2006年06月30日

ラジオ&TV出演番組

TV&ラジオ番組出演のお知らせ

■NHK総合
6月30日(金)/ 午後8:00~8:44
【沖縄の歌と踊りスペシャル】
「社会の底を歩いて」~詩人・山之口貘のめざしたもの

■NHK沖縄放送局、新番組情報市場「おもしろ・てれぐすく」
毎週(月~金)17:30~17:59(生放送)
7月5日「とーくちゃんぷるー」に出演します。

■NHK FMラジオ「日本の民謡」
司会:藤崎弘士アナウンサー&横川裕子 
毎週日曜日 午前11時00分~11時50分
(再放送 翌月曜日 午前5時00分~5時50分)
ゲスト出演 

■タイフーンFM(うるま放送局)
大工哲弘の「我ったージンターランド」
毎週土曜日14:30~15:00(7月8日まで)
ポッドキャスティングでも聞けます。

※ 琉球放送、ラジオ沖縄、FMたまんの番組出演の詳細がわかる次第お知らせします。  
Posted by 大工哲弘 at 00:37

2006年06月28日

真夏のケーキ

九州地方は大雨の影響で土砂崩れや家屋崩壊による被害が起きているそうです。
福岡の飯尾さんが30日から始まるコンクール応援と所要を兼ねて昨日から沖縄入り、飯尾さんの古賀市も大雨による被害があると言っていました。
お見舞い申し上げます。

一足先に梅雨明けした沖縄地方は、蒸し風呂にでも入ったような暑さが毎日続いています。今朝起きて窓を開けると 遅れ馳せながら蝉の大合唱が聞こえてきた。
いよいよ本格的な真夏だ!
いよいよ明日からゾクゾクとコンクールの為那覇に集合するネットもある。どうぞネットの皆様 気候、気温の違いで体調など崩されないように対策を講じてくださいね。
せっかく年一度の楽しいコンクールが半減しますからね。

昨夜の稽古は 昨年大阪から本格的に歌を勉強しに那覇に移住しているマヤちゃんが、「今日はコンクール全員合格の前祝しよう!」手作りの紅いもケーキを教室に持ってきた。

何と優しい心づかいなのだろう。
昨夜はマヤちゃんを見直した。
そういえば稽古中皆のお茶足しいれもマヤちゃんがいつもやってくれている。
今は歌修行の身、那覇に移り 日に日に大人(うふっちゅ)になっているように思う。

稽古のお茶タイムは マヤに感謝し みんなでケーキを美味しくいただいた。マヤありがとうね~!

ひょっとしたら 今年はマヤちゃんのケーキ前祝祈念が叶い全員合格の夢が実現するかも・・・
いや できる!

本番まで後 2日半日  
Posted by 大工哲弘 at 11:33

2006年06月27日

大阪三線クラブ 写じゃん










①会員のみ愚生のライブ終了後は恒例の交流会。
大所帯の大阪は曜日毎サークルの紹介を兼ねて日頃の練習の成果を発表してくれた。
UPは上級クラスのメンバーが堂々と「赤馬節」を披露してくれた。

②哲忠ーズは初めて柿木さんのウクレレも加わり「ハートランド」さわやかに演奏してくれた。
なかなかよかったです。 作曲者のオクノ オサム もキットよろこぶよ。

③新進気鋭の「とちゅうーず」が新着のTシャツに愚生のサイン
芸の道はまだ途中なのかもしれないが・・・継続して欲しいね

④その「とちゅうーず」が満月の夕を見事披露

⑤長丁場の個人レッスンに田中さんが手作り弁当をもってきてくれた。
沖縄の清明祭(しーみー)や運動会のご馳走に似て豪華なお重弁当であった。
ホンマニ 美味しかったです。
田中さん また お願いします。

⑥交流会の最後は恒例のカチャーシー。
手前は「大阪ゆんたーず」のお姐さん達。
ちかい将来○カ姐の後継ぎがでて欲しいけど

⑦大阪空港(伊丹)まで多忙な中佐々忠さん、横山、べっちー、柿木さんがワザワザ見送りにきてくれた。
写真を撮る場合、べっちーは一緒に並んではいけないブリくんと並んでしまった。
天気にも恵まれ有意義な3日間・そして皆さんに感謝しています。
ありがとうございました!!   
Posted by 大工哲弘 at 11:00

2006年06月27日

初めての出張個人指導

今週末から琉球民謡音楽協会主催の第5回「民謡コンクール」が始まる。
全国どの大工ネットも完全にコンクールモードだと察します。

ネットの中で大所帯な大阪三線クラブで出張 個人レッスンが3日間(23日~25日)一人30分持ち時間刻みで33名(笛3名は別)の指導があった。

ただ これまでは特定のメンバーしか個人レッスンは愚生から直接受けられないものと思い込みがあって新人クラスは沖縄に来てもアルテ教室は「敷居が高い」というイメージで中々きてもらえなかった。

それを大阪ゲンキ印の小野○子さんや「哲忠ーず」のお茶目な「ぴしゃーまーず」5人娘?が扉を開いてくれたように思う

今回の個人レッスンの成果はコンクールの結果を見て評価されると思うが・・・
でも 決して歌を勉強するにはコンクールがすべてでは無いのである。常にいっているようにコンクールは目的でなく、あくまでも日頃のトレーニングプロセス、見える「賞」「形」なのである。技術もさることながら上には上がある。沖縄の悠久なるうたこころ・不変の心を知るまでには何年かかるだろうか。今回新人を目指すネットのみなさんとも 何十年も三線を通してお互い共有できれば嬉しい限りである。
  
Posted by 大工哲弘 at 00:37

2006年06月22日

慰霊の日

明日23日は沖縄戦で亡くなった多くの全戦没者の御霊を慰める追悼式「慰霊祭」が行なわれる日である。改めて悲惨な戦争を反省し世界の恒久平和を願う日でもある。
1974年(昭和49年)沖縄県が条例により制定された独自の鎮魂行事。

昨日から慰霊の日に因んで各地で平和を祈るイベントが行なわれています。昨夜の愚生はアルテ鳥堀ウォーバーホールで川原一沙(かわはら・かずさ)さんのピアノ弾き語りを聞いた。
「夏至の日 キャンドルを燈す夜」とサブタイトルどおり会場の隅々にキャンドルの淡い明かりで透き通る天使のような美しい声と彼女のやさしい語りの演出はよかった。 

歌による調和とコミュニケーションをテーマとして、平和、地球、自然、故郷、和にもつながりをコンセプトにライブ活動を行なっている彼女のポリシースタイルがライブ途中までしか聴けなかったけど存分に表現されていた。

彼女は熊本玉名市生まれ、MCではお寺住職の娘で幼い頃から平和の尊さを教えられていたという。
住職である親父から「高い山の木や全て自然の木や花も枝先に平和を求めて育っている」それを変えているのも人間なのである。身勝手な人間の心が自然破壊にも戦争にも繋がっているのだ・・・と云う
訥々と語る彼女の喋りには印象が残った。

そう云えば ユネスコ憲章前文を思い出した。

「戦争は人の心の中で生まれるものであるから
人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」

何を隠そう 愚生も先週14日ユネスコ協会沖縄支部に入会し理事に選出された。これから いろいろとユネスコにまつわる行事を支援していかなければ ならないのである。 

因みにユネスコとは(国際連合教育科学文化機関)は、諸国民の教育、科学、文化の協力と交流を通じて国際平和と人類の福祉の促進することを目的とした国際連合の専門機関)です。

広く ユネスコ憲章・前文の心を知らせたい
 
平和だから

子供達の教育や

ライブやコンサートができる

今世界中が熱狂しているサッカーだって

勿論 三線だって楽しめるのである

これから新たな戦争がなく ずっと ずっと今の戦後が長く 長く永遠に続いてほしいと願うばかりである。  
Posted by 大工哲弘 at 14:13

2006年06月20日

かりゆしウェアー

沖縄地方は今日平年より3日早く気象庁は梅雨明けを発表した。

さぁ~本格的夏の到来と蒸し暑さにあえぐ男や冷房で冷え肩こり、頭痛などで悩む女性にも歓迎されるクールビズの季節がやってきた。

クールビズ(ビジネススタイルの意味が込められているという)は元々環境省が軽装でノーネクタイの上着スタイルが地球温暖化防止にも繋がるという発端で推進された。

沖縄ではクールビズなどと横文字では呼ばない、すべて「かりゆしウェアー」と称している。

昨今は公式の場・官の議会でも結婚式でもかりゆしウェアーを着用する風潮が出てきた。
これまでは黒背広、ネクタイ着服での告別式の参列は暑くて むさ苦しかったがクールビズが普及したお陰で夏場の告別式も環境に役立ているようである。

その喪服専用かりゆしウェアーで昨日同級生の○浜(愚生のコンサート・ゆんたしょーら5の舞台監督だった)御母堂さま(享年82歳)の告別式があった、愚生も初めてかりゆしでウェアーを着けて告別式に参列した。黒スーツから開放され なかなか涼しいくていい。参列者のほとんども かりゆしウェアーであった。

その告別式の帰りに3月まで同僚だった○屋くんから電話が入った、○勝さんが なんと急死したとの連絡。愚生と役場採用も一緒、35年間職を共にしたが、昨年定年で愚生より一足先に退職をし、定年後はスローライフをするはずだったが、再婚者の連れの子供達がまだ小さく その子供達の為に働くのだと、シルバー人材センターに身を置いていた。去った3月も愚生の退職を祝いをしてくれて一緒に飲んだのに・・・個人的にも大変お世話になった先輩である。

ショックで気が動転しながら告別式の帰りそのまま○勝宅にお通夜にいった。
先輩の趣味は海外旅行というくらい旅が好きだった。50ケ国は訪れている。明日は永眠の長い長い旅に旅発ってしまう。
来月4日は一緒に飲む会があったのに、また友人を失った。非常に残念でならない。

明日もまた出棺・告別式でかりゆしウェアーを着けるかと思うと 気が滅入ってしまう。

「かりゆし」とは沖縄の言葉で目出度いとか慶びを表す言葉のなのでT・P・O(時・場所・場合)によってかりゆしウェアーの呼び方もあったほうがいいのかぁ~って勝手に思った

心からお悔やみ申し上げ 謹んでご冥福をお祈り申し上げます。合掌  
Posted by 大工哲弘 at 18:51

2006年06月18日

やっと太陽

昨日から沖縄は久しぶりに初夏を思わせる太陽がサンサンと顔をのぞかせた。
思わず「オオソレ ミオ~!!」を叫びたくなった。

どんな台風襲来でも自然災害の怖さを知っている沖縄は今回の長雨での被害は改めて対策強化と各方面へ災害の再認識が教訓として活かされた今年の梅雨時季だったのではと思う。

今日も暑い一日になりそうだ。例年だと梅雨が明け宣言してもおかしくないが・・・
しかし気象台は まだ梅雨明けを宣言をしていない。

だが 愚生の音楽の友人が東京から梅雨を明けをさせてくれた。
その友人の名は通称・アケタさん?!
愚生と96年一緒にアフリカツアーを1カ月もしたピアニスト&オカリーナ奏者の明田川庄之さんが昨夜「チャイハナ」でライブをするとの連絡があったので久しぶりに会いたくアケタのピアノライブを聞きにいった。

何時聞いてもパワフルな演奏はいいな。世界の山下もアケタの演奏には一目おいているという。
特にアフリカツアー中 毎日のように聞いて歌った。アフリカの国歌とも言われている「マライカ」はよかったなぁ~ 
涙が出そうになった。



アフリカといえばサッカーワールドカップ(W杯)ドイツ大会でアフリカ勢はアンゴラがチュニジアと引き分け以外4チームとも勝利を出来ずに敗退してしまったのは残念だ。

サムライ日本も運命のキックオフは今夜だが・・・
東京から大工ネットの○○鍋さんが来沖されていて今夜は鍋を囲んで飲み会な・の・で サッカーは観戦できない。
このところ千客万来だな~
勝利は明日の朝刊を見てクロと出ているか、シロと出ているか?
楽しみにして シロと出ているのを期待しよう


話はもどす

アケタさん お疲れさんでした!!
お陰で沖縄の梅雨もキット明けたであろう
近いうち 温泉でも一緒にいこうね  
Posted by 大工哲弘 at 12:13

2006年06月15日

長雨

先月17日に沖縄梅雨入りしてから、今日まで長雨で鬱陶しい日がつづいている。

宮古の豊年の声合(くいちゃー)に
♪豊年世(のぉずゆ)ぬ雨よ十日越いや長さ、五日越いや六日越い降りど見事
(豊年をもたらす雨は十日越しではながく、五日や六日越しがちょうど作物にはいい)と歌われているが・・・
今年は五・六日どころか 異常な降り方である。まだ一ヶ月経っても一向に梅雨は空けそうもなく一体いつが空けるのであろうか?


その長雨の影響が沖縄県内各地で出始めている。石垣島ではさとうきびが風雨でなぎ倒され、野菜も壊滅状態。また 那覇市と中城では地盤沈下がすすみ、毎日TV各局で報道されご存知だと思うが、鳥堀マンション近隣に居住していた28世帯86名が依然と公民館や親戚の家に非難している状態でこれからの天気次第では予断を許さない状況なのだ。毎日ニュース報道されて有名になった鳥堀のマンションは愚生の家の近くなので今朝ちょっと現場を見にいった。予想はしていたが、野次馬が多かった。

沖縄の諺に「うとぅるさむんや 見~ぶさむん」(怖いものは見たいものだ)群衆心理なのか?誰のために、なんのために、TV局は過剰報道中継にならないように願いいタイ。崩壊瞬間をみるのは愚生はイヤだ!


大工ネットの皆さんは一度はアルテ崎山教室は訪れたことはあるだろう
アルテ崎山からは目と鼻の先の距離で、ドミトリーの十階からだった現場が見えるかも知れない?
それだけに 気が気でならない。自然災害の怖さを 近くでまざまざと知らされた。

この梅雨前線は これから九州、本州と北上する。皆さんのところは雨対策大丈夫でしょうか?

豊年の世を齎す五日・六日越しの夜雨が来る季節を願い、はやく紫外線情報もききたい。  
Posted by 大工哲弘 at 16:47

2006年06月14日

受賞パーティ 

昨夜は琉球放送・民謡のエキスパート上原直彦氏が「06放送人グランプリー」という名誉ある賞を受賞したということでパーティがありました。(ハーバービュー・彩海の間)各界で活躍されている多くの著名な方々が出席され賑わいました。



案内状の内容

1961年以来今日までも続いている琉球放送ラジオの長寿番組「民謡で今日拝なびら」のパーソナリティーとしての業績や1992年氏の提唱によって始まり、今や海外にまで波及するに至った壮大なイベント『さんしんの日』など『中央集中、番組の画一化が進む中で、地域の人々に愛される番組を作り続けると同時に沖縄の文化を世界に発信している』として上原直彦氏の活躍を称えられグランプリー受賞に輝いたのです。

琉球放送のみならず、沖縄のほこりともいえる上原直彦氏の受賞を祝し、更なるご活躍を祈念して受賞祝賀会を開催したいと存じます。

愚生も八重山から那覇に居を移し山里勇吉師匠と侵食を共にしている頃から数えて、直彦兄とは37年間もつき合わさせております。
心から受賞を祝い よろこびたいと思います。  
Posted by 大工哲弘 at 17:33

2006年06月13日

大焼香

エイサーや無蔵念仏節の歌詞からも見られるように仏教の影響が沖縄の行事や生活習慣にいまでも根付いている。その中でも焼香や法義、法事もそうだ。
「焼香」を沖縄では「すぅーこう」八重山では「しょっこう」と呼ぶ。
告別式での焼香儀式とは違って「しょっこう」は奇数年忌で行なわれる年忌法要法事のことである。


妻方の祖父33回忌、祖母、父親、弟25年忌の法要為に先週末から帰省をしていた。(一代に1回か2回しか出来ない大行事なので延ばして合同で行う風習もある)

仏教では100年忌までの法事もあるそうだが、沖縄では割愛して33回忌が最後(果)の法要とされ、大(うふ)焼香、お祝い同様に紅白に料理や装飾するところから「色付け焼香」とも呼ばれている。昔は三線を弾いて嘉利を付け故人を偲び盛大に法要を営んだそうだ。
段々八重山でも焼香法事の盛物(むりむぬ)お供え霊供膳料理も簡素かされてきている中で妻方の宮良村ではまだまだ昔ながらの色が濃い風情が残っている。




↑あの世の沙汰も銭次第(最後に銭紙をもやす)


「法事は血縁(まがら)しどぅすぅ」(しょっこうは・間柄の中ですべき)八重山の諺とおり、近い親戚達が県外内から集まり故人の血縁関係を知り、近況報告・親戚の絆を確認するという雰囲気の行事でもある。

しかし里に帰って感じることは誰々が脳○○で倒れた、同級生の誰々が入院した、逝った。との知らせが最近余りにも多い。いま健康で自分や皆が元気で生きている感謝と証を確信する行事が「しょっこう」の法事でも在るかもしれない、とも思えた。南無 阿弥陀仏  
Posted by 大工哲弘 at 12:54

2006年06月09日

ドミニカ共和国


UPの絵画は盗作でも複写でもない。

愚生が1994年にカリブ海に臨む港湾都市ドミニカ共和国に民間芸能交流公演で訪れたときサントドミンゴ(ドミニカの首都)から買ってきた絵画である。現在も我が家の寝室の壁に掲げ毎日眺めている昔のドミニカ(移民開拓当時)の風景絵画である。

コロンブスの弟が新世界における最初のスペイン植民地として建設したのも有名な島国。沖縄の気候と似た亜熱帯で砂糖、フルフラール、などが特産物。フランス領のハイチと二分する島国。音楽はメレンゲ、バチャータで どこにいってもサルサに似たメレンゲリズムを聞き楽しむことが出来る。ライブハウスで楽しんでいたら たまたまその日誕生日の客が居た、バンドのメンバーが気をきかし♪ハーピィバーステェーツーユ~を演奏してくれた。そのメロディーも楽しいメレンゲになっていた。音楽とダンスが好きな国民、愚生も訪れた外国では好きな国だ!

また 野球ファンだったら知っているであろう。アメリカのメジャーリーグで大活躍したカブスのサミーソーサ、今尚もっとも年俸が高い松井と同チーム・ヤンキーズのアレックス・ロドリゲスも有名なドミニカ出身の代表選手である。

現在は中米のドミニカ共和国へ訪れる人は多いが、50年前日本政府の過剰宣伝の移民政策により、雄飛を求めドミニカに移住した日本人たちは入植したものの政策宣伝はまったくのまやかしで、でも日本人の誇りと「愛国心」をもって他国で辛苦を重ねてがんばって来た日本人残留移民達が東京地裁に国家損害賠償を請求したが、除斥期間が20年経過しているので請求を棄却した、という移民訴訟の判決は まったく杓子定規な判断だと思わざるには居られない。

何か一つでも日本政府から報われる言葉や救済の手立ては無かったのかなぁ~??
♪誰(たる)が上(うぃ)になてぃん志情(しなさきィ)どぅ頼む 情無(なさき ね)ん人や頼み苦(ぐ)りしゃ(誰が上役人になっても 志情だけが頼りだ・情けない人には物事は頼みにくい)と揶揄っている琉歌だ。

沖縄は日本でも有数の移民県である。ブラジル、アメリカ、ペルー、アルゼンチン、ボリビア、カナダ、メキシコの順に多いウチナーン人が世界各国に渡って行った。

当時 夢の国と渡った外国がまったく宣伝とは裏腹の世界であったであろう「ヒヤミカチ」がんばってきたウチナー人の「労」をねぎらい、様々なネットワークを築くため「世界ウチナーチュ大会」が1990年から沖縄県主催で開催され、1995年、2001年、そして今年の10月には第4回の世界ウチナーンチュ大会が行なわれる。

世界に散ったウチナーンチュが国境を無きアイデンティティを求めて祖先の故郷オキナワに5000名近くの兄弟達が今年も終結します。
独自のオキナワ県でさえ海外移民ネットワーク対策しているのに日本政府が出来ない筈はない。
今回のドミニカ残留移民訴訟判決に考慮し小泉首相は「不手際を認め、しかるべき対応を考えたい」との答弁を絶対に信じたい。


サントドミンゴと同じ花木(鳳凰木)が今オキナワの梅雨空に咲いている  
Posted by 大工哲弘 at 10:53

2006年06月08日

北海道の思い出

沖縄では「ハーリー鐘が鳴ると梅雨はあける」と云われてきた。
しかし旧暦の5月4日から一週間過ぎても一向に梅雨が明けそうになく毎日雨がダラダラと続いている。異常気象かな?週間天気予報を見ても来週まで雨のマーク、農作物が心配だ。

そんな時 北海道の知人、友人から便りがとどいた。
北海道は最近急に冷え込みました。いわゆる「リラ冷え」というそうだ。リラとはフランス語で「ライラック」のことで、咲き誇る5月末~6月初めにかけて冷えることからこのような名称になったそうです。これから暑くなろうとしている矢先の一瞬の寒さ。道産子は、それでもリラの美しさと言葉の美しさに、寒さもこれまた美しく感じるのだそうです。
素敵な季語ですね~ 何かリラックスしそうな響きがあります。
北の寒さと例えでは失礼だと思うのですが・・・沖縄でいう「ワカリビーサ」<別れ寒さ>「ムドイビーサ」<戻り寒さ>みたいなもんでしょうか?
そう云えば愚生が先月北海道ライブツアーの時にも桜満開、芝さくら、梅の花と様々な花が咲き誇っていたのが記憶に残っている。

あぁ~梅雨がない、北海道に戻りたいなぁ~!
ライラック、菜の花、鈴蘭の花とまだまだ北大地のゴールデンウィークはつづくであろうか。

先月ライブツアー中 楽しかった北大地のスナップを思い出しながら紹介しよう。


















①小樽の街でテッチーの店をナナちゃんが発見?!「テッチーニー」というイタリアンレストラン。
オーナーの名前が哲也だそうです。親しみを感じます。シーフードスパゲティー美味しかったよ~
②エドウィン・ダンの記念資料館を訪ねました。(ダン氏は北海道の開拓と牧場地や畜産・農業の発展に導いた第一の功労者)
③佐呂間に行く途中、阿寒湖によりました。湖を眺めながらの食事は最高でした。
④富良野芦別道立自然公園(桂沢湖)にも寄りました。 訪れる客もなく恐竜像がさびしいそうでした。
⑤いま もっとも有名な旭山動物公園に行ってきました。北極熊は人気があった。
⑥ご存知 小樽の運河  
⑦小林君宅の広い庭に♪咲いた、咲いたチューリップ花が並んだ並んだ赤白黄色どの花見ても綺麗だな・・・
⑧北海道で一番本当の旨いものと云えばテツは蕎麦だと思う。帯広で食った手打ち蕎麦屋「伊織り」の蕎麦。こんな美味しい蕎麦を食える帯広の民はうらやましいです。
⑨帯広に行く途中運転手&共演者の元さんにお願いして「網走刑務所」に連れて行ってもらいました。
昔 高倉健主演の映画「網走番外地」を思い出す。
⑩札幌のホソダ・コタロウくん。愚生の初孫を思い出す。
⑪札幌のフナト・ナオちゃん、
⑫帯広で元ちゃん友人・松田裕一愛娘「うたちゃん」という名前だそうです。素晴らしい命名ですね
⑬イシカワちゃんの長男ハヤタくんは空港まで見送りにまで来てくれた。
どちらも 健康で すこやかに大きくなって欲しいですね。
⑭もう一つ北海道で美味しいモノといえば アイスクリームである。愚生はゴマ味とアスパラガス味のアイスクリームを食べました。北海道らしい(帯広のメンバーと)

⑮今回のライブツアーは行く先々で多くの人にお世話になりました。
遅れ馳せながら 大工の元さん共々感謝申し上げます。ありがとうございました!!
UPは佐呂間湖をバックに  
Posted by 大工哲弘 at 00:12

2006年06月06日

自由の森から沖縄へ

「自由の森大学」は1994年大分県日田市に「文化によるまちおこし」をと考えた若い世代の市民が集まり創立した「市民大学」です。学長に地元出身のジャーナリスト筑紫哲也氏を迎え、市民ボランティアで構成された実行委員会により企画・運営してきた自由の森市民大学も12年間をもって3月閉校となった。
学長を始めスタッフの皆様お疲れさんでした!


愚生も自由の森大学に1997年、講師として宮里千里とトーク&ライブで招かれたことがある。
その時の打ち上げが異常なほど盛り上がり、今でも語り草となっている。
「大学」閉校に伴い学長の筑紫哲也を始めスタッフ30名が慰安旅行を兼ね3日来沖されるという情報が届いた。お世話になった自由の森大学のスタッフが来るとあってホスピタリティー旺盛のウチナーン人は黙っては居られない。宮里千里に相談したら「ブガリノーシ(慰労会)ライブを自分宅でしよう!」と提案してくれた。

10年前 千里宅の新築祝いには愚生と坪山豊氏の祝ライブをした経験もある(当時80名近く入った)公民館並みに広い家なので大丈夫なのだ
千里の言葉に甘えることにしその日千里宅にお邪魔した。外は雨、家の中梅雨特有な湿気と大勢人の熱気がムンムン部屋中漂っていた。

栄町で居酒屋「生活の柄」のオーナー盛仁と奥さんのあかねさんが前座を勤めてくれた。また東京から帰りの飛行場から古謝美佐子も駆けつけてくれた。
3曲も歌ってくれた。美佐~ありがとう!

真打は愚生♪
最後は全員でカチャーシー。筑紫さんも見事に踊ってくれた。
スタッフの皆さん!沖縄でちょっとでも これまでの疲れは取れたでしょうか?
千里の奥さん、娘の綾羽、バリちゃんも大勢の料理、大変だったでしょう。
ありがとうございました!美味しかったですよ~


12年間の日田市民に啓蒙活動を続けてこられたスタッフの皆さんは逆に沖縄に啓蒙され市民大学の落とし子か?当初は少数だった三線仲間も今では17名に増え沖縄三線を弾こう、歌おうというサークルが立ち上がり週一の稽古も始まった。
夏には愚生の出張稽古が実現しそうだ。

(筑紫さん!本当にご苦労さんでした。)

日田市といえば天領水、その美味しい水で造られるサッポロビール工場が日田市にある。
新鮮なビールを片手に天然鮎と鹿料理は最高な気分になる。
九州の奥座敷・小京都と言われる日田の町に三線の音が祭り行事に響く日は遠くはあるまい  
Posted by 大工哲弘 at 02:20

2006年06月03日

どうちゅいムニ(一人ごと)

先週 東広島の帰り広島で「うちなー屋」を営んでいる柴田のママ(年は昭和の生まれ、愚生と同年くらいか?)と一年ぶりに会った。広島駅で一緒に食事をして またの再会を誓いあう恒例の行事。愚生が広島でもっとも心解け合って話し合える友人であり、ご意見番でもある。

柴田のママは昨年のちょうど今頃 島根県弥栄村に行く途中に衝突事故にあい、車は大破したが奇跡的に助かった。いまでも後遺症があるという。その保障金を出す保険会社からFAXで保険額の明細書が何度も柴田宅に送信されたそうだ。
しかし FAXのシートのどこをみても「お体のご容態はどうですか?」などという気遣いの言葉文がない。そのことに腹がたち、人間としての肝心(ちむぐくる)がまったくない!怒りを抑えきらず、ママはそのままFAXシートを何度も相手に送り返したそうだ。

そう云えばある有名な○○社の要職であられる○○長が言っていたのを思い出す。今はFAXもメールでも挨拶言葉は入れなく用件のみで用事を済ませなさい。という部局長からの教えがあるという。


昨日 インパクト出版社から、昨年の慌しい年末にインタビューを受けた『音の力・沖縄アジア臨界編』430ページに及ぶ分厚い諸本が刊行され届いた。

仲宗根香織(コンクーリトと遺灰の島)
土井知義(基地・現代進行形)
東琢磨(山城知佳子 経験としてのパフォーマンス)
松本麻里(夢想の力技)



などなどのラインアップ

その本の中で愚生のインタビューの内容というのが  「天皇の古希祝出演を語る」ききて、西泉(沖縄大学教員)それに関連してお二人の先生方が僕の行為に対して論評をお書きになっている。


屋嘉比収(沖縄大学教員)は愚生が皇居で出演したことを「したたかさの希薄化」と題し、内在的に批判することが重要だと・・・
文の末に山之口獏の言葉を引き合いに「ウチナーグチマディン・ムルイクサニサッタルバスイ」(戦争で沖縄語までもやられたのか)
沖縄の芸能分野(鹿野政直)においても「島ウタまでぃん サッタルバスイ」と私は嘆かないといけなくなるのであろうか・・・

先生!それほどまでに島ウタは軟弱ではない。何百年経っても今尚全国の人々に息吹を与えている悠久なる島唄の「元気」「魂」を先生は知っているだろうか?視野があまりにも狭すぎる。

また平井玄(出版フリーター)にいたっては「大工さんへの手紙」と題して、大工さん お元気ですか?もうずい分会っていませんね・・・
自己の近況報告から始まり結局、天皇の前で島ウタを歌ったという批評である。本当に「大工さんへの手紙」だったら実際愚生に「手紙」出してくれたらどんなに嬉しかったことか。玄さんとは知ってる間柄なのに。勝手に諸本に愚生への手紙を出さないで欲しい!

二人の文章を読んで思うのは本当に愚生のインタビューを最後まで読んだのか?もう初めから 愚生の皇居出演を否定前提にテーマを絞って書いていらっしゃる。なるほど そうなると愚生のインタビューで二人が原稿書けたというなれば、愚生は二人に相当貢献しているのかなぁ~?!でも これって悪く言えば「人の褌で相撲を取る」と言うのではないか?

広島の柴田のママが言った話を思い出す。大工さん 最近(ちかぐる)や「書(しめー)知っち物(ものー)知らん」<学問は知っていても 物の道理を知らない>人(ちゅ)ぬウーク(多く)なとぉーん(なっている)どぉ~!と嘆いていた。

いま 全国で青少年や大人たちの凄惨な事件が毎日起きている。
無論 様々の政治問題も大事。先生方は天皇ウンヌンより今大事なことはもっとも身近な「物の道理・道徳」の教えが肝要だと思うのは言うまでなく柴田のママと同感である。


実際 天皇の古希祝に行く前から色んな波紋はあった、友人に相談し悩み、結局 自分で決め いわば自己責任でいったことは事実だ。そのことは今でも好判断だったと思っている。それを何で今更 ハメラレ愚生がインタビュー取材受けたのが愚かだったと反省している。
喩え皇居・天皇陛下の前で謡った八重山の歌が天皇の肝に届かなくたとしても恒久平和を祈った「とぅばらーま」の歌詞♪<国ぬ島々数ある歌し、心ゆ合しミルク世ゆ願ら>。は天には届いたと信じている。純粋に島ウタは「訴え」「祈り」と思うからである。

先月札幌でアイヌ2世モトイ君から貰ったアイヌ音楽のCD「INONOO」(祈り)をじっくり聴くことにしよう♪  
Posted by 大工哲弘 at 12:53