々丈夫だったのか?
鶏と卵みたいな関係だが・・・


勿論 打ち上げの料理は小生の大好物の下津井の蛸づくし、
上の写真は前夜の懇親会での岩牡蠣だ。
小生も実は初めて食べる
これが また絶品の味だ!!

観光、稽古・交流会の日程を無事消化し駅までワザワザ
見送りに着てくれた田中くん、豊島さん、麻子さん(小林明の妻)
ありがとうございました!
名残惜しかったです。
次の東広島へと向かう
Posted by 大工哲弘 at
19:45
2005年05月31日
倉敷 ツアー3

何度も岡山には足を運ぶが まだ一度も観光をしたことがなかった。今度の出張稽古は岡山のいいところを見てもらおうと、半日倉敷・白壁通り観光とメンバーが懇切に案内してもらった
倉敷といえばクラボウというくらい昔から紡績工場で栄えていて沖縄からの集団就職生なども受け入れたところと言う名前は良く知っていたが、実際散策して観ると想像以上に素敵なところだ。


明治以後紡績産業は戦争や不況に直面しながら常に日本の近代化とともに変化発展してきた変遷とクラボウの歩みを展示したクラボウ記念館や美術館、考古学館、民芸館、郷土玩具店、アイビー館、歴史民族資料館など、観るところが満載で時間がいくらあっても足りないくらいだ。

クラボウ記念館を入ると2000年人間国宝に認定された。喜如嘉芭蕉布の平良敏子さんも戦前円挺身隊の一員として倉敷にわたり、そこで出会った大原総一郎社長や外山吉之氏に影響され民藝運動にもかかわり、翌年から喜如嘉に帰り芭蕉布織物を始めた言う話は有名だが記念館にも平良敏子さんの芭蕉布が展示されてあった。どれ一つとっても倉敷の歴史がしのばれ、遠い時代へと思いに誘われた記念館と白壁通りでした。
Posted by 大工哲弘 at
19:09
2005年05月31日
倉敷 ツアー2 おまけ

倉敷白壁通りを歩いていると白と黒の土塀が
つづきまばゆいくらい壁並みが綺麗に保存されてある。
それに柳の緑色樹木がものすごく映えて見える。
無彩色にちかい路地、現代服を着けている人がふと居なくなると
時代劇映画のロケにでも即使えそうな景観だ。
時代の錯覚を感じながら散策する、
路上で小間物を売っている光景がまた通りの名物に
なっている。
気持ちよくあるいていると自画像を描き路上販売している
自画像展示が目に留まり眺めていたら、な・なんと「ゆんたしょーら」
という小生の画像があのヨン様のとなりに置いてある。


びっくりして画を書いたおっさんに聞いてみたら、
実は前日頼まれたという。岡山やいま歌会のメンバーが
仕掛けた演出であった。ん~ハメラレタ!

今度はキーホルダー売り場を見ていたら
「先生 素敵なキーホルダーがあるよ?」
其処にも小生の名前と諺を書いた
キーホルダーが展示されていたが・・・
しかし それはバレバレであった。

まぁ下手な仕掛けではあったが、でも 岡山のメンバーも
これくらい遊び心がある県民性になったかと
思うと何とも嬉しかった。
画像とキーホルダー大事にとって置きたいと思います。
お陰で楽しい倉敷の観光が出来ました。
ぼっこう(岡山弁・たいへん)ありがとうございました。
Posted by 大工哲弘 at
18:39
2005年05月31日
慰霊コンサート (ツアーNO1)

26日奄美で嘉義丸慰霊コンサートに参加してきました。
ブログにも書いたように奄美島唄者の朝崎郁恵さん故父の辰恕さんが戦時中作り唄っていた歌が十九の春のメロディーに乗せて米軍の潜水艦に沈没された嘉義丸の犠牲者たちへ哀悼の心を捧げる気持ちで歌っていた。
幼い頃からその曲を聞いて育った郁恵さんは、「その歴史を世に伝えなくちゃ」と準備を進め、嘉義丸の
沈没された同じ日にコンサートを実行、また嘉義丸の生存者・新城スエさん(沖縄出身88歳・東京在)も招待され、同会場で慰霊セレモニーも行われた。
新城のおばぁ~は「88歳まで生きてこられたのは奄美の皆さんのお陰です」と沈没後奄美の漁船に助けれた話と戦争の凄惨さを涙を流しながら満席の聴衆に
語りました。(実はスエさんは昨年小生が調布市でコンサートをしたときも来場され、最後にカチャーシーを踊り元気な姿を見せていました)その日も六調節・カチャーシを踊り皆をびっくりさせていた。

3時間半と長いコンサートでしたが内容のあるコンサートだった。打ち上げも遅い時間から始まったが
大勢あつまりライブハウス「ASIBI」は盛り上がった。

中孝介と前山真吾くん
真吾はまだ若干22歳(介護士)孝介を脅かす勢いで奄美の島唄は会場に若者達で弾けた
その若者達と島唄談義に夜を明かし今回の旅は始まる。
Posted by 大工哲弘 at
10:51
2005年05月25日
嘉義丸
明日奄美で 島唄の一人者 朝崎郁恵さん(加計呂麻島出身)のコンサート「おぼくり2005~嘉義丸のうた」のゲストで行くことになりました。
聞きなれない「嘉義丸」?
小生も朝崎さんとお会いし話を聞くまでは恥ずかしながら知らなかった。
戦前は沖縄や奄美から本土に出稼ぎに行っていた人たちなどが太平洋戦争の戦況の悪化をしり 家族を心配帰郷するため利用した徴用船のこと。
1943年5月26日、神戸から沖縄に向かう途中、奄美北方沖で米軍の魚雷攻撃で沈没、死者行方不明者は321人の犠牲者が出たそうだ。生存者は100名
奇跡的に生き残った人から悲痛な話を基に「鎮魂歌・嘉義丸の唄」の唄を作った。なんと これが「十九の春」の曲
♪思う間もなくいとまなく 追いさらわれて海原へ
これが最期の見収めか 親子最期のみ納めか
(以下略)
などと数え歌で13番まで歌われる 完全なる十九の春のメロディーである。この曲は郁恵さんの故父親の朝崎辰恕(たつじょ)さんが戦時中に米軍攻撃で沈没した船の犠牲者の為に作り唄っていたのを ある日 田端義男さんも唄っている「十九の春」を耳にし「父親がうたっていた唄をおんなじ」とビックリし鎮魂歌を復活 歌い継ぐことによって父親へのご恩返しも出来ると思い。今回新アルバム「おぼくり(東芝EMI)」に収録され、同船が沈没された5月26日に全国リリースされる。
明日(26日)のコンサートは唄が引き寄せた仲間が集い、朝崎親子の魂が60年の時を経て 見事よみがえる
また1944年、奄美大島近海 悪石島付近で
沖縄の学童疎開船「対馬丸」が米潜水艦の魚雷攻撃をうけ沈没し学童825名、生存者(学童59名、一般168名)合わせて1500名の尊い命が奪われたところでもある。
深海に眠る両船犠牲者の冥福を祈り恒久平和を祈念しつつ明日の「朝崎郁恵・おぼくりコンサート」の成功を祈らずには いられない
http://www.amami-ya.com/
聞きなれない「嘉義丸」?
小生も朝崎さんとお会いし話を聞くまでは恥ずかしながら知らなかった。
戦前は沖縄や奄美から本土に出稼ぎに行っていた人たちなどが太平洋戦争の戦況の悪化をしり 家族を心配帰郷するため利用した徴用船のこと。
1943年5月26日、神戸から沖縄に向かう途中、奄美北方沖で米軍の魚雷攻撃で沈没、死者行方不明者は321人の犠牲者が出たそうだ。生存者は100名
奇跡的に生き残った人から悲痛な話を基に「鎮魂歌・嘉義丸の唄」の唄を作った。なんと これが「十九の春」の曲
♪思う間もなくいとまなく 追いさらわれて海原へ
これが最期の見収めか 親子最期のみ納めか
(以下略)
などと数え歌で13番まで歌われる 完全なる十九の春のメロディーである。この曲は郁恵さんの故父親の朝崎辰恕(たつじょ)さんが戦時中に米軍攻撃で沈没した船の犠牲者の為に作り唄っていたのを ある日 田端義男さんも唄っている「十九の春」を耳にし「父親がうたっていた唄をおんなじ」とビックリし鎮魂歌を復活 歌い継ぐことによって父親へのご恩返しも出来ると思い。今回新アルバム「おぼくり(東芝EMI)」に収録され、同船が沈没された5月26日に全国リリースされる。
明日(26日)のコンサートは唄が引き寄せた仲間が集い、朝崎親子の魂が60年の時を経て 見事よみがえる
また1944年、奄美大島近海 悪石島付近で
沖縄の学童疎開船「対馬丸」が米潜水艦の魚雷攻撃をうけ沈没し学童825名、生存者(学童59名、一般168名)合わせて1500名の尊い命が奪われたところでもある。
深海に眠る両船犠牲者の冥福を祈り恒久平和を祈念しつつ明日の「朝崎郁恵・おぼくりコンサート」の成功を祈らずには いられない
http://www.amami-ya.com/
Posted by 大工哲弘 at
02:44
2005年05月24日
福地山
去った2月京都ミューズのライブで福知山音頭という歌を歌わせてもらった。
その土地に行ってその土地の風土や歴史を知るには一番地元の歌を知ることが近道だと思うからである。
♪福地山出て 長田野越えて 駒を早めて亀山へ
ドッコイセー ドッコイセー チョイチョイノ チョイチョイノセ トコドッコイ ドッコイ ドッコイセ
福知山は京都から山陰街道の宿駅として、また由良川の重要な河港そして古くから開けた町であった。
歴史も古く天正7年(1575)織田信長の命を拝した明智光秀が陥しいれて武将の四天王但馬守を置いて福知山城(別名・御霊神社)と改め以降、福知山は明智光秀の城下町として栄えたという。
♪明智光秀 丹波を広め 広め丹波の 福知山
ご当地では福知山音頭の囃子詞をとり「ドッコイセ祭」と言って毎年8月15日前後に 編笠(あみかさ)をかぶり 元禄姿でうたいおどる 歴史のある盆踊りがあるそうだ、残念ながら小生はまだそのドッコイセ祭見たことがないです。機会をみて是非見てみたい祭である。
福知山音頭は各地の音頭とは違い活発なリズム力強い唄い方ではなしに上品な唄い方 やわらかいお座敷唄風だ。なるほど京都らしいといれば京都らしいのですが、
調べてみたらやっぱり海老原某という老人と江戸からきた花子なる女性が江戸風に改調したことが判った。
その土地の歌一つにしても色んな歴史があって面白い。
しかし その「福知山」という名称が「福知山線脱線事故」というJR西日本の不肖時で未曾有な大参事を起こし毎日の様に新聞の見出しに取り上げられて別の意味で有名になってしまった。
その列車脱線大参事が起きてから明日(25日)は一ヶ月を迎える。多くの犠牲者を出し JR西日本の対応 体質 いまだ心は癒えない。
本当に心晴れ晴れとして「♪ドッコイセ ドッコイセ」福知山音頭を唄い踊れる日があるのか?
いや むしろこう云うご時世であるからドッコイセ!と厄払いして日本に「福」を招いて欲しい。
その土地に行ってその土地の風土や歴史を知るには一番地元の歌を知ることが近道だと思うからである。
♪福地山出て 長田野越えて 駒を早めて亀山へ
ドッコイセー ドッコイセー チョイチョイノ チョイチョイノセ トコドッコイ ドッコイ ドッコイセ
福知山は京都から山陰街道の宿駅として、また由良川の重要な河港そして古くから開けた町であった。
歴史も古く天正7年(1575)織田信長の命を拝した明智光秀が陥しいれて武将の四天王但馬守を置いて福知山城(別名・御霊神社)と改め以降、福知山は明智光秀の城下町として栄えたという。
♪明智光秀 丹波を広め 広め丹波の 福知山
ご当地では福知山音頭の囃子詞をとり「ドッコイセ祭」と言って毎年8月15日前後に 編笠(あみかさ)をかぶり 元禄姿でうたいおどる 歴史のある盆踊りがあるそうだ、残念ながら小生はまだそのドッコイセ祭見たことがないです。機会をみて是非見てみたい祭である。
福知山音頭は各地の音頭とは違い活発なリズム力強い唄い方ではなしに上品な唄い方 やわらかいお座敷唄風だ。なるほど京都らしいといれば京都らしいのですが、
調べてみたらやっぱり海老原某という老人と江戸からきた花子なる女性が江戸風に改調したことが判った。
その土地の歌一つにしても色んな歴史があって面白い。
しかし その「福知山」という名称が「福知山線脱線事故」というJR西日本の不肖時で未曾有な大参事を起こし毎日の様に新聞の見出しに取り上げられて別の意味で有名になってしまった。
その列車脱線大参事が起きてから明日(25日)は一ヶ月を迎える。多くの犠牲者を出し JR西日本の対応 体質 いまだ心は癒えない。
本当に心晴れ晴れとして「♪ドッコイセ ドッコイセ」福知山音頭を唄い踊れる日があるのか?
いや むしろこう云うご時世であるからドッコイセ!と厄払いして日本に「福」を招いて欲しい。
Posted by 大工哲弘 at
11:16
2005年05月23日
くすくす料理

今年初めてのビーチパーティを知念村にあるアザマサンサンビーチで昨日(22日)梅雨の合間の太陽を一杯に受け小生の指導する教室やサークルの仲間が集まり賑やかに行われた。
普通沖縄のバーベQといえば牛肉、チキン、ウィンナー、キャベツ、ウチナースバ(最後に焼きそば用)たまねぎ、野菜他、が定番のメニューだ。
しかし今回は定番メニュー以外にチューニジアの留学生、モハメド・ブリくんが自国のご自慢料理「くすくす」を作って皆に振舞ってくれた。
昨年は勤労ホーム、公民館でチューニジア料理講座も開講した経験もあり、なかなかの腕前である。

クスクス料理は元々北アフリカの先住民であるベルベル人がルーツで
アラブ人やイスラム教とともにアフリカ系ユダヤ人も独自でクスクスを開発して
地中海沿岸一帯に流行させた。
パスタの粒状のセモリナ(パスタ用の小麦)に豆や芋、人参が入り、トマトベースに野菜ソースや、肉、魚、チキンを添え 程好いスパイスを効かせたクスクスは北アフリカからの移民がフランスにも広めたという。
また具は、それぞれの雰囲気に合わせて変えることもできて、病気や願いごとに 適応するクスクスもつくれるというのが いかにもイスラム教から出た民族料理と云えよう。
小生も大好きな料理で いつも ブリくんに御願いして作らせているが、 その特徴は大きな皿に盛合わせてテーブルに出すと、クスクスを囲み国、県境を越え円座ができ、話が盛り上がり自然と “小笑” いが出るのが魅力である。
かてて加えてチューニジアの料理の他に水煙草も登場し回し吸い比べもあった。(ニコチンはまったくないです)
煙草は元々「縁着け草」といわれている通り
パーティーの効果的な余興の演出にも火を着け、一役かってくれる
水煙草は上等だね

因みにチューニジアでは水煙草(ウォーターシガレット)は国民の煙草だ!
Posted by 大工哲弘 at
13:13
2005年05月22日
オキナワ病
沖縄病という強烈な風土病がある
その言葉を流行らせたは物理学者で東大の総長も勤めた茅誠司さんが1960年に沖縄教育研究中央集会の会合に出席され、そのときの講演のなかで「沖縄のことを考え続ける沖縄病」という表現を使ったときから
沖縄に来て沖縄が好きになりまるで病のように取り付かれることを「沖縄病」患者と呼ばれるようになったそうです。~永六輔の『沖縄からは日本が見える』より~
意外と「沖縄病」は早くから使われていたのですが
なかなか根付かなく言葉だけが先行して
85年前までは病患者は少なかった。
しかし その後は急速にブームと化し、沖縄の自然や文化に惚れ、とうとう沖縄という土地の磁力にも引かれ続け移住する重症患者が今尚増え続けている。
今は何処に行っても沖縄病患者と会えるのが普通になった。どこでも会えて「沖縄好き人間」というネットも広がり蔓延している今日この頃である。
そんな沖縄文化風土病の多い中
Y県出身、40歳手前のF田と名乗る男と話をする機会があった。彼曰く「清明祭、他まつりごと、食文化、沖縄人の考え方には着いて行けない」<細かいコメントは省きます>と言うくらい全て沖縄文化を否定し凄いアレルギー症なのだ。
どうして沖縄嫌いな人が沖縄に住んでいるの~?聞いてみた。親父が転勤族で3年沖縄勤務を終えて、親父はY県に帰ったが本人だけそのまま沖縄に住み着いて仕事と生活のためだという。
まぁ~人の考え方や生き方はナーメイメイ(人それぞれ)である。
小生は最近ライブやコンサートのとき会場に足を
運んでくれてアンケート用紙に書き添えてくれたのを
後で見るのが楽しみだが、
見ると 大体「よかった!」という内容の誉めたのが多い、そんな中で「酷評」のアンケート意見は貴重だ。
「悪かった」「イマイチ」の声を
大切に反省の材料として これからのライブに活かしたいと心がけている。
今年も全国に行きライブをする予定だ。
「よかった」より「注文」をつけ呵責していただき
所詮ブームは廃れモノ、 本当の沖縄と本物の小生を育てて欲しいと願うからである。
その言葉を流行らせたは物理学者で東大の総長も勤めた茅誠司さんが1960年に沖縄教育研究中央集会の会合に出席され、そのときの講演のなかで「沖縄のことを考え続ける沖縄病」という表現を使ったときから
沖縄に来て沖縄が好きになりまるで病のように取り付かれることを「沖縄病」患者と呼ばれるようになったそうです。~永六輔の『沖縄からは日本が見える』より~
意外と「沖縄病」は早くから使われていたのですが
なかなか根付かなく言葉だけが先行して
85年前までは病患者は少なかった。
しかし その後は急速にブームと化し、沖縄の自然や文化に惚れ、とうとう沖縄という土地の磁力にも引かれ続け移住する重症患者が今尚増え続けている。
今は何処に行っても沖縄病患者と会えるのが普通になった。どこでも会えて「沖縄好き人間」というネットも広がり蔓延している今日この頃である。
そんな沖縄文化風土病の多い中
Y県出身、40歳手前のF田と名乗る男と話をする機会があった。彼曰く「清明祭、他まつりごと、食文化、沖縄人の考え方には着いて行けない」<細かいコメントは省きます>と言うくらい全て沖縄文化を否定し凄いアレルギー症なのだ。
どうして沖縄嫌いな人が沖縄に住んでいるの~?聞いてみた。親父が転勤族で3年沖縄勤務を終えて、親父はY県に帰ったが本人だけそのまま沖縄に住み着いて仕事と生活のためだという。
まぁ~人の考え方や生き方はナーメイメイ(人それぞれ)である。
小生は最近ライブやコンサートのとき会場に足を
運んでくれてアンケート用紙に書き添えてくれたのを
後で見るのが楽しみだが、
見ると 大体「よかった!」という内容の誉めたのが多い、そんな中で「酷評」のアンケート意見は貴重だ。
「悪かった」「イマイチ」の声を
大切に反省の材料として これからのライブに活かしたいと心がけている。
今年も全国に行きライブをする予定だ。
「よかった」より「注文」をつけ呵責していただき
所詮ブームは廃れモノ、 本当の沖縄と本物の小生を育てて欲しいと願うからである。
Posted by 大工哲弘 at
01:45
2005年05月18日
稽古中の珍事
沖縄の教室も安次富を除いては皆県外出身だ。
岐阜、東京、兵庫、岡山、長崎、北海道と様々だ
三線稽古最中 北海道から8月まで那覇に移住し稽古に来ているMさんが「ぎゃ~!!」と大声を出した。
皆何事かと気を止めたら、何と彼女の三線ソフトケースの下をゴキブリが元気よく歩き回っている。沖縄に住み慣れた方はいつでも見るというより全国的に存在する憎き害虫であるゴキブリちゃんの出没には見慣れた光景だが、北海道出身のMさんは なんと 生まれて初めてゴキブリを見たという。
その後は うた三線にも実が入らないさぁ~
そう言えば北海道にはゴキブリも梅雨時期もないよね。
羨ましい
宮良出身のコウロギ博士の肩書きを持つ大城先輩に言わせるとゴキブリもコウロギの一種で3億年前から地球に存在してしつこく熱帯から温帯地域にかけて繁栄を誇っているという。
世界中の人類から一番嫌われ 地球が滅びてもきっとゴキブリだけは生き伸びるだろう思われる
不思議な生虫(いちむし)
ゴキブリが居なくなって人類平和な世の中が訪れるのは何時なのか? 共通の願いだと思う。
沖縄ではゴキブリを「トービーラー」または「ヒーラー」
八重山では「クムシ」と云う。
先ずはと思いアイヌ語にゴキブリ名はないかと「北海道ウタリ協会」から出したアイヌ語テキストを調べたら やっぱり無かった。
当然存在しないから無いのは当ったり前
Mさん曰く「もう 札幌に帰りたい~!」だってぇ
カルチャーショック、ネイチャーショックならぬ
トービーラーショック!?
よっぽどショックだったみたいだね
今 沖縄は梅雨の真っ只中 今日は全国的に真夏のような天気であると天気情報が伝えた。
また今日から沖縄では天気予報にUV(紫外線)情報なるものも伝える。
若夏が終わり本格的な真夏の季語を八重山では「苦夏」<んがなつ>という
北の大地出身にはこれから本格的なトービーラーの
到来夏の季節は辛い苦い季節かも知れない。
岐阜、東京、兵庫、岡山、長崎、北海道と様々だ
三線稽古最中 北海道から8月まで那覇に移住し稽古に来ているMさんが「ぎゃ~!!」と大声を出した。
皆何事かと気を止めたら、何と彼女の三線ソフトケースの下をゴキブリが元気よく歩き回っている。沖縄に住み慣れた方はいつでも見るというより全国的に存在する憎き害虫であるゴキブリちゃんの出没には見慣れた光景だが、北海道出身のMさんは なんと 生まれて初めてゴキブリを見たという。
その後は うた三線にも実が入らないさぁ~
そう言えば北海道にはゴキブリも梅雨時期もないよね。
羨ましい
宮良出身のコウロギ博士の肩書きを持つ大城先輩に言わせるとゴキブリもコウロギの一種で3億年前から地球に存在してしつこく熱帯から温帯地域にかけて繁栄を誇っているという。
世界中の人類から一番嫌われ 地球が滅びてもきっとゴキブリだけは生き伸びるだろう思われる
不思議な生虫(いちむし)
ゴキブリが居なくなって人類平和な世の中が訪れるのは何時なのか? 共通の願いだと思う。
沖縄ではゴキブリを「トービーラー」または「ヒーラー」
八重山では「クムシ」と云う。
先ずはと思いアイヌ語にゴキブリ名はないかと「北海道ウタリ協会」から出したアイヌ語テキストを調べたら やっぱり無かった。
当然存在しないから無いのは当ったり前
Mさん曰く「もう 札幌に帰りたい~!」だってぇ
カルチャーショック、ネイチャーショックならぬ
トービーラーショック!?
よっぽどショックだったみたいだね
今 沖縄は梅雨の真っ只中 今日は全国的に真夏のような天気であると天気情報が伝えた。
また今日から沖縄では天気予報にUV(紫外線)情報なるものも伝える。
若夏が終わり本格的な真夏の季語を八重山では「苦夏」<んがなつ>という
北の大地出身にはこれから本格的なトービーラーの
到来夏の季節は辛い苦い季節かも知れない。
Posted by 大工哲弘 at
01:38
2005年05月15日
復帰して33年
今日は沖縄が施政権返還され本土に復帰して満33年をむかえました。
戦後60年も経ち半世紀にもなるのに いまだ何にも変らない基地問題。
小生は5月15日の新聞はストックするようにしてますが
今日も20年前、10年前の記事を取り出して見ても「基地に翻弄される沖縄」「基地の抑止力」「沖縄の負担軽減」
それに 普天間基地から辺野古への海上基地建設 容認 基地たらい回しの新たな過重負担が増えた。
復帰前に故嘉手苅林昌おとーのお母さんが詠んだ琉歌を思い出す。
♪あたら我が沖縄 品物のたとい
取たい取らったい 上にまかち
(愛しの我が沖縄 ニッポンから見れば品物のようだ、戦争で負けはアメリカに売り
復帰といっては取りかえす、それもすべてお上まかせで民意無視)
♪戦世ん終てぃ みるく世がとぅみば
国ぬユサユサぬ 果てぃや無らん
(あの戦争が終わって もう平和な世の中になるだろうと思えば
自衛隊だ、軍隊だと国中がゆれにゆれる イヤな予感!)
意味 深だ!!
そんな色んな問題を抱えながらも
沖縄の文化ブランドは元気だ
今日はまた 沖縄文化に惚れた「さっぽろ八重山うた会」の細田祥一と奈実子(旧姓 瀬尾)さんとが目出度く今夜結婚式を迎える。
5・15日に忘れられない結婚記念日になりますね。
心から おめでとう ございます!
いつまでも 幸せに
そして 奥さんの体調をみて 是非新婚旅行は沖縄でお待ちしております。
戦後60年も経ち半世紀にもなるのに いまだ何にも変らない基地問題。
小生は5月15日の新聞はストックするようにしてますが
今日も20年前、10年前の記事を取り出して見ても「基地に翻弄される沖縄」「基地の抑止力」「沖縄の負担軽減」
それに 普天間基地から辺野古への海上基地建設 容認 基地たらい回しの新たな過重負担が増えた。
復帰前に故嘉手苅林昌おとーのお母さんが詠んだ琉歌を思い出す。
♪あたら我が沖縄 品物のたとい
取たい取らったい 上にまかち
(愛しの我が沖縄 ニッポンから見れば品物のようだ、戦争で負けはアメリカに売り
復帰といっては取りかえす、それもすべてお上まかせで民意無視)
♪戦世ん終てぃ みるく世がとぅみば
国ぬユサユサぬ 果てぃや無らん
(あの戦争が終わって もう平和な世の中になるだろうと思えば
自衛隊だ、軍隊だと国中がゆれにゆれる イヤな予感!)
意味 深だ!!
そんな色んな問題を抱えながらも
沖縄の文化ブランドは元気だ
今日はまた 沖縄文化に惚れた「さっぽろ八重山うた会」の細田祥一と奈実子(旧姓 瀬尾)さんとが目出度く今夜結婚式を迎える。
5・15日に忘れられない結婚記念日になりますね。
心から おめでとう ございます!
いつまでも 幸せに
そして 奥さんの体調をみて 是非新婚旅行は沖縄でお待ちしております。
Posted by 大工哲弘 at
17:37
2005年05月12日
いら?
先日 大阪の小野くんから八重山毎日新聞掲載(2005年2月21~23日付)の「その語源と語彙を考える」當山善堂さんが『いら』についての論考を書いておられたのをスクラップして送られてきたので、これを紹介し小生なりに「いら」を考察してみた。
「いら」と聞いただけで、♪赤馬節の「いらさにしゃ今日ぬ日」を思い出す。他に♪越城節の「いまらにぬ生まりや・・」♪真乙姥節「まいつばぬ いらまり」
♪とぅばらーま「イラ・ンゾシヌー・・」♪きあいそう節「サーイランゾーサーかぬしゃまーよ・・」
それらは八重山の唄に出てくる「いら」である。
その「いら」を宮良泰平氏は「苛」<甚だしいさま、たいへん・ひじょうに>喜舎場永洵氏は感嘆語で「ああ」「おや」<ああ羨(喜ば)ましいことよ>。
外間守善・宮良安彦氏は<ああ嬉しい>宮城信勇氏は「えら」→「偉・豪」形容詞えらしの語幹<優れていること、はなだしいこと>と訳されている。
先生方の解釈はまちまちだが当の當山氏の説は最後の宮城信勇先生の「偉」を同一性として解いている。
その訳は中央語の「え段」は石垣方言では沖縄全体の方言と同じく多い場合「い段」と対応する。たとえば「毛」→「き」「手」→「てぃ」「目」→「み」という具合に法則に照らしてみると中央語「えら」が「いら」に転化した同義語だと云う。
♪赤馬ぬ いらすざ<赤馬のたいへん名誉なことよ>♪真乙姥節ぬいらまり<まいつば優れた生まれ>♪越城節・いまらにぬ<器量よし・優れた>♪とぅばらーまの「仲筋ぬかぬしゃーま相談ぬならぬイラー」となっているのは歌唱法の都合で、イラーは元々独立して「相談ぬならぬ」→「イランゾシーヌ かぬしゃーまよ」となり接頭語と副詞としての体栽を分かりやすくして訳してみると「非常にいとしい」となりぴったりとおさまる。と八重山歌に出てくる「いら」説を当てはめ當山さんらしい論考を述べておられる。
しかし このイラは元々宮古民謡にも多く使われているのを當山さんは知っているだろうか?八重山で歌われている♪殿様節も元来宮古から伝わったと言われる元唄「あやぐ」がある。その♪あやぐにも「イラヨーイマーヌヨー宮古ぬあやぐ」としてエイサー曲にもよく親しまれている曲である。 その同一の「イラヨーイマーヌヨー・・」が宮古の旋律をもつ♪夏花節も「イラヨーイマーヌヨー」というハヤシ
「いら」がフンダンに出てくる。
では宮古民謡には
♪なりやまあやぐ
♪長山底
♪豆が花
♪宮古ぬあやぐ
♪御船ぬ主
♪三日が夜
♪梅の花乙女(新しい歌)
新しい歌にも「いら」言葉が使われているのは宮古島らしいですが・・・
新しい歌と言えば大島保克が歌っている「イラヨイ月夜浜」古謝美佐子の「童神」などもイラヨーヘイが入り唄全体を和らげている2曲はイラヨイは効果的に使われている。
イラヨイ月夜浜では「イラヨイ」とは宮古方言で愛しいとか懐かしいさを思うときに使う古語
だそうだ。と記されてありますが。
どうも その意味にしては前後の歌詞がかみ合わないので、宮古民謡の大御所・国吉源次兄(あざ)に聞いてみた。「イラ」「イラヨイ」→「ね・本当に」とか「本当!」という意味が含まれていると教えて貰った。「いら・苛」は「偉」ではなしに謙虚なウチナーン人の心を表現した感嘆詞「本当に」という国吉説がイラヨイ月夜浜や童神、八重山の歌・宮古の歌にしても「イラヨイ・本当に」がフィットすると思うのだが・・・
以前 宮城信勇先生は八重山の「まいふな」考を<賢い・津義者>と説いておられたが、宮古にまだ「まいくが・まいふか」<良い男>という言葉をあることを知り、まい「前」くが「男」であることを解き、これは沖縄の「めーゐきが」<男前・良い男>と同義語であると訂正されておられた。
八重山だけでは解らない、宮古だけでも判らない、色んな角度から照らし合わせると
分かることが出てくる事だってあるのだ。
何の変哲もないハヤシ言葉、掘り下げると 「イラ」こんなにも行間を満たす長い考察にはなるとは思ってもみませんでした。(汗)
イラヨイマーヌ八重山よ
イラヨイマーヌ宮古よ
イラヨイマーヌ沖縄よ♪
「いら」と聞いただけで、♪赤馬節の「いらさにしゃ今日ぬ日」を思い出す。他に♪越城節の「いまらにぬ生まりや・・」♪真乙姥節「まいつばぬ いらまり」
♪とぅばらーま「イラ・ンゾシヌー・・」♪きあいそう節「サーイランゾーサーかぬしゃまーよ・・」
それらは八重山の唄に出てくる「いら」である。
その「いら」を宮良泰平氏は「苛」<甚だしいさま、たいへん・ひじょうに>喜舎場永洵氏は感嘆語で「ああ」「おや」<ああ羨(喜ば)ましいことよ>。
外間守善・宮良安彦氏は<ああ嬉しい>宮城信勇氏は「えら」→「偉・豪」形容詞えらしの語幹<優れていること、はなだしいこと>と訳されている。
先生方の解釈はまちまちだが当の當山氏の説は最後の宮城信勇先生の「偉」を同一性として解いている。
その訳は中央語の「え段」は石垣方言では沖縄全体の方言と同じく多い場合「い段」と対応する。たとえば「毛」→「き」「手」→「てぃ」「目」→「み」という具合に法則に照らしてみると中央語「えら」が「いら」に転化した同義語だと云う。
♪赤馬ぬ いらすざ<赤馬のたいへん名誉なことよ>♪真乙姥節ぬいらまり<まいつば優れた生まれ>♪越城節・いまらにぬ<器量よし・優れた>♪とぅばらーまの「仲筋ぬかぬしゃーま相談ぬならぬイラー」となっているのは歌唱法の都合で、イラーは元々独立して「相談ぬならぬ」→「イランゾシーヌ かぬしゃーまよ」となり接頭語と副詞としての体栽を分かりやすくして訳してみると「非常にいとしい」となりぴったりとおさまる。と八重山歌に出てくる「いら」説を当てはめ當山さんらしい論考を述べておられる。
しかし このイラは元々宮古民謡にも多く使われているのを當山さんは知っているだろうか?八重山で歌われている♪殿様節も元来宮古から伝わったと言われる元唄「あやぐ」がある。その♪あやぐにも「イラヨーイマーヌヨー宮古ぬあやぐ」としてエイサー曲にもよく親しまれている曲である。 その同一の「イラヨーイマーヌヨー・・」が宮古の旋律をもつ♪夏花節も「イラヨーイマーヌヨー」というハヤシ
「いら」がフンダンに出てくる。
では宮古民謡には
♪なりやまあやぐ
♪長山底
♪豆が花
♪宮古ぬあやぐ
♪御船ぬ主
♪三日が夜
♪梅の花乙女(新しい歌)
新しい歌にも「いら」言葉が使われているのは宮古島らしいですが・・・
新しい歌と言えば大島保克が歌っている「イラヨイ月夜浜」古謝美佐子の「童神」などもイラヨーヘイが入り唄全体を和らげている2曲はイラヨイは効果的に使われている。
イラヨイ月夜浜では「イラヨイ」とは宮古方言で愛しいとか懐かしいさを思うときに使う古語
だそうだ。と記されてありますが。
どうも その意味にしては前後の歌詞がかみ合わないので、宮古民謡の大御所・国吉源次兄(あざ)に聞いてみた。「イラ」「イラヨイ」→「ね・本当に」とか「本当!」という意味が含まれていると教えて貰った。「いら・苛」は「偉」ではなしに謙虚なウチナーン人の心を表現した感嘆詞「本当に」という国吉説がイラヨイ月夜浜や童神、八重山の歌・宮古の歌にしても「イラヨイ・本当に」がフィットすると思うのだが・・・
以前 宮城信勇先生は八重山の「まいふな」考を<賢い・津義者>と説いておられたが、宮古にまだ「まいくが・まいふか」<良い男>という言葉をあることを知り、まい「前」くが「男」であることを解き、これは沖縄の「めーゐきが」<男前・良い男>と同義語であると訂正されておられた。
八重山だけでは解らない、宮古だけでも判らない、色んな角度から照らし合わせると
分かることが出てくる事だってあるのだ。
何の変哲もないハヤシ言葉、掘り下げると 「イラ」こんなにも行間を満たす長い考察にはなるとは思ってもみませんでした。(汗)
イラヨイマーヌ八重山よ
イラヨイマーヌ宮古よ
イラヨイマーヌ沖縄よ♪
Posted by 大工哲弘 at
13:41
2005年05月08日
工工四

十数年前書いた工工四(三線楽譜)がコピーのコピーを重ねて何百回も繰り返してきた所為でしょう、殆ど薄くなってきて段々見にくくなってきたので思いっきり書き直すことにした。
一時期「さっぽろ八重山うた会」の高橋さんが開発したというPCソフトで工工四をうち直していたのですが、ソフトで打った楽譜は確かに整って綺麗である。
しかし、2分5厘・7部5厘の細かい所がどうしてもズレルという難点もあって(小生の腕の悪さもあるが)テープの音源と会わないという指摘がネットからもあった。
それに公民館や教室の弟子や生徒達からも「セェンシェイ手書きがいい!」と手書きを懐かしがる要望もあったので直筆で書き直すことにした。
その代わり歌詞の部分は読み難い八重山、沖縄、宮古の発音ルビをワードでキチット記載して見やすくし、楽譜部分だけ手書きにした。
(高橋さんゴメンナサイね!折角 手間暇かけて開発発明したのにね~でも楽譜枠は使わせております)

以前 文豪・夏目漱石の直筆原稿が見つかったときや宮良長包の直筆の楽譜が初めて見つかったときは感動した。
当時の貴重な資料として長包?され、いや 記念館などで展示され「重宝」されている。
勿論エライ先生方は数々の作品も 世に残っている、人は死んで名を残すが、
直筆の原稿も残すことが出来るのだ。
まぁ~それと小生の工工四の直筆話しを例えては甚だ失礼です。
ある席で琉球新報文化部の担当と話をする機会があったが、原稿依頼した方から入稿されたもので原稿用紙の手書き原稿だったら大事にストックして置くそうです。
いえいえ そんな高級な心境と経緯より只小生が最近 ナカナカ手書きする習慣が薄れて来ているだけに ココイラデ御老体に鞭を打って、気合を入れ少しでもペンを掴むようにと
思っただけの話です。
Posted by 大工哲弘 at
11:52
2005年05月01日
芝居 トーカチ物語

昨夜は上原直彦氏が5年前 与那城町、屋慶名で行われた故森根昌吉おじぃー(93歳で天寿)のトーカチ祝で模擬葬儀を行い 生まれ果報、命果報、長寿果報を戴くという慣習をあることを始めて知り親孝行とは何か、家族の絆とは何か、事実に基づき書き上げた力作「トーカチ物語」を観た。
公演は北村三郎芝居塾「ばん」の4期生卒業記念であった。その「ばん」とはプロの劇団ではなしに、日頃沖縄市で方言の勉強や芝居の脚本朗読によって芝居のセリフ稽古などをつんで、卒業記念として年一度の公演をするという趣向。だが、だれも卒業をするものはいないそうです。
塾生の年齢も老若男女でチョット年齢の高い女は古(コ)ギャルと呼ぶそうです。
直彦氏は「こねかたひとつで玄人にない鮮度をあげることが出来る、だから演出とモノ書き商売は止められない」というコメントを残してくれた。
そのコメント通りすごく キャストを上手く使った演出は
全体に新鮮さが溢れていた。ウチナーのトーカチ祝(88歳)をするにあたって、どこにもある家族模様を描いた内容は大阪の難波花月劇場を
観ているようで笑いと涙に誘われた。

屋慶名ではいまでも トーカチ祝にその模擬葬儀をしてさらなる長寿をもたらすという祝行事があるそうです。
先月TVで内地でも模擬葬儀をするという行事があるというのをチョコットニュースで観ましたが・・・
もし 知っている方がいれば教えてもらいたいですね
Posted by 大工哲弘 at
20:43
2005年05月01日
清明祭

今日の日曜日でほぼ清明祭(しーみー)は最後である。
昨年のこの時期に琉球新報のこらむ「南風」で沖縄には花見の習慣はないが清明祭(しーみー)
で一族郎党墓に集まりおじぃ~おばぁ~を敬う、先祖崇拝主義 沖縄の民間宗教が生きている。
ということを書いた覚えがある。
その掲載直後に琉球新報に一枚の写真入りのハガキが届いた。その内容は 与那原町の青木さんという家の清明祭で焼紙と言って金銭を模した紙を焼くことで、祖先のもとへ送る習慣がある。その焼き紙をお墓の角で焼いたら
ミンナ燃え尽きたが、なぜか小生の書いた新聞コラムだけの記事、しかも小生の顔写真の部分だけが燃え残った。
奇妙だったので、琉球新報の担当に送られたという。
(琉球新報のコラム・南風・を参照まで)

元々中国から伝わったこの清明祭は先月 中国でも墓で「焼紙」をしたら、不始末から各地で山火事
が多発、約6、7ヘクタールも山林が焼けたというニュースを見た。
「墓参りして 金(紙)を焼いても 山焼くな」という記事を中国新聞紙が伝えていた。
以前勤労青少年ホームの三線講座の生徒に玉城清美、明美という姉妹がいた。
その命名も清明祭時期に生まれたので清く明るく育って欲しいとつけたそうだ。
いかにもシーミーを重んじた沖縄の命名といえよう。
Posted by 大工哲弘 at
19:17




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