2005年07月30日

ナナサンマル

1978年の今日7月の30日午前6時をもって長い間右側通行が一斉に左側通行に変わった日である。
その日を「7・30・ナナサンマル」と呼んでいた。

さまざま不安を残しながら実行された通行の変更、莫大な国の予算を投じ全国からの2,840名を集めた警察の応援のもと厳戒態勢をしき午前6時、各消防署のケタタマシイサイレンの合図とともに世紀の交通転換は断行された。

その世紀の変遷を見ようと見物者は陸橋や歩道は人、人で埋まっていた。
その変更時期はミンナ心の準備が出来ていたせいか大きな事故もなくスムーズに行われたようにおもう。

しかし こまったのは馬車で 馬はナカナカ右側で歩いていた習性を左側に直すことができず農家の飼主は大変こまったそうだ、

沖縄で車を運転していて気づくとおもうが、交差点に差し掛かると 沖縄人は大抵運転手の目は左から見ます、それから右を見ます(小生の調査90%)これも ナナサンマル(右側通行)からの癖なんでしょう?でも可笑しいのはナナサンマル以降に生まれている沖縄の若いものでも左から見る習性があるのは不思議です。 他の県では どんなかなぁ~

懐かしく思い出される7月30日は小生はひめゆり通りにあるドラゴンパレス(今はない)という居酒屋があったのですがそこで 居酒屋ライブをした思い出があります、そしてミンナで朝まで飲んでそのまま 世紀の交通変更を見に行ったことを憶えています。
27年前の事である  
Posted by 大工哲弘 at 22:09

2005年07月29日

豊年祭の季節

今日(29日)は石垣4ヶ字の豊年祭(プール・プーリィとも云う)である。

真乙婆御嶽で角皿に入れたお神酒を神に捧げる行事 ミシャグパーシ
(アルバム「賜」の1番目で唄っている曲で♪)参考まで

豊年祭は元来、収穫祭、豊年祈願(今年と来年)を行う神事で八重山まつり行事の中では大きなイベントである。
日程もその年の旧暦6月干支みずのとうし、きのえとらを選んで司(つかさ)が年の初めに豊年祭日を決める。
そして 今年は7月28日が(オンプール)29日(村プール)である。

各地域によってそのスタイルは異なり、旗頭、太鼓、練り行列、巻き踊りの奉納をお嶽で行い、大綱引きをする形と、豊年をもたらす世持ち神、(アカマタ・クロマタ)
新城島、古見(西表)小浜、宮良村のみで行われる。この4村島の世持神が出現する豊年祭は1軒1軒の家を回り豊年祈願は勿論、家庭繁昌、無病息災、旅の安全などをうたと太鼓を集団で打ち鳴らし朝まで練り歩く奉型祭がある。
                     
右端は伊良皆高吉さん

(アカマタ・クロマタ)祭の宮良村は今日・実際は昨日(28日)であった、幸い女房が宮良村の出身と言うこともあり。
豊年祭に帰れない今年も 宮良の実家にニーロー神(世持神)が訪れる時間を見計って
、電話でアカマター、クロマターのうた、太鼓の音を聞くことにしている。今年は午前1時頃
その祭だけは 秘祭だけに これ以上説明はしないでおこう・・・・

興味のある方は来年直接現地に行って体感してください。観る分には構わないが、録音機、カメラ、勿論、携帯電話写メールも禁止である。


昔は共同体の中で殆ど農業だったので一斉に収穫の喜びや自然農被害の悲しみをともにして来た共同体の意図がくずれ形が変わりつつあることは否めない。 しかし豊年祭によって村の発展、無病息災が「祈り」の対象となり 祭りによって大人と子供達が日頃疎通になっている社会コミュニティがもてることは素晴らしいことだとおもう。

去った台風5号で農作物に多大な被害を出し大打撃を受けた。しかし 八重山の島人達はまた明日の豊年祭で来夏(くなつ)の世果報願いが始まる。 来年の生きるパワーを蓄積する源がもしかして 今日の豊年祭にあるかも知れない

八重山のうたの原点も「祈り」なのだから  
Posted by 大工哲弘 at 01:40

2005年07月26日

うちなージョッキー


↑番組プロデュースの牧港さんとゲストの赤嶺さん

今年度から隔月で放送しているNHK・FMラジオ18:00~18:50分(8月5日・金)放送分録音してきました。
今日は9月24日糸満で始めて開催される「第一回とぅばらーま大会」の実行委員長の赤嶺武さんをスタジオにお招きして、大会を開催する経緯やら、申し込みの方法、エーマ糸満会の活動などを話しながらの50分番組進めました。

大会の出場者枠20名で、申し込み者は すでに20名に達しているという。(申し込み締め切り8月31日まで)20名越えた場合は9月のはじめ予選会をする予定だそうです。当初はエントリー者は居るか?と心配していたら
嬉しい悲鳴だと 喜んでおりました。

今日番組で使用したCD音源
①とぅばらーま(山里勇吉)
②とばるま~ (宮良康正)
③とぅばらーま(通事安京)
④とぅばらーま(新良幸人)
⑤とぅばらーま(大工哲弘)

実行委員長の赤嶺さんは白保出身で新良幸人とは実家が隣りで1歳の時しか知らなくて
直後沖縄本島に移住。
お父さんの新良コウエイは良く知っていて、幸人の声はお父さんの声に良く似て来ていると
褒めていました。また 仲宗根長一さんとも従兄弟にあたるそうで、プライベートの話も聞けて楽しい超ローカルティ~な番組が収録が出来た。

それにしても 白保は歌手が多いと言う話になり、やっぱりそれは環境がそうさせたのでは・・・大島保克にしても

大会は雨天決行で、万が一雨が降ったとしてもレストランで出来る十分なスペースがあるそうです。
しかし 台風が来た場合はどうしようもないです。(順延予定)

教室からは屋嘉部、モハメド・ブリ、有馬が出場する予定です。

今年は戦後60年。沖縄戦・激戦地だった糸満、そんな想いを込めて歌った歌詞も出てきてもいいのでは・・・
記念する第一回とぅばらーま大会にしたいと実行委員はじめ、会員各関係者はがんばっております
ご成功を祈ってます。  
Posted by 大工哲弘 at 15:53

2005年07月25日

日韓友情ライブ


日韓友情年2005年・公開講座「パンソリと沖縄民謡・奄美の島唄」と題してシークレット?公演が
主催:全日本郷土芸能協会、文化庁の支援で桜坂劇場・24日午後2時から行われました。


二部のワークショップはそれぞれの唄を出し合い内容あるコラボレーションができたのではとおもっています?

支援庁と主催交流会・二次会、三次会でも趙珠仙(チョウ・ジュウソン)金清満(キム・チョンマン)
さん、通訳のコウチョンジャさんと個人的にも交流が出来たことが何よりも嬉しかった。
これからは これを機に韓国のことを沢山勉強したいとおもいます。

是非このメンバーで奄美、韓国でも公演実現したいですね~
できる事を祈ってます!

カムサ ハムニダ!


もっと詳しくライブ情報は
kuwaさんのブログを
http://sansin.air-nifty.com/simauta/  
Posted by 大工哲弘 at 11:21

2005年07月25日

京都ライブ


23日・京都ライブおかげさまで成功理に無事終了しました。
企画していただいた青木真理さん、京都YOUYOU館の大西さん、スタッフ、音響の中村さん、大阪三線佐々忠一行教室のわしま大工部(エイサー)混成地謡のみなさん、何よりも会場(ひと・まち交流館)に足を運んでいただいたお客さま。本当にありがとうございました!


大阪三線くラブの賛助出演は今回で三度目。
回を増す毎いい感じになってきている。また機会があれば御願いしたいね~



打ち上げは「シーサー屋」という沖縄居酒屋で大勢のメンバーが賑わった。

二次会にTさんとDさんと「図書館」というライブもやっている小さなカウンターの店で飲んでいたら
来月京都でお邪魔するライブハウス「磔磔」の社長と奇遇にも隣り合わせになり、一緒にのんだ。
京都はまた来月4日その「磔磔」でソロライブ伺います。
どうぞ よろしく御願いいたします!  
Posted by 大工哲弘 at 10:00

2005年07月22日

打ち合わせ会


今日パンソリ歌手の趙珠仙さんと鼓手の金清満さんが来県され
アルテのスタジオで明後日本番に向けて打ち合わせを入念にやりました。

プログラム2部のコラボレーションはどうしようか?韓国側からも 2部の構成を奄美、沖縄、韓国のどう活かすか、全日本郷土芸能協会のメンバーや舞台監督、小生とがアイディアを出し合い構築した。(奄美の坪山さんと皆吉さんは明日来沖し打ち合わせ予定)

趙さんにカンガン スウォレ(韓国民謡)と オモニ(母さん)という物悲しい歌を歌ってもらった。
ものすごい迫力といい声だ ♪ 

また 金さんもどんな沖縄のリズムにも合わせる音感があって 面白い。

趙さんにも 小生がお返しと「富崎野ぬ牛なーまゆんた」を唄った。八重山の歌にすごく関心をしめし 気にいってもらった。
手ごたえあり 楽しみだ!


後は本番 ぶっつけでやるしかないかなぁ~ 
だって 明後日は那覇空港から そのまま 会場(桜坂劇場)14時開演の舞台に間に合わすだけだ。
明日、明後日 がんばります。 打ち上げで旨い美酒を飲む為にも・・・・  
Posted by 大工哲弘 at 22:29

2005年07月21日

2年ぶりのソフト

ソフトと言っても ソフトボールのことである。

職場・各課対抗ソフトボール大会が今日夕方から瀬長島球場であった。
瀬長島と言えば、旅客機に乗って那覇空港に着陸する寸前 眼下に見えるお盆のような島。



2年ぶりのソフト大会に望むために前からご老体に鞭を打ってちょっとした運動をはじめたお陰で、
二塁打とランニングホームランを出すことが出来 いち応 結果は2打数2安打 2打点 満足です。
因みにポジションはサード、打順は6番・気軽に打てたのがよかったのでは?これぞ まさしく老人力!


しかし残念ながら我がチームは試合の大会規定に従って3回まで15点差があったので、コールド負け。。。。
小生の 今年の夏は終わったという感じ・・・ミンナは今頃居酒屋で残念会の真っ只中でしょう



勝敗より久しぶりに試合で大汗もかき 最高にリフレッシュできた。
10年前は やいま歌教室の弟子達と毎週日曜日は野球試合にあてて 八重山民謡をやるなら体を鍛えよ
、グランドで大きな声を出せ!と弟子達に言い聞かせ自ら チーム(カーペンター)を結成し、あるときは名護や国頭まで遠征して試合を
やりにいったぐらい野球熱があったのですが、その後演奏活動が忙しくなり、野球もソフトもハードな
運動はしていなかったので、久しぶりに いやぁ~ やっぱりいいものですね~ 勝敗は抜きにして・・・でも くやし~い !!


きっと 明日は久しぶりに塁を駆け巡ったので あっちこっち 筋肉痛むでしょうね~
自分に お疲れさんでした。  
Posted by 大工哲弘 at 22:57

2005年07月21日

異郷の地に思いを馳せ

月の歌といえば なんといっても自然に出てくるのは 八重山を代表する島歌「とぅばらーま」であろう。

そのとぅばーらまが初めて糸満で大会として開催されます

糸満といえば明治の頃から全国を中心に糸満漁法を伝え海のある所には糸満人がいるといわれるくらい世界に遠征し活躍しています。

昔 琉球人が中国を始め韓国、東南アジアなどと交易して琉球国を築き上げてきた精神に「万国の津梁」という自負する言葉があるが、その精神はひょっとしたら糸満の漁夫が引き継いでいるように思う。その精神が八重山にも伝わり多くの糸満の漁夫が昔から住み着いて交流をなし糸満の文化を残して今直盛んに引き継がれている。
そんな糸満の方達が長く住み着いた八重山を離れ、異境の地を偲ぶとき、口ずさむ歌は「とぅばらーま」だという。

そのとぅばらーまを糸満でも普及できないか、また正しく継承させ糸満の観光と交流を目的とされる「第一回とぅばらーま大会」をエーマ糸満会が主催し糸満観光農園(098-840-8135)野外ステージで行われることになった。入場無料(糸満ワインを飲みながら乙な気分で聞ける)

エーマ(八重山)糸満会とは・・・八重山出身もしくは八重山に関係ある人、例えば職務が八重山とつながりがある者、あるいは八重山をこよなく愛するものが集まり、糸満を中心に活動している会。
だとすると 八重山民謡を勉強しているものは皆該当すると思えばいいのでは・・・
いま 出場者を募集しております。

自身のある方、我はと思う方は是非エントリーしてください。
申し込み先:090-9781-7072(赤嶺)
日時:9月24日(土)午後6時30分 開演

♪とぅばらーま しょんかねーや いずすどぅ主やるら~
 愛し美童 抱くすどぅ主やるら~
<とぅばらーま と しょんかね~という歌は歌う人が主だよ・・・
 後の歌詞は 皆さんで解釈してください>


昨夜の15夜月も綺麗だったね~!
後二ヶ月後の月(当日は20日月に当たります)沖縄本島でも屋外での本格的なとぅばらーま大会が開催される事 嬉しく思っています。
とぅばらーま は聞くて酔うもよし 歌うもよし、口ずさむもよし、飲んで酔うもよし、 よしずくめだ・・
小生の教室から「よし!」と出場するのはBくん、Aくんが予定してます。  
Posted by 大工哲弘 at 13:44

2005年07月20日

10年ぶりの大集会


今朝 沖縄の両新聞は昨日金武町キャンプ・ハンセン内4都市型戦闘訓練施設での実弾演習に抗議する県民集会の模様が全面を飾って報道された。
主催者は1000人規模の集会を考えていたのですが、蓋を開けてみれば1万人の大集会となり、稲嶺県知事も先頭に立ち集会・デモにの参加し県民挙党体制で行われた集会としては96年少女暴行事件をきっかけに盛り上がった集会以来10年ぶりの体制と言える。集会では県民総意の反基地、同施設の即時撤去と伊芸地域の基地撤去を求める宣言決議が採択され県民の思いが久しぶりに一つになった。
残念ながら 小生は参加できなかった。

県内外から多く結集させた理由には、昨年の夏、沖縄国際大学キャンパス内へリ墜落問題、海外基地見直し委員(アル・コーネラ)が「海兵隊部隊は沖縄に残すべきだ」発言、久米島の畑にアメリカ軍のヘリが不時着、
4軍調整官が「何もないところに軍空港造った後、人が集まった」との発言(憤りを感じる)

実際 実弾演習の為沖縄自動車道(高速道路)で金武町を通過すると大きな看板で「流れ弾注意」とある。
(ここは戦場なのか?疑いたくなる現状)

また 最近では米兵による少女わいせつ事件などなど もう あげればきりがないほど基地が在るが故の事件、事故が発生している現状が今の沖縄でもある。(何名の女性が犠牲になればいいの~!)

米軍兵の横柄さもあるが、日本政府もアメリカには何もいえない弱腰姿勢の表れと情けない日米両政府への不振が積もり積もって昨日の金武町地区公園1万人大集会となったのだと思います。

その報道はネット各地メディアは伝えているでしょうか?
温度差がなければ 幸いだが・・・

沖縄の現状は日米安保の為なら我慢しておけ!という不条理な論理なのだろうか?
しかし なぜ 沖縄だけがその負担をせなければならないのか?毎度の事ながら疑問だ!

また その問題を沖縄に押し付けるのは日本政府が沖縄へ差別?人権思想を無視し基地を容認する事態人権侵害のなにものでもないと考えるのはオーバーなのだろうか?
戦後60年、もう そろそろ日本全体で考える時期にきているのでは小生は思う。

金武町といえば終戦直後捕虜になった多くの沖縄の人たちがカンカラサンシンで「屋嘉節」を歌い恒久平和を誓った処なのだ。

将来 沖縄に基地もなくなり、平和な島、明るい未来になることを 今日から夏休みに入った子供達、先々週誕生した初孫たちの為にも 将来を祈りたいです。 
  
Posted by 大工哲弘 at 07:39

2005年07月17日

故知名定繁さんの歌碑建立


前から沖縄民謡界の大御所・故知名定繁先生(1916~1993・大正5年6月5日生まれ・77歳で没)の歌碑建立が進められていたが、今日うるま市川田に歌碑が完成し除幕式が午前11時から期成会の呼びかけで大勢の関係者が集まり
盛大に故人を偲び行われました。
小生はこの除幕式には出席できなかったが 管理のkuwamuraくんが参加しているので後に自分のブログ&写真UPしてくれると思います。


知名定繁といえば「別れの煙」昭和26年の定繁作の歌劇から生まれた「でぃぐぬ花」「門たんかー」などなど数々のヒット曲を世に出した。
幼少の頃から父・定開の演唱するのを聞いて憶えたという三線、琴をも習った、本格的に歌・三線を習得、古典音楽から沖縄芝居歌劇も勉強、また古謡の掘り出しにも情熱をそそぎ芸能活動に幅広い足跡を残している。
また18歳で大阪に居を移すが沖縄に呼び戻され事業経営が上手くいかず再度大阪に出る、
その時普久原朝喜先生と出会いマルフクレコードで「具志川小唄」をはじめ挿入歌や主題歌の数々を
吹き込む、大阪でも沖縄芸能音楽に力を注いで昭和32年大阪の生活に終止符を打ち、
沖縄に引き上げ本格的に民謡研究所の開設、後進の指導に力をいれ古典音楽箏曲工工四楽譜を刊行したり、創作、古典の掘り起こし、他動に活動されていた民謡界の重鎮、大御所の定繁先生が亡くなって今日(17日)で13回忌にあたり功績を称え歌碑建立除幕式ならびに午後1時から定繁先生を偲ぶ会がうるま市のニュー三和会館で民謡関係者400名余りが集い賑々しく行われた会場に出席してきました。


偲ぶ会にはうるま市市長の祝辞や地元衆議院員の先生の乾杯の音頭で始まり、幅広い方面からの
支援もあって見事な建立が出来たと期成会会長の上江州安吉会長は熱く長~い挨拶を述べておられた。


勿論いわずと知れた 定繁先生は知名定男の父である。
プロフィール紹介するまでもなく父定繁先生の影響があったからl、今の定男がいると言っても過言ではあるまい。
知名定男は口癖のように言う「自分は親は超えられない」
洒脱な人柄で温厚な性格だった定繁先生、小生も琉球フェスティバルや他のイベント等でご一緒ステージを踏めれた事
今になってみれば貴重な体験と言える。



これからは今年春に完成した与那原町に前川朝昭先生(兄弟小節)の歌碑建立といいい うるま市の
知名定繁(門たんかー)歌碑名所が増えた。
大いに語り継ぎたい。  
Posted by 大工哲弘 at 21:08

2005年07月15日

歓送迎会



ウチナーレシピーではない。
昨夜歓送迎会に出された料理だ。

恒例の若狭島歌の会の歓送迎会が昨夜同会の山城さんの店「Pティ」で行われた。

来月自分の国に留学期間を追え帰るというニューカレドニアのスティファニーさんとアメリカのグロリアさん、フランスのフローリアン君が送別された。


歓迎される方は福岡から来会した かーらやまさん、と渡辺さんと多和田さん。
3名去れば3名が入ってきた。

もうすっかり若さのメンバーをして溶け込んでいるかーらやまさん。

若狭島歌の会は結成してもう13年目である。
その間 何百回歓送迎会をしたであろうか? 「また おいでね~」「また やーさい」
かならず 別れの言葉には いつか会えるであろう いやあえるよね~ と心の約束をするのが常だ。
完全なる別れという 挨拶言葉は沖縄にはないように思うからである。


それにしても若狭島歌の会は とにかく明るく 元気である。
大阪三線クラブを彷彿させる

シーユーアゲイン、再会(サイチェン)・・・
やっぱり「またん来~よ~」 またん イチャラヤー!! が フットする!

これからは模合をしてお金貯めて いつかニューカレドニア、 天国に近い国に行ってみたいね~  
Posted by 大工哲弘 at 16:21

2005年07月14日

宮良長包の世界

沖縄キリスト教学院 2005年度前期 公開講座「宮良長包の世界」ライブは無事に昨日終えました。
大学のキャンパス内にある、チャペル講堂でのライブに多くの講座生も参加し、テツも初めて宮良長包作品を14曲も歌った。

昨日はまた これも久しぶりにギターの矢野憲治との共演もあり、チャペル講堂の雰囲気、音響もすごくよくて 新鮮で気持ちよく歌わせてもらいました。


 1、泊り船(わたんじ)
 2、桑の実
 3、荒磯の歌
 4、帰り船
 5、オランダ屋敷
 6、稲刈歌
 7、コイナーゆんた
 8、酒は泡盛
 9、八重山音頭           

10、那覇市市民の歌
11、なんた浜 →元歌の与那国しょんかねーを紹介
12、汗水節
13、えんどうの花
14、安里屋ゆんた

アンコールで「とぅばらーま、声合」を唄い幕を閉じた。



皆さんはどれだけ宮良長包の曲を知り、歌えますか?

宮良長包は(1883~1939・56歳で没)は安里屋ゆんた、汗水節や130曲あまりの名曲を生み出した作曲家です。
生涯、教壇で音楽教師として指導する傍ら、自作の曲を教材化したり、演奏会やチャリティー
コンサートなどを実施し「庶民に音楽を」という理念のもと生活の中に「音楽」を精神的に取り入れた、
優れた音楽教育家でもあった。
今回の講座は長包の作品演奏や解説、生涯と人物像、音楽教育法などについて、「宮良長包」の研究者や演奏家担当し、講演や実演、ライブをまじえながら 長包の魅力に迫りたいという趣意の元に
開講された昨日のライブは歌って改めて長包のメロディーに魅せられました。

また長包は音楽家+教育者、もう一つは音楽から見える世界感、人生感は大いに学ぶところも多い。

『勝利のかがやきではなしに平和のかがやき・音楽の輝き』が大事で「強い国家ではなしに・力強い生活」を唱えていた。
宮良長包のそのお言葉を今のどっかの国々に教えたい!!


珍しくもライブ終了後小生にサインを求める古(こ)ギャル達(失礼!本当のギャルも・・・)
「宮良長包のうたをこれからも沢山歌ってください!」「CDも出してください!」という
要望がおおかった。ありがう ございます。


実際小生と同じ石垣・新川の出身の沖縄音楽の先駆者として 沖縄では君臨している大先輩の
宮良長包作品はペーソスと民族の血のように人々の感動よ呼び魂は沖縄の肝心の中に
生き続けるであろう長包メロディー これからも大いにうたって活きたいと 思いました。  
Posted by 大工哲弘 at 11:23

2005年07月12日

涼を呼ぶ二つの帽子

九州から四国にかけて活発化した梅雨前線の影響で豪雨が続き大分県など土砂災害などおおくのがけ崩れ、増水などで被害にあい犠牲者も出てテレビのニュースを見るたび心が痛む。
お見舞い申し上げます。


沖縄は先月梅雨が明けてからずっと好天気が続き、朝も蝉の大合唱で起こされ毎日うだるような猛暑で本格的な沖縄の夏、苦い夏が続いております。
皆さんのところはいかがでしょうか?
ちょっと早いかもしれませんが 
暑中お見舞い申し上げます。

小生の叔父が農業の片手間にクバ笠を作って親戚従兄弟にプレゼントしている。
先月石垣に帰った際、テツも丹精を込めて作ったクバ笠(畑人用と海人用)を戴いた。

なんとなしにクバを見ただけで真夏の涼が取れる。

去った5月 島袋マサル(BEGIN)のお父さんが小生の妻の恩師という関係で島袋のお父さんが 手作りで立派にオリオンビール缶で仕上げた帽子を贈ってもらった

なかなかの傑作 喜作である。
ビーチパーティが行われた5月サンサンビーチに帽子被っていくと、帽子はタチマチ人気の的となり、写真ラッシュにあった。
小生はどうでも いい~ 「帽子撮らせて!」「帽子欲しい 欲しい!」というお弟子が多かった!


三ツ星かざして オリオンビールの缶で帽子つくりとは 発想がいいですよね
なかなか考えたものだ。 リサイクルにもいい、 環境問題にもやさしいではないか?
 
今年の夏は我れ自慢の二つの帽子で暑さを乗り越えたいと思います。  
Posted by 大工哲弘 at 17:54

2005年07月09日

7月8日・二つの誕生


二週間前から我が家の狭いデッキの片隅の鉢に植えてあるベンジャミン木の枝に
目白が巣を作り出した。

★目白(めじろ)沖縄・八重山ではソーミナーと言う。
ソー(真)ミ(目)ナー(愛称語) 


今年の2月には鳩が巣を造り、無精卵の為だったか?
母鳩は逃げて孵化を見ることができなかったが・・・

昨日は見事 2羽の誕生を見ることができた。
よかった よかった!!


そしてもう一つの誕生は・・・・
小生の初孫が昨日産声をあげました。
初めておじいちゃんになりました~

元気なビフナーファー(男の子)でした。

絶対 絶対 おじいちゃんとは呼ばせないぞ~と誓っていたのですが孫の顔を見ると同時にグシャグシャのオジィちゃんになっている自分に気づく、そして 身内以外は知らせないでおこうと 思っていたのも束の間 昨夜は稽古場の弟子達に早速知らせ 晩くまで祝って貰った。また ブログを書いている今の自分がおじいちゃんを すでに吹聴しているようなもの。 もう 駄目だね~


昨日7月8日は 今年から那覇市が語呂合わせでナハの日に制定した縁起ある日だ。
カリー(縁起)ある日に偶然ソーミナーと 初孫の誕生が我が家に産まれた。

♪親子美しゃ子から兄弟美しゃ弟から 家庭持つ美しゃ嫁の子から(デンサー節)
親子のむつましさは子から、兄弟の睦ましさは 弟から、
そして 家庭の理想象は嫁の子・・・・つまり孫のことである。

それが今 ようやくデンサー節の言われているフレーズが実感としてわかる。

ソーミナーもスクスク育ち首里の空を飛び立っておくれ
初孫も大人なり、高人なり コーネーコーマーとなることを祈ってます。  
Posted by 大工哲弘 at 13:35

2005年07月08日

エコツーリズム


このところコンクールの話題が続いたので 
ちょっと外に出て見たいと思います。   ↑オモト岳を望む

先月実家(弟)の新築祝に石垣にいった時、祝の翌日義弟(麦わらぼうし)が果樹園を営んでいる
裏山に誘われエコツーしてきました。
義弟は定年を前に警察官を退職し裏宮良で4千坪の山を果樹園にし自然の中で生活している
羨ましい生活ぶりを覗いてみた。

今年は記録的な豪雨で沖縄はマンゴーが不作だそうだ。
たくさんの果樹と花粉たち



山から展望できるカラ岳
手前は石垣の水瓶 ダム


昼間は自分で建てた小屋で昼寝を十分とるという。
中の全ての施設も自分で設置、露天風呂もあり、快適だ



川に うなぎ捕りを仕掛けたが 残念ながら筒にうなぎは かかっていなかった


義理の弟のM秀明と

2002年、国連が「国際エコツーリズム年」を提唱した。
自然に親しみ、触れ合う旅を推進するのが大きな目的。

出来や~ふーなー(ものを解ったふり)させて貰うと・
1970年代に中央アメリカのコスタリカで始まった
「自然にやさしい観光」として外資獲得の手段として発展途上国に広がったそうだ。

この夏も沖縄観光ツアーで大勢来県されるであろう。
スローライフ、スローフード、スロータイムでゆっくりエコツーリズムして貰いたい。
その為にはお互い自然環境を大切に育てていきたいですね。



果樹園を楽しんだ後オモトトンネルを通って米原を差し掛かったとき、突然スコール
雨はやっぱり 横には降らず、縦に降るというがよくUPでも分かる

♪雨は天から縦にはふれど 風の間に間に横には降れど 
 私しゃ 貴方に縦にはふれど 横にはふらぬ 
 (磯節)より

義弟のお陰でふるさとの山を楽しんだ、
しかいとぅ にふぁい ゆ~!!  

ふるさとの山はいつになりとも ありがたきかな

♪こころざしを果たして いつの日にか 帰らん 山は青き ふるさと 水は清き ふるさと  (ふるさと)より  
Posted by 大工哲弘 at 12:35

2005年07月06日

コンクールの反省と今後の対策

(1)礼儀作法
①審査対象になっている礼節は舞台だけではない
②常に先輩や先生方にも挨拶をわすれてはいないか?
(ネット会員にも何名かいた)
③どこに行っても感謝の気持ちを持たなくてはいけない。
④歌だけ勉強すればいい? それ以外もミンナ勉強である。
  
沖縄の諺にも「しきんの~ てぃうぃ」<世間の人が自分より上だよ>
いつも相手を立てなさいという意味と謙虚心も教えている。


(2)歌の教則
①コンクール前日最終チェックして気づいたのですが、大工の教則で勉強していないという別の唄い方をしているのがいた。
②多くの沖縄の歌や八重山歌情報が入り乱れている昨今、その情報だけ追求していたら切りがない、その音源は一人でファンとして楽しむ分にはいいが 
ネットの仲間と一緒にしていくには好ましくない。
③そのことは今年のリーダー会議で決められたことで統一した 唄い方で勉強していこうという意思が確認されたばかりだ。
  
♪若い頃 生意気に小生も歌仲間といつも歌統一論義をしたとき歌が統一を目指したとき 一種のファッショに繋がらないかって議論した覚えはある。 いろいろな唄い方があっていい 勿論だ! 当然だ!

ここでは別問題にしたい
八重山の島人が豊年祭や祈願祭、祝い座コンサートの最後で心を一つにして唄うミルク節はなんていうのだろうか?
次なる予祝を祈ると同時にお互いの健康を祈願する祈り歌であるように歌の凄さである。いつか ネットの唄い方も一つになり、どこでも合唱できる状態を考えると嬉しい、将来叶えたいと小生の祈りでもある。

♪余談ですが 何の歌もそうだけれど(勿論・第九も)
多くの人が一つの歌を声そろえて唄うとき天に届く、いや 神に届くと皆信じているから合唱、合掌があると
思う。
   
そのヒントを得て小生は60年代から70年代に掛けて大いに歌われた労働唱歌をうたうことによって弱者の祈りが叶うとことを信じ各地の集会で歌うことを憶えた。

(3)受験資格(受験はあくまで自己申告ですが、それはそれなりの資格を持ちたい)

①何年も受験を目指して態々沖縄に来て個人レッスンを受けて受験に望むものもいれば、三線をやって何ヶ月という即席の受験生もいたが。それは何年も頑張って今回コンクールに望んだ人には疑問に思えたでしょう
   
沖縄からフランス人のフローリアン君が受験したが、彼の場合は8月にフランスに帰るのでカルチャービザ留学で着ている以上是非受験させて欲しい、と芸大の先生からも直に御願いされ一ヶ月前になって課題曲も覚えさせ 特例で受験させたという、それなりの理由があったから特別に受験させました。(ご理解の程を)
もし これからこのような理由があるのみ 即席受験は許されるということにしたいと思います。

(4)今回審査員をして感じたこと
①これまでは琉球民謡音楽協会の会員普及という名目もあったことは否めなく、コンクールの審査は確か甘かった。
そのシッペ返しがあったのか?今回は優秀、最高と「コレッ」と言う受験者がいなかった。

第4回を迎えたコンクールからはちょっと締めてレベル向上を目差していこうという、先生方の意見も多くあった。これは あくまでも会員の為、これから上を目指していく意欲のある会員のことを思うからである。 
  
②ただ 民謡を教わるにはコンクールだけが全てではない、ナーメイメイの楽しみ方があっていいもの、それは各自で決めることである
   
♪大工ネットもまだまだ産声をあげたばかりだ、会員総合のご理解と協力がなければ成り立たないのである。
 これからも 各教室で先生やリーダーでコミュニケーションを持ち より よいネットの関係を持ちたいと思います。

   
これだけ 広まった沖縄・八重山の島歌はもうブームとはいわないでしょう?一過性をしているものと小生は考える
そろそろ 別の楽しみ方があってもいいのでは
それは淘汰された上で 会員と本気で歌論義ができる日を夢みている。

追記   
逆に会員の皆さんからもネットへのご要望、コンクールの改善したい点がありましたら来年に繋げて活きたいと思いますので 各地のリーダーか交流板へ直接ご意見お寄せください。
お待ちしております。  
Posted by 大工哲弘 at 13:01

2005年07月04日

無事終わる

第4回琉球民謡音楽協会主催、民謡コンクールが終了しました。


結果の報告は交流板で事務局から発表があったとおりです。



大阪・東京やいま歌会

控え室でくつろぐみなさん

ピクニック気分?
後でドラマが待っているよ

そしていよいよ合格発表
悲喜こもごも

数字で歌の採点審査をするというのは辛いね
一点差で落ちるもの、合格する者 これで受験者がどれほど悩んだり、喜んだり、悲しんだり、
無情だね~ これも人生かね? でも これほどまでに島歌・三線で多くの人達が 課題曲に熱中し集中力が生まれるというのは、それだけ悠久なる島歌は奥が深いって言うことがいえるのではないだろうか?

例えばゴルフをやりかけの頃は只プレーを楽しんでいたのが、段々やりかけるとスコアーを気にしワンストロークに悩むように 楽しさから 苦しさに変って行く過程似ている。でも ソレを乗り越えると 本当のゴルフの楽しさが解るように  きっとコンクールを受けて 苦しさを味わった大工ネットの皆さん
真の歌の楽しさが これから皆さんを待っています!
そして来年も島歌の奥の扉を開いていただき 沖縄に帰って来ること心待ちにしております!!


コンクール打ち上げ会と交流会。
日頃 ダイエットをしているという割には・・・・


札幌教室の皆さん



大所帯の大阪三線クラブ



アリッ かんぱ~い!!!



沖縄大工教室メンバーとコーニーズも舞台に花を添えてくれた。



ただ一人東広島からイグチ鉄っちさんも受験され見事合格しました。ようやく広島にもネットのイリグチができました?!



岡山からは笛のあ!きら始め三線も3名全員合格でした。お見事!



地元事務局の東澤や大工教室のメンバーも色々世話してくれて ありがとう。



終始カチャーシーで乱舞 



福岡がちまやぁ~のみなさん






ネットの皆さん!!3日間本当にお疲れさんでした!!

ゴルフ・島歌でも 何をするにもスコアーより それをできる、健康で楽しめるという環境に感謝し、全国の大工ネットの皆さんとも島歌を熱く共有できるという幸せを感じてます。

ありがとう ございました!



気をつけてお帰りください。  
Posted by 大工哲弘 at 11:08

2005年07月02日

年間行事

琉球民謡音楽協会の年間の一大イべント コンクールが昨日(1日)から始まりました。

例年よりも会員も増え 並行してコンクールへチャレンジする会員も増えており
4回目を迎えたコンクールは年々拡大の様子を見せている。
琴の審査をする先生方→

特に今回から琉球音楽の伴奏楽器として欠かせない箏曲、笛の部門を取り入れ会員の総合的な技術の向上を図る為に設置された器楽部門も審査も今日行われた。

ずっと三線の音色だけを聞いていた公開審査会場は 琴の審査が始まると箏曲の音色に聞き入っていた。


大阪から笛へチャレンジするSちぇん


札幌教室から明日優秀へチャレジするTさん

明日は優秀、最高、大賞の部門の審査が行われます。
昼の12時頃には新人賞、器楽部門の審査発表されます。
午後8時は優秀、最高、大賞の審査が同会場で発表されます。

高校・大学受験発表以来 胸(ンニ)フトゥトゥ~ 肝フトゥ フトゥ~するさぁ~ という会員が多くいました。

人事を尽くして天命を待つ !
ナニワともあれ 明日の打ち上げは皆楽しみにしておりますぞ~♪♪  
Posted by 大工哲弘 at 23:22

2005年07月01日

島歌のエキスパートが受賞


久しぶりに晴れ晴れしい直彦兄夫婦の笑顔に触れることができた
南部文化受賞のパーティに行ってきました。
直彦さんは長い間放送を通して島歌を文化として価値観を高め一般にも広めたのは波ならぬご尽力があったと 宮城鷹夫(南部連合文化協会名誉会長)の挨拶にもあったように昔は民謡といえば「卑猥かつ低俗な歌なり」そういわれた時代を考えると

今の島歌が隆盛を極めているのは 直彦さんを始め沢山の先輩達が支え、普及に努めてきたお陰だを言うことを忘れてはいけない。 


会場にはさまざまな人たちが出席されていました。

あの国吉源次と弟子の仲宗根豊↓(上)


早くからパーティ始まるのをマチカンティーしている著名のせんせいがた↓(中)


あの人どっかで観たことある? そうそうフェーレーの徳原盛文と主賓の直彦兄↓(下)



上原直彦氏「南部文化賞」受賞祝賀会プログラム
              司会:比嘉俊次(琉球放送)
1、開会・・・・・・・・・・・・諸見里安次(沖縄県南部連合文化協会副会長)
2、主催者あいさつ・古村豊龍(沖縄県南部連合文化協会会長)
3、表彰・・・・・・・・・古村豊龍       
4、花束贈呈・・・・・・有志
5、乾 杯・・・・・・・・宮城鷹夫
6、上原直彦を語る・崎間麗進(沖縄芸能史研究家)
7、受賞者・・・・・・・上原直彦あいさつ
8、来賓祝辞・・・・・屋宜由章(南部市町村会会長)
9、来賓祝辞・・・・・陣 ?宏(中琉文化経済協会代表)
10、来賓祝辞・・・・船越義彰(作家・詩人)
11、余興・・・・・・・(大工哲弘・苗子)
12、余興・・・・・・・(国吉源次・仲宗根豊)
13、余興・・・・・・・(金城実・山里ゆき)
14、バンバン しんか
15、お開き・・・・・・松田竹雄(南部連合文化協会副会長)


花束贈呈の準備をする 美少女達?


会場には大勢の出席者が・・・


民謡界では主婦の友の異名をもつ
田場盛信、神谷幸一さんと金城正則氏

彦さん!本当におめでとうございます!!  
Posted by 大工哲弘 at 00:21