2005年12月31日
さようなら酉年
今夜は大晦日
後 4時間すると2006年です。
♪月ぬ走いや馬ぬ走い<月日のたつのは馬のごとくはやい>
♪月やないるぐぅとぅやねえらん<月日のたつのは早いものである>
「時は人を待たず」「時と潮と洪水は人を待たず」「光陰矢のごとく」
月日流れの速さを表現したある箴言である。
昔は早いのが馬や矢であったから 馬や矢ごとくと言う表現だが、しかし今はジェット機かロケットの走るぐぅとぅに・・となるのでしょう?
以前べっちさんのブログにも年を重ねた数だけ月日が加速するというのがあったが納得である。
そんな過ぎて行く今年を自分なりに振り返ってみた。
音楽活動としては東京、名古屋、京都、大阪ツアーで大阪チンドン通信社とのコラボレーションライブは面白かった。その2ヶ月後八重山の島唄のみライブツアーも同場所でお邪魔した。しかし残念ながら そのときには体調を崩し絶不調で納得のいかない内容となった。不摂生のためだと反省している。
葉山でのビーチライブ、生まれ島で初ライブもさせてもらい韓国公演の報告も出来てよかった。
その韓国の伝統芸能パンソリとの競演が7月那覇と10月にはソウル公演が実現出来いい経験になりました。日韓友情年にふさわしく関わり和えてうれしかった。文化庁のおかげです。
ネットの皆さんとは出張稽古、7月には民謡コンクール・芸能祭で熱狂したのも楽しかった。
そのネットに今年中ゆんた集の歌詞と音源を仕上げる予定だったが、仕事の都合で持ち越しになってしまった。お許しを
私事で恐縮だが 実の弟が10月に脳梗塞で倒れ今直病院の世話になっている状態はなんともやるせない気持ちで年越をする。
いつも突然兄の愚生をびっくりさせるのが得意だったので、奇跡に元気回復することを願って止まない。
そして7月8日に我が家にはつまー(初孫)が誕生したことが一番の嬉しい出来事であった。
愚生は中学校からうた・三線を習い影響をうけたのも御主前(うしゅまい)祖父のお陰であった。完全なるオジィちゃん子だった、初孫を見て改めて祖父の有り難さが分かるようになった。
今年は また戦後60年の還暦年でもあった。
先の国勢調査でも分かるように日本の人口が大分減っていると言う発表があったが、今年なってどういうわけか 愚生の周辺には子供の誕生が多いような気がする。
勤労の毛遊びクラブだけでも4名の会員の子が生まれた、以前このコラムでも登場した与論島の沖くんも二世誕生、ネットでは札幌の細田くんも長男・琥太郎誕生 先日OTV正月番組で共演した前川○賢も二人目の子が出来たと聞いた。
偶然に皆男なのだ。
本当におめでとうございます!!!
21世紀を迎えて人口の激少、少子高齢化が進行する中、多くの玉の生し子の繁盛はうれしい限りではないか、そして みんなチュトゥシンチュ(同年生)である。
その子や孫たちが将来平和で幸せに暮らせる環境であって欲しいと思うのは人類共通の願いだと思います。
そして 今年の正月から書き始めた本「島唄コラム」は融通無碍で書いてきたけれどいろいろ書き残したこともある、序所に紹介したいと思います。
駄文で表現がまずく分からない箇所があったと思いますが、来年はもっと勉強して「沖縄の肝心」を伝えたいと思ってます。
懲りずに コラムをスーミー(覗いて)して頂き、ご鞭撻くださるよう よろしくお願いします!
社会面においても国内外で自然災害やさまざまな凶悪事件事故が多発し
暗いニュースばかりが印象に残った。
沖縄の大晦日は 一年の暗さを現すかのように朝から涙雨の一日となった
♪月日走い過ぎてぃ 一夜隔ざみたる 年ぬ中垣ん 今宵んなたさ
<月日も過ぎて もう一夜しかない、年の垣根も今宵だけだ>
いい年を過ごし、新年をお迎えください。
後 4時間すると2006年です。
♪月ぬ走いや馬ぬ走い<月日のたつのは馬のごとくはやい>
♪月やないるぐぅとぅやねえらん<月日のたつのは早いものである>
「時は人を待たず」「時と潮と洪水は人を待たず」「光陰矢のごとく」
月日流れの速さを表現したある箴言である。
昔は早いのが馬や矢であったから 馬や矢ごとくと言う表現だが、しかし今はジェット機かロケットの走るぐぅとぅに・・となるのでしょう?
以前べっちさんのブログにも年を重ねた数だけ月日が加速するというのがあったが納得である。
そんな過ぎて行く今年を自分なりに振り返ってみた。
音楽活動としては東京、名古屋、京都、大阪ツアーで大阪チンドン通信社とのコラボレーションライブは面白かった。その2ヶ月後八重山の島唄のみライブツアーも同場所でお邪魔した。しかし残念ながら そのときには体調を崩し絶不調で納得のいかない内容となった。不摂生のためだと反省している。
葉山でのビーチライブ、生まれ島で初ライブもさせてもらい韓国公演の報告も出来てよかった。
その韓国の伝統芸能パンソリとの競演が7月那覇と10月にはソウル公演が実現出来いい経験になりました。日韓友情年にふさわしく関わり和えてうれしかった。文化庁のおかげです。
ネットの皆さんとは出張稽古、7月には民謡コンクール・芸能祭で熱狂したのも楽しかった。
そのネットに今年中ゆんた集の歌詞と音源を仕上げる予定だったが、仕事の都合で持ち越しになってしまった。お許しを
私事で恐縮だが 実の弟が10月に脳梗塞で倒れ今直病院の世話になっている状態はなんともやるせない気持ちで年越をする。
いつも突然兄の愚生をびっくりさせるのが得意だったので、奇跡に元気回復することを願って止まない。
そして7月8日に我が家にはつまー(初孫)が誕生したことが一番の嬉しい出来事であった。愚生は中学校からうた・三線を習い影響をうけたのも御主前(うしゅまい)祖父のお陰であった。完全なるオジィちゃん子だった、初孫を見て改めて祖父の有り難さが分かるようになった。
今年は また戦後60年の還暦年でもあった。
先の国勢調査でも分かるように日本の人口が大分減っていると言う発表があったが、今年なってどういうわけか 愚生の周辺には子供の誕生が多いような気がする。
勤労の毛遊びクラブだけでも4名の会員の子が生まれた、以前このコラムでも登場した与論島の沖くんも二世誕生、ネットでは札幌の細田くんも長男・琥太郎誕生 先日OTV正月番組で共演した前川○賢も二人目の子が出来たと聞いた。
偶然に皆男なのだ。
本当におめでとうございます!!!
21世紀を迎えて人口の激少、少子高齢化が進行する中、多くの玉の生し子の繁盛はうれしい限りではないか、そして みんなチュトゥシンチュ(同年生)である。
その子や孫たちが将来平和で幸せに暮らせる環境であって欲しいと思うのは人類共通の願いだと思います。
そして 今年の正月から書き始めた本「島唄コラム」は融通無碍で書いてきたけれどいろいろ書き残したこともある、序所に紹介したいと思います。
駄文で表現がまずく分からない箇所があったと思いますが、来年はもっと勉強して「沖縄の肝心」を伝えたいと思ってます。
懲りずに コラムをスーミー(覗いて)して頂き、ご鞭撻くださるよう よろしくお願いします!
社会面においても国内外で自然災害やさまざまな凶悪事件事故が多発し
暗いニュースばかりが印象に残った。
沖縄の大晦日は 一年の暗さを現すかのように朝から涙雨の一日となった
♪月日走い過ぎてぃ 一夜隔ざみたる 年ぬ中垣ん 今宵んなたさ
<月日も過ぎて もう一夜しかない、年の垣根も今宵だけだ>
いい年を過ごし、新年をお迎えください。
Posted by 大工哲弘 at
19:03
2005年12月29日
第九の季節
全国ネットの皆さんから沢山のお歳暮をいただきました。
このコラムを借りてお礼申しあげます。
ありがとうございました!
お歳暮といえば三ツ星ラベルのビールコマーシャルに登川誠仁さんと宮古の下地勇の会話。勇「センセェイ今年も大変お世話になりました」登川「なにも世話してないよ~」
この陳腐感奮の会話が今受けている。そしてバックミュージックが「第九」なのである。
もう明後日までしか聞かれない「会話と第九」は寂しい
歳末に入って第九のコンサートが各地で聞かれた。クラシックに疎い愚生でも「第九」だけは知っている。“地上界の友愛から神々の喜びの理想に至る”という高鳴るプログラムから成り立ち。終楽章でシーラーに「歓喜の歌」を独唱、合唱を歌せたという不朽の名作である。
最近は第九を三線でも弾いて愚生の持ち歌としても宴会などで披露し普及の迷作にしている。
(ちなみに愚生の携帯の着信音も第九である)
八重山では豊年祭や祝祭各行事等フィナーレは必ず「ミルク節」「やーらーよー」を合唱をして「喜びを分かち合い」また元気で再会を誓い散会するという八重山だけにしかない習慣がある。
♪今日ぬ日ぬ嬉しゃや 黄金日ぬ嬉しゃーや
(今日の日は黄金のように嬉しいことよ )
♪思う事叶しょーり 願うこと叶しょーり
(思うことや願うことが叶いますよう)
素朴で根源的な要素が含まれた「第九」と「やーらーよー」がダブって聞こえてくる。
「今年もお世話になりました」「なにも世話してないよ~?」
元気だから出来る会話。来年も元気で会い、お互いの喜びを分かち合おう!健康がなにより大事だと教えている歌かもしれない・・・
このコラムを借りてお礼申しあげます。
ありがとうございました!
お歳暮といえば三ツ星ラベルのビールコマーシャルに登川誠仁さんと宮古の下地勇の会話。勇「センセェイ今年も大変お世話になりました」登川「なにも世話してないよ~」
この陳腐感奮の会話が今受けている。そしてバックミュージックが「第九」なのである。
もう明後日までしか聞かれない「会話と第九」は寂しい
歳末に入って第九のコンサートが各地で聞かれた。クラシックに疎い愚生でも「第九」だけは知っている。“地上界の友愛から神々の喜びの理想に至る”という高鳴るプログラムから成り立ち。終楽章でシーラーに「歓喜の歌」を独唱、合唱を歌せたという不朽の名作である。
最近は第九を三線でも弾いて愚生の持ち歌としても宴会などで披露し普及の迷作にしている。
(ちなみに愚生の携帯の着信音も第九である)
八重山では豊年祭や祝祭各行事等フィナーレは必ず「ミルク節」「やーらーよー」を合唱をして「喜びを分かち合い」また元気で再会を誓い散会するという八重山だけにしかない習慣がある。
♪今日ぬ日ぬ嬉しゃや 黄金日ぬ嬉しゃーや
(今日の日は黄金のように嬉しいことよ )
♪思う事叶しょーり 願うこと叶しょーり
(思うことや願うことが叶いますよう)
素朴で根源的な要素が含まれた「第九」と「やーらーよー」がダブって聞こえてくる。
「今年もお世話になりました」「なにも世話してないよ~?」
元気だから出来る会話。来年も元気で会い、お互いの喜びを分かち合おう!健康がなにより大事だと教えている歌かもしれない・・・
Posted by 大工哲弘 at
21:32
2005年12月27日
忘年会
先週の23日は天皇の誕生日、全国的旗日(はたび)であった。語呂合わせ?昭和23年(昔のニーサン)生まれの合同忘年会があった。
会は座開き「鷲ぬ鳥・めでたい節」で始まり クイズ、八重山方言(むに)スピーチ、愚生のミニライブあり、和やかな雰囲気で親交を深め遅くまで楽しい時間を過ごした。
もう 30年余りも続けている中学校の同期生の模合メンバー(いちご会)と別の模合メンバー(於茂登会・おもとかい)の合同忘年会は久しぶり振りに再会する者が多く、容変した為か? 名前がまったく思いだせない「あれ誰だった?」と幹事に聞く始末、記憶力が失っていくのが分かる
疎遠にならないよう 合同忘年会毎年やろう!と意を固めた。




この歳になると校長先生や社長、課長、部長と要職も多種多様だが、同期生会での席ではどんな社長がいても役職は関係ないのである。あくまでも学校時代と同じ雰囲気だから面白い。
40歳代までは石垣在の同期生と毎年野球大会や5月4日のハーリーの船漕ぎ競争などにも参加していたが、さすが最近は皆歳のせいなのか 野球の話もでない
野球といえば 来春は初の八重山から甲子園出場、八重山商工高校の選抜ほぼ確定の話題で盛り上がり、出来たら甲子園に皆で応援しに行きたいと言っていた(因みに選抜の試合開始も3月の23日だそうです?)
愚生は今日我がやいま歌会の忘年会と明日(28日)仲間内での忘年会と続くが
シンデレラボーイは遅くまで飲みすぎないようにと心がけている
会は座開き「鷲ぬ鳥・めでたい節」で始まり クイズ、八重山方言(むに)スピーチ、愚生のミニライブあり、和やかな雰囲気で親交を深め遅くまで楽しい時間を過ごした。もう 30年余りも続けている中学校の同期生の模合メンバー(いちご会)と別の模合メンバー(於茂登会・おもとかい)の合同忘年会は久しぶり振りに再会する者が多く、容変した為か? 名前がまったく思いだせない「あれ誰だった?」と幹事に聞く始末、記憶力が失っていくのが分かる
疎遠にならないよう 合同忘年会毎年やろう!と意を固めた。




この歳になると校長先生や社長、課長、部長と要職も多種多様だが、同期生会での席ではどんな社長がいても役職は関係ないのである。あくまでも学校時代と同じ雰囲気だから面白い。
40歳代までは石垣在の同期生と毎年野球大会や5月4日のハーリーの船漕ぎ競争などにも参加していたが、さすが最近は皆歳のせいなのか 野球の話もでない
野球といえば 来春は初の八重山から甲子園出場、八重山商工高校の選抜ほぼ確定の話題で盛り上がり、出来たら甲子園に皆で応援しに行きたいと言っていた(因みに選抜の試合開始も3月の23日だそうです?)愚生は今日我がやいま歌会の忘年会と明日(28日)仲間内での忘年会と続くが
シンデレラボーイは遅くまで飲みすぎないようにと心がけている
Posted by 大工哲弘 at
01:35
2005年12月22日
出てきたLP盤
今年も後10日を残すのみとなりました。
今日は冬至です。
寒中お見舞い申しあげます!
先日正月に向けて棚を片付けていたら、お宝の2枚組LP盤が出てきた。
75年に京都の円山公園野外音楽堂で開催した『琉球フェスティバル‘75』夜桜コンサートのライブ盤だ。
(先にディスコグラフィを閲覧しましたが近日中にまたkuwaくんが残り多くを追加します、乞うご期待!)
琉球フェスティバル‘75は4月1日にセッティング、「春」京都では綺麗な桜満開を想定して「夜桜」と名を打って屋外で強行したものの、予測に反して桜は2部咲き、おまけに当日の気温が1度から2度、経験したことない寒さで凍え三線のツボ処もわからないくらいでブルブル震えながら歌ったのを覚えている。
出演者も寒ければ勿論 お客も皆な防寒着を頭からスッポリ被り完全武装状態。75’当時ですから沖縄の民謡は京都にもまだまだ浸透していなくて集客には大分苦労したみたいだ。それを知った故竹中労氏は友人が多かった京都東映撮影所の職員に動員をかけさせ多くの升席を埋めさせたお陰で公演は盛り上がった。寒かった公演後の打ち上げで美味しく食べ体を温めた京都名産「湯豆腐」の味がいまだに忘れられない。
翌日 公演のお礼をと東映撮影所に皆でいったとき、当時 人気TV時代活劇「銭形平次」の親分・大川橋蔵さんと一緒に記念撮影をした。古いね~世代を感じるなぁ~
琉球フェスティバル‘75春
~夜桜コンサート/沖縄情歌行~
京都・円山公園屋外音楽堂ライブ
1975年 4月1日録音
side A
①滝落とし~
かじゃでぃ風
②前田節
③二見情話
④裏座小
⑤二才小バーチー
⑥紺地小
■大城美佐子
■知名定男
side B
①伊良部トーガニー
②御船の主
③根間ぬ主
④桃里節
⑤山崎ぬあぶじゃーま
⑥月ぬ真昼間節
⑦とばるま
■国吉源次
■大工哲弘
side A
①恋の花
②恋語れ
③片想い
④今帰仁天底節
⑤十九の春
⑥西武門節
■嘉手刈林昌
■大城美佐子
■知名定男
■久場洋子
side B
①南洋小唄
②おぼろ月
③加那よー
④六調
⑤七月エイサー
⑥唐船ドーイ~嘉手久
■知名定男
■大城美佐子
■大工哲弘
■嘉手刈林昌
■嘉手刈林次
■太鼓:八木正男
■鳴り物・囃子:北島角子 久場洋子
近いうちディスコグラフィーのレコード盤音を大工ネットに開放したいね。
今日は冬至です。
寒中お見舞い申しあげます!
先日正月に向けて棚を片付けていたら、お宝の2枚組LP盤が出てきた。
75年に京都の円山公園野外音楽堂で開催した『琉球フェスティバル‘75』夜桜コンサートのライブ盤だ。
(先にディスコグラフィを閲覧しましたが近日中にまたkuwaくんが残り多くを追加します、乞うご期待!)
琉球フェスティバル‘75は4月1日にセッティング、「春」京都では綺麗な桜満開を想定して「夜桜」と名を打って屋外で強行したものの、予測に反して桜は2部咲き、おまけに当日の気温が1度から2度、経験したことない寒さで凍え三線のツボ処もわからないくらいでブルブル震えながら歌ったのを覚えている。
出演者も寒ければ勿論 お客も皆な防寒着を頭からスッポリ被り完全武装状態。75’当時ですから沖縄の民謡は京都にもまだまだ浸透していなくて集客には大分苦労したみたいだ。それを知った故竹中労氏は友人が多かった京都東映撮影所の職員に動員をかけさせ多くの升席を埋めさせたお陰で公演は盛り上がった。寒かった公演後の打ち上げで美味しく食べ体を温めた京都名産「湯豆腐」の味がいまだに忘れられない。
翌日 公演のお礼をと東映撮影所に皆でいったとき、当時 人気TV時代活劇「銭形平次」の親分・大川橋蔵さんと一緒に記念撮影をした。古いね~世代を感じるなぁ~
琉球フェスティバル‘75春
~夜桜コンサート/沖縄情歌行~
京都・円山公園屋外音楽堂ライブ
1975年 4月1日録音
side A①滝落とし~
かじゃでぃ風
②前田節
③二見情話
④裏座小
⑤二才小バーチー
⑥紺地小
■大城美佐子
■知名定男
side B①伊良部トーガニー
②御船の主
③根間ぬ主
④桃里節
⑤山崎ぬあぶじゃーま
⑥月ぬ真昼間節
⑦とばるま
■国吉源次
■大工哲弘
side A①恋の花
②恋語れ
③片想い
④今帰仁天底節
⑤十九の春
⑥西武門節
■嘉手刈林昌
■大城美佐子
■知名定男
■久場洋子
side B①南洋小唄
②おぼろ月
③加那よー
④六調
⑤七月エイサー
⑥唐船ドーイ~嘉手久
■知名定男
■大城美佐子
■大工哲弘
■嘉手刈林昌
■嘉手刈林次
■太鼓:八木正男
■鳴り物・囃子:北島角子 久場洋子
近いうちディスコグラフィーのレコード盤音を大工ネットに開放したいね。
Posted by 大工哲弘 at
00:25
2005年12月18日
幸太と琉芸文の発表会
伊藤幸太が沖縄国際大学在学生最後の「琉球芸能文学研究会」の発表会に行ってきました。
場所 うるま市民劇場 響きホール
時間 午後18:30分
客入り満席
公演の構成は「陽春の宴」「稔りの秋に」「綾布の想い」「海のわざ」「野にいきる」と5つの場面をスピーディに展開して、綱引き口説や木綿花、魚売りの踊り創作振り付けも面白かった。
今回 地謡(じかた)を中心に担当 また独唱「夏花」ありで大活躍の幸太くんであった。
(写真は三線教室の安次富)
なんと言っても今回の公演のために幸太くんが「木綿花」を作詞・作曲したことは特筆される。
♪木綿花咲かりょうり 雪の花 咲かりょうり
読み美らさ 織りとうし 積む美らさ 織りとうし
月移つち あかいず羽 星添えてぃ 綾羽
曲想も単調で布さらしの雰囲気にあっていた。
昨年の発表会からして 一年間では相当みんな磨きがかかり
演舞や地謡(じかた)の調弦や声も息があい演出・構成もよかったです。
なによりもこのような立派な発表会が出来たのも顧問の狩俣恵一先生や各担当の先生方のご指導があったからこそ成し得た業です。多謝!
最近 県立芸大の発表会や琉球大学・八重山芸能発表会、そして今回の沖縄国際大学「琉芸文」を観ても分かるように沖縄伝統芸能を学ぶ若者が増えているように思う。とってもいいことだ。しかし いつも思うことだが、その盛り上がりは在学中のみに留めないで 学生時代で学んだスーパー芸や沖縄の肝心を大事に育て卒業しても 是非 地域、社会、職場に活かして欲しいと願うものである。

中学校の頃から愚生と文通し東京ライブの際は追っかけていた幸太くん、おとなしく静かな雰囲気で「沖縄で本格的に三線を勉強したい!」輝いている目つきからオーラを感じたのを覚えている。
そして とうとう沖縄の大学に入学、東京の和光小中学校から沖縄平和学習を取り組んでいた幸太にとっては現実に普天間基地隣接の沖縄国際大学で学業、昨年の夏校内に米軍のヘリ墜落事故をまざまざと見せられ、理不尽な基地問題を実感した。そんな政治的難問とは裏腹に悠久なる伝統芸能は連綿と受け継がれてまさに息吹かって元気だ。どちらもオキナワ現状を幸太は沖縄に来て身をもって学んだのである。昨夜は公演終了後「沖縄に来てよかったね」と声をかけてあげた。「はいっ」目涙 言葉にならなかった。
東京・町田のご両親も喜んでいることでしょう!
幸太くん 4年間お疲れさんでした。
幸太は卒業後沖国大の院生に入るそうです。
また厳しい歌の稽古がまっているよ~
♪ 想む事ん叶てぃ 歌ぬ花咲かち
卒業ぬ花し 芸ぬ道ゆ すらし賜り
場所 うるま市民劇場 響きホール
時間 午後18:30分
客入り満席
公演の構成は「陽春の宴」「稔りの秋に」「綾布の想い」「海のわざ」「野にいきる」と5つの場面をスピーディに展開して、綱引き口説や木綿花、魚売りの踊り創作振り付けも面白かった。
今回 地謡(じかた)を中心に担当 また独唱「夏花」ありで大活躍の幸太くんであった。
(写真は三線教室の安次富)なんと言っても今回の公演のために幸太くんが「木綿花」を作詞・作曲したことは特筆される。
♪木綿花咲かりょうり 雪の花 咲かりょうり
読み美らさ 織りとうし 積む美らさ 織りとうし
月移つち あかいず羽 星添えてぃ 綾羽
曲想も単調で布さらしの雰囲気にあっていた。
昨年の発表会からして 一年間では相当みんな磨きがかかり演舞や地謡(じかた)の調弦や声も息があい演出・構成もよかったです。
なによりもこのような立派な発表会が出来たのも顧問の狩俣恵一先生や各担当の先生方のご指導があったからこそ成し得た業です。多謝!
最近 県立芸大の発表会や琉球大学・八重山芸能発表会、そして今回の沖縄国際大学「琉芸文」を観ても分かるように沖縄伝統芸能を学ぶ若者が増えているように思う。とってもいいことだ。しかし いつも思うことだが、その盛り上がりは在学中のみに留めないで 学生時代で学んだスーパー芸や沖縄の肝心を大事に育て卒業しても 是非 地域、社会、職場に活かして欲しいと願うものである。

中学校の頃から愚生と文通し東京ライブの際は追っかけていた幸太くん、おとなしく静かな雰囲気で「沖縄で本格的に三線を勉強したい!」輝いている目つきからオーラを感じたのを覚えている。
そして とうとう沖縄の大学に入学、東京の和光小中学校から沖縄平和学習を取り組んでいた幸太にとっては現実に普天間基地隣接の沖縄国際大学で学業、昨年の夏校内に米軍のヘリ墜落事故をまざまざと見せられ、理不尽な基地問題を実感した。そんな政治的難問とは裏腹に悠久なる伝統芸能は連綿と受け継がれてまさに息吹かって元気だ。どちらもオキナワ現状を幸太は沖縄に来て身をもって学んだのである。昨夜は公演終了後「沖縄に来てよかったね」と声をかけてあげた。「はいっ」目涙 言葉にならなかった。
東京・町田のご両親も喜んでいることでしょう!
幸太くん 4年間お疲れさんでした。
幸太は卒業後沖国大の院生に入るそうです。
また厳しい歌の稽古がまっているよ~
♪ 想む事ん叶てぃ 歌ぬ花咲かち
卒業ぬ花し 芸ぬ道ゆ すらし賜り
Posted by 大工哲弘 at
01:06
2005年12月11日
心の贈り物
「人から人へ心から心へ、笑顔と感謝をありがとう!」
世は今の時期 お歳暮シーズンだ。
愚生にも師走に入って弟子や友・知人からお歳暮品が届いた。
北は札幌、岡山、福島、信州、徳島、愛媛、愛知、埼玉から心温まる品に感謝している。
中でも信州長野の宮田村で県議員活動をしながら農業をしている愚生と同年のおばら勇さんが自分の山で栽培、収穫した「宮田りんご」を今年も贈ってきた。
今年は雨も少なく果物にとってはベストシーズンでしたが、収穫直前に突風が襲ったりして自然が相手のりんご作りの大変さを知ったと本人の書留があった。早速「サクッ」と皮まま食べてみた なんとこれが甘くて本当に美味いりんごである。丹精を込めて作った主の「りんごはなんにも言わないけれど・・・♪」心が伝わって来て嬉しかった。
宮田村で刊行している季刊誌「歳時記・みやだの里」からの豆知識によるとりんごはペクチン、植物繊維豊富でカリウム、有機酸、ビタミンCなどが多く含まれ腸の働きも活発に 大腸ガンを抑える効果も抜群で一日一個のりんごは医者を遠ざけると「歳時記」には記されてある。
愚生が幼い頃は病気でもしない限り高級貴重品のりんごは食えなかった。りんごを欲しいがために仮病をしておばぁちゃんから食べさせて貰ったこともある。
ただ高級貴重品だけではなしにりんごの要素を知る限り、病気のときりんごを食うと直る理由がちゃんとあったのですね
またイタリアではりんごが禁煙に効果があるとされている。これはりんごの含まれている成分とたばこのニコチンが反応するためとされているそうです。やめたい人はまずお試しあれ
りんごの他全国の特産物がリアルタイムで頂けるという素晴らしい時代に感謝。本コラムを借りて贈って頂いたお弟子や友人にお礼を申し上げたいと思います。ありがとうございました!
お歳暮期間はだいたい12月20日頃までだそうです。(この文に深い意味はありません?! まずは参考まで)
今夜 愚生のHP管理kuwaくんが我が家を訪ねるという電話があり、宮田のりんごをkuwaくんにお裾分けしようと準備していたら、
ピンポーォン♪玄関の扉を開けたら「先生!妻のふるさと群馬・沼田のりんごをお土産にもってきました」
・・・
明日は群馬・沼田と信州・宮田のりんご食べ比べしてみよう。
Kuwaくんありがとうね~!
世は今の時期 お歳暮シーズンだ。
愚生にも師走に入って弟子や友・知人からお歳暮品が届いた。
北は札幌、岡山、福島、信州、徳島、愛媛、愛知、埼玉から心温まる品に感謝している。
中でも信州長野の宮田村で県議員活動をしながら農業をしている愚生と同年のおばら勇さんが自分の山で栽培、収穫した「宮田りんご」を今年も贈ってきた。
今年は雨も少なく果物にとってはベストシーズンでしたが、収穫直前に突風が襲ったりして自然が相手のりんご作りの大変さを知ったと本人の書留があった。早速「サクッ」と皮まま食べてみた なんとこれが甘くて本当に美味いりんごである。丹精を込めて作った主の「りんごはなんにも言わないけれど・・・♪」心が伝わって来て嬉しかった。
宮田村で刊行している季刊誌「歳時記・みやだの里」からの豆知識によるとりんごはペクチン、植物繊維豊富でカリウム、有機酸、ビタミンCなどが多く含まれ腸の働きも活発に 大腸ガンを抑える効果も抜群で一日一個のりんごは医者を遠ざけると「歳時記」には記されてある。
愚生が幼い頃は病気でもしない限り高級貴重品のりんごは食えなかった。りんごを欲しいがために仮病をしておばぁちゃんから食べさせて貰ったこともある。
ただ高級貴重品だけではなしにりんごの要素を知る限り、病気のときりんごを食うと直る理由がちゃんとあったのですね
またイタリアではりんごが禁煙に効果があるとされている。これはりんごの含まれている成分とたばこのニコチンが反応するためとされているそうです。やめたい人はまずお試しあれ
りんごの他全国の特産物がリアルタイムで頂けるという素晴らしい時代に感謝。本コラムを借りて贈って頂いたお弟子や友人にお礼を申し上げたいと思います。ありがとうございました!
お歳暮期間はだいたい12月20日頃までだそうです。(この文に深い意味はありません?! まずは参考まで)
今夜 愚生のHP管理kuwaくんが我が家を訪ねるという電話があり、宮田のりんごをkuwaくんにお裾分けしようと準備していたら、
ピンポーォン♪玄関の扉を開けたら「先生!妻のふるさと群馬・沼田のりんごをお土産にもってきました」
・・・
明日は群馬・沼田と信州・宮田のりんご食べ比べしてみよう。
Kuwaくんありがとうね~!
Posted by 大工哲弘 at
23:00
2005年12月08日
復刻盤
先日 竹中事務所(夢幻工房)から一枚のCDが届いた。
見覚えのある表紙。なんと31年前「琉球フェスティバル74」の復刻盤CDなのである。
再販されると言う話は東京やいま歌会の○野くんから聞いてはいた。
74"日比谷野外音楽堂で5000名集めてコンサートしたと言うだけでも話題となり沖縄島唄初ライブ録音盤として世に出たのですが・・・マニアック音楽の趣味範囲だけだった為、まもなくして廃盤となった。
そして先月31年後に甦りCD化され再生された。
早速 音を聞いてみた。
歌い手は誰も洋楽器など使っていない。
山里勇吉師匠の「とぅばらーま」スリリングだ。故照屋林助さんMCや上原直彦さんのコメントも凄い!
みんな新鮮で懐かしいね
72年沖縄が本土復帰して間もない時期 日本本土にあっては郷友会以外は沖縄の民謡なんて誰も知らない時代、沖縄の島唄文化を伝えよう、という構えた気負いもなく自然体だ。沖縄で普段している内容の構成をそのまま東京のど真ん中、日比谷の舞台で再現し「ただ楽しもう!」改めて聞いてみても そんな雰囲気がビンビンと伝わってくる。別に愚生は回顧主義ではないが、いい復刻盤になっている。
出演者は亡き・金城睦松、照屋林助、嘉手刈林昌、竹中労(構成、編集、解説)
山里勇吉、国吉源次、上原直彦(司会)知名定男、大工哲弘
愚生がメンバーでは当時一番若かった(若干25歳)先輩達と一緒に居合わせただけでも貴重な体験だったなぁ~
最近 全国的に沖縄音楽が広まっている状況を私産投げ打って30年前琉球フェスティバルを(東京、大阪、名古屋、京都)で開催した亡き竹中労はどういう風に今を見ているのでしょうか?
「哲ちゃん どうせ後は本物しか残らないよ~?」こんな言葉が
30年前 マイナーの島唄レコードが将来 復刻盤としてリリースされると言う予測は誰ができたであろうか?
それからすると この一枚も労さんがいう本物なのかも知れない?
しかしこのCD考えてみるとリリースされたのはいいが、出演されている本人に許諾されないままリリースされる復刻盤も珍しい、一体全体どうなっているのでしょうね?いくら(権利は制作社)といえども人権的には問題があると思うのだが・・・・
労さんがご健在でしたら このやり方にはキットご立腹するだろう。
まぁ 今年 五月お亡くなりになった林助さんの供養と竹中労(解説)金城睦松さん、嘉手刈林昌さんの元気な歌声が更なる多くの人びとに聴かれCD供養となったらいいじゃないか!
そう願うだけです。
見覚えのある表紙。なんと31年前「琉球フェスティバル74」の復刻盤CDなのである。
再販されると言う話は東京やいま歌会の○野くんから聞いてはいた。
74"日比谷野外音楽堂で5000名集めてコンサートしたと言うだけでも話題となり沖縄島唄初ライブ録音盤として世に出たのですが・・・マニアック音楽の趣味範囲だけだった為、まもなくして廃盤となった。
そして先月31年後に甦りCD化され再生された。
早速 音を聞いてみた。歌い手は誰も洋楽器など使っていない。
山里勇吉師匠の「とぅばらーま」スリリングだ。故照屋林助さんMCや上原直彦さんのコメントも凄い!
みんな新鮮で懐かしいね
72年沖縄が本土復帰して間もない時期 日本本土にあっては郷友会以外は沖縄の民謡なんて誰も知らない時代、沖縄の島唄文化を伝えよう、という構えた気負いもなく自然体だ。沖縄で普段している内容の構成をそのまま東京のど真ん中、日比谷の舞台で再現し「ただ楽しもう!」改めて聞いてみても そんな雰囲気がビンビンと伝わってくる。別に愚生は回顧主義ではないが、いい復刻盤になっている。
出演者は亡き・金城睦松、照屋林助、嘉手刈林昌、竹中労(構成、編集、解説)
山里勇吉、国吉源次、上原直彦(司会)知名定男、大工哲弘
愚生がメンバーでは当時一番若かった(若干25歳)先輩達と一緒に居合わせただけでも貴重な体験だったなぁ~
最近 全国的に沖縄音楽が広まっている状況を私産投げ打って30年前琉球フェスティバルを(東京、大阪、名古屋、京都)で開催した亡き竹中労はどういう風に今を見ているのでしょうか?
「哲ちゃん どうせ後は本物しか残らないよ~?」こんな言葉が
30年前 マイナーの島唄レコードが将来 復刻盤としてリリースされると言う予測は誰ができたであろうか?
それからすると この一枚も労さんがいう本物なのかも知れない?
しかしこのCD考えてみるとリリースされたのはいいが、出演されている本人に許諾されないままリリースされる復刻盤も珍しい、一体全体どうなっているのでしょうね?いくら(権利は制作社)といえども人権的には問題があると思うのだが・・・・
労さんがご健在でしたら このやり方にはキットご立腹するだろう。
まぁ 今年 五月お亡くなりになった林助さんの供養と竹中労(解説)金城睦松さん、嘉手刈林昌さんの元気な歌声が更なる多くの人びとに聴かれCD供養となったらいいじゃないか!
そう願うだけです。
Posted by 大工哲弘 at
00:43
2005年12月05日
競演の島うた
昨日『第3回競演の島歌』大会がありました。
会場は佐敷町文化センター・シュガーホール
主催:沖縄県南部連合文化協会
共催:琉球新報社、沖縄県文化協会、佐敷町教育委員会、佐敷町文化協会

脈々と受け継がれている島歌を新しい時代に継承されるよう、各民謡協会のコンクールとはまた違った雰囲気で日ごろの技術を磨いたヤカラ者達が集い歌の勝負(スーブ)しようというイベント。
選考委員には
宮城鷹夫・沖縄県南部連合文化協会名誉会長
金城実 ・琉球民謡協会会長
金城建蔵・琉球民謡音楽協会
上原正吉・前川流寿の会会長
新崎松秀・琉球民謡伝統協会会長
宮城武硯・琉球民謡本部理事
宮良康正・八重山古典民謡保存会顧問
来間武男・在沖宮古民謡協会会長
以上の先生方で審査が行われた。
出場者曲順
1、とぅばらーま
2、とぅばらーま
3、伊良部とうがに
4、懐かしき故郷
5、片想い
6、じんだま
7、伊良部とうがに
8、恋の花
9、たゆい
10、下千鳥節
11、中筋ぬヌベーマ
12、美童島唄
13、ハンタ原
14、とうがにすーざー
15、物知り節
16、安里屋節
17、小浜節
18、瓦屋情話
19、下千鳥節
20、伊良部とうがに
21、歌の道
22、梅の香り
23、とぅばらーま
24、とうがにあやぐ
25、とぅばらーま
26、染なし節
27、どぅなんすんかに
28、伊良部とうがに
29、ヤッチャー小
30、瓦屋情話
31、夏花
32、物知り
33、ナークーニ
34、多良間ションカネー
35、豊年音頭
以上35名のエントリー者(1名棄権)で競われたが出場者の中でも最年少者(11歳女の子)安里屋節を歌った琉球民謡音楽協会所属(知念イチエ)さんのお弟子が見事チャンピオンになった。
残念ながら我がやいまうた会教室の代表二人(有馬と屋嘉部)は及ばずながら力不足でした。
初年度が20名、昨年が26名、今年が35名と出場者が年々増えている。
プログラムの曲順を見ても分かるように順番と曲目だけが記されてある。
名前を書かずに所属・会派・出身地を伏せて唄だけ聴いてもらって審査するというもっともシビアなコンテストである。
客席の後ろから何名か聞かせてもらったが、マイクは設置してあるが、あくまでもモニター用で会場には音響されていない(もともとはクラシック専用のホール)そのため声が後部席までハッキリ聞こえない出場者が多かった。そんな会場はどうしても八重山・宮古民謡が有利だ。
それにしても出場者35名の枠はあまり多すぎる。
午後1時に始まった大会は午後5時30分に終了という長丁場のイベントとなった。
出場者が多ければ予選会などして30名くらいに絞るとか
また 審査中出場者への気配りか?会場へ「私語は慎んでください~」というアナウンスが何度も連呼され 耳障り、一度いえば判るのに、お客さんは出場者を盛り上げようと有料で応援しに来場しているのだから・・・ 逆に観聴客へも気配りして欲しかった。
まぁ意見はそれくらいにして いずれにしても島唄者を育てようと南部連合文化協会が主催となり各協会と連携しながら競演の島うた大会も3回目まで続いた。
さぁ来年は どんな島唄のツワモノ達がシュガーホールに集合するのだろうか?今から楽しみである。
是非 近い将来 我がネットからのチャレンジも夢見ている。
会場は佐敷町文化センター・シュガーホール
主催:沖縄県南部連合文化協会
共催:琉球新報社、沖縄県文化協会、佐敷町教育委員会、佐敷町文化協会

脈々と受け継がれている島歌を新しい時代に継承されるよう、各民謡協会のコンクールとはまた違った雰囲気で日ごろの技術を磨いたヤカラ者達が集い歌の勝負(スーブ)しようというイベント。
選考委員には
宮城鷹夫・沖縄県南部連合文化協会名誉会長
金城実 ・琉球民謡協会会長
金城建蔵・琉球民謡音楽協会
上原正吉・前川流寿の会会長
新崎松秀・琉球民謡伝統協会会長
宮城武硯・琉球民謡本部理事
宮良康正・八重山古典民謡保存会顧問
来間武男・在沖宮古民謡協会会長
以上の先生方で審査が行われた。
出場者曲順
1、とぅばらーま
2、とぅばらーま
3、伊良部とうがに
4、懐かしき故郷
5、片想い
6、じんだま
7、伊良部とうがに
8、恋の花
9、たゆい
10、下千鳥節
11、中筋ぬヌベーマ
12、美童島唄
13、ハンタ原
14、とうがにすーざー
15、物知り節
16、安里屋節
17、小浜節
18、瓦屋情話
19、下千鳥節
20、伊良部とうがに
21、歌の道
22、梅の香り
23、とぅばらーま
24、とうがにあやぐ
25、とぅばらーま
26、染なし節
27、どぅなんすんかに
28、伊良部とうがに
29、ヤッチャー小
30、瓦屋情話
31、夏花
32、物知り
33、ナークーニ
34、多良間ションカネー
35、豊年音頭
以上35名のエントリー者(1名棄権)で競われたが出場者の中でも最年少者(11歳女の子)安里屋節を歌った琉球民謡音楽協会所属(知念イチエ)さんのお弟子が見事チャンピオンになった。
残念ながら我がやいまうた会教室の代表二人(有馬と屋嘉部)は及ばずながら力不足でした。
初年度が20名、昨年が26名、今年が35名と出場者が年々増えている。
プログラムの曲順を見ても分かるように順番と曲目だけが記されてある。
名前を書かずに所属・会派・出身地を伏せて唄だけ聴いてもらって審査するというもっともシビアなコンテストである。
客席の後ろから何名か聞かせてもらったが、マイクは設置してあるが、あくまでもモニター用で会場には音響されていない(もともとはクラシック専用のホール)そのため声が後部席までハッキリ聞こえない出場者が多かった。そんな会場はどうしても八重山・宮古民謡が有利だ。
それにしても出場者35名の枠はあまり多すぎる。
午後1時に始まった大会は午後5時30分に終了という長丁場のイベントとなった。
出場者が多ければ予選会などして30名くらいに絞るとか
また 審査中出場者への気配りか?会場へ「私語は慎んでください~」というアナウンスが何度も連呼され 耳障り、一度いえば判るのに、お客さんは出場者を盛り上げようと有料で応援しに来場しているのだから・・・ 逆に観聴客へも気配りして欲しかった。
まぁ意見はそれくらいにして いずれにしても島唄者を育てようと南部連合文化協会が主催となり各協会と連携しながら競演の島うた大会も3回目まで続いた。
さぁ来年は どんな島唄のツワモノ達がシュガーホールに集合するのだろうか?今から楽しみである。
是非 近い将来 我がネットからのチャレンジも夢見ている。
Posted by 大工哲弘 at
23:25
2005年12月03日
芋の時代
作曲:譜久原恒勇 作詞:浦崎康子
「芋ぬ時代」という歌がある。
♪三度三度ぬ ハンメーや 芋とぅ塩小し
腹みちてぃ命ちなぢゃる あぬ志情や 忘てーならんさ 親ぬ恩義いちぐ いちまでィ 忘んなよ~
昔の三度三度の主食は芋(ゥンム・沖縄方言)で凌ぎ終戦直後何もない時代に芋に助けられたご恩を忘れてはならないと作者は伝えている。
毎週木曜日は若狭島うたの会での教室
老若男女の受講生の中で長老の○○城さんは 芋ぬ時代の歌になると三線を止め一切歌も歌わない、どうしてですか?と聞くと「芋ぬ時代は一番嫌いなうたです、昔さんざん芋ばっかり食ったので、もう聞くだけでも見るだけでも昔を思い出して嫌になる」そうです。
極貧の時代であっても嫌いな食があったということは、よっぽど芋のイメージが強いのであろう。
また あのネーネーズを育てた知名定男はソーメンが絶対に食えないと言う。
天才少年と言われた頃 親を助けるため毎月民謡のど自慢大会に出場したそうだ。入賞して賞品を貰ったら大体「ソーメン」箱(ケース)ごと だったそうです。
それで毎日毎日ソーミン(沖縄呼び方)を食わされて、ソーミンを見るだけでもイーバチカー(嫌い)だ そうだ。
いろいろあるもんですね~
愚生の世代になると嫌いな食内容が変わり友人には海老が食えない、山羊、豚、牛肉、卵、ネギ、ニンジン、魚、納豆と多種多様にチョット贅沢な食アレルギーがあるようだ。
別に宗教上食えないというわけではなく子供の頃に何かの衝動で嫌いになったという経緯が多い。
愚生はといえばまったく好き嫌いなものがないのが救いだ。お陰をもって全国どこにいっても好きなものが食えるから自分でも幸せ人間と思っている。
その好き嫌いがなくなったのも愚生が幼い頃 亡き親父が「嫌いなものは好きになれ!」と当時嫌いなニンジンを強制的に毎日食わされた。だが 食っていくにつれニンジンがこんな美味いものかと変わっていったのを覚えている。
今年は中国から野国総官が芋(甘藷)を沖縄に伝えて400年という節目でその功績を称えて野国総官甘藷祭というイベントが10月出身地嘉手納であった。
また 石垣の我が村(新川)では旧暦の9月にはアッコン(石垣の方言)のヨイ(甘藷の祝い)という芋を石垣に伝えた波照間高康という人が沖縄本島から種を持ち帰り(悲しくも野国が伝えてから八重山には90年も作付けが遅れている)始めて作り方を伝授したという初木(ハツギ)を記念し感謝する祭りが毎年おこなわれる。
八重山の諺に「ヤンマイヤ フツカラド フォウ」<すべての病は口から入る食でもって作っていく> なかなか含蓄もある言葉。
最近はさまざまな現代病がはびこっている中 食生活はバランスよくと心がけている。芋もニンジンも人間にとって大切なビタミン。
これからは肉の時代から芋が見直される時代に来ているだろう
我が家の前にやってくる「♪おいし~い 石焼き芋~」と移動屋台車が今日もやってくる、これからは焼きいもが美味しい季節だ。
絶対 買うぞ!!
「芋ぬ時代」という歌がある。
♪三度三度ぬ ハンメーや 芋とぅ塩小し
腹みちてぃ命ちなぢゃる あぬ志情や 忘てーならんさ 親ぬ恩義いちぐ いちまでィ 忘んなよ~
昔の三度三度の主食は芋(ゥンム・沖縄方言)で凌ぎ終戦直後何もない時代に芋に助けられたご恩を忘れてはならないと作者は伝えている。
毎週木曜日は若狭島うたの会での教室
老若男女の受講生の中で長老の○○城さんは 芋ぬ時代の歌になると三線を止め一切歌も歌わない、どうしてですか?と聞くと「芋ぬ時代は一番嫌いなうたです、昔さんざん芋ばっかり食ったので、もう聞くだけでも見るだけでも昔を思い出して嫌になる」そうです。
極貧の時代であっても嫌いな食があったということは、よっぽど芋のイメージが強いのであろう。
また あのネーネーズを育てた知名定男はソーメンが絶対に食えないと言う。
天才少年と言われた頃 親を助けるため毎月民謡のど自慢大会に出場したそうだ。入賞して賞品を貰ったら大体「ソーメン」箱(ケース)ごと だったそうです。
それで毎日毎日ソーミン(沖縄呼び方)を食わされて、ソーミンを見るだけでもイーバチカー(嫌い)だ そうだ。
いろいろあるもんですね~
愚生の世代になると嫌いな食内容が変わり友人には海老が食えない、山羊、豚、牛肉、卵、ネギ、ニンジン、魚、納豆と多種多様にチョット贅沢な食アレルギーがあるようだ。
別に宗教上食えないというわけではなく子供の頃に何かの衝動で嫌いになったという経緯が多い。
愚生はといえばまったく好き嫌いなものがないのが救いだ。お陰をもって全国どこにいっても好きなものが食えるから自分でも幸せ人間と思っている。
その好き嫌いがなくなったのも愚生が幼い頃 亡き親父が「嫌いなものは好きになれ!」と当時嫌いなニンジンを強制的に毎日食わされた。だが 食っていくにつれニンジンがこんな美味いものかと変わっていったのを覚えている。
今年は中国から野国総官が芋(甘藷)を沖縄に伝えて400年という節目でその功績を称えて野国総官甘藷祭というイベントが10月出身地嘉手納であった。
また 石垣の我が村(新川)では旧暦の9月にはアッコン(石垣の方言)のヨイ(甘藷の祝い)という芋を石垣に伝えた波照間高康という人が沖縄本島から種を持ち帰り(悲しくも野国が伝えてから八重山には90年も作付けが遅れている)始めて作り方を伝授したという初木(ハツギ)を記念し感謝する祭りが毎年おこなわれる。
八重山の諺に「ヤンマイヤ フツカラド フォウ」<すべての病は口から入る食でもって作っていく> なかなか含蓄もある言葉。
最近はさまざまな現代病がはびこっている中 食生活はバランスよくと心がけている。芋もニンジンも人間にとって大切なビタミン。
これからは肉の時代から芋が見直される時代に来ているだろう
我が家の前にやってくる「♪おいし~い 石焼き芋~」と移動屋台車が今日もやってくる、これからは焼きいもが美味しい季節だ。
絶対 買うぞ!!
Posted by 大工哲弘 at
11:17




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