2007年04月30日

みゃ~ぐしく

小禄宮城(みゃ~ぐしく)自治会の役員新旧交会が29日ありました。

宮城を「みゃーぐしく」と呼ぶところがいい。

その宮城区の戦前は「三村踊り」にも出てくる

♪「小禄、豊見城、垣花三村、三村の姉小達が揃るとーてぃ布織い話 綾まみぐなよ、元かんじゅんど~」と歌われているように昔の小禄は紺絣織りとパナマ帽編みは盛んだったそうです。

♪「田畑豊かな宮城、人々の心ん悠々とぅ 黄金冬瓜ん成り実らしゃ」
詩にも歌われているようにキビ作やキャベツ、大根、ニンジン、冬瓜も作って潤っていたが、敗戦直後は、農耕地が米軍の立ち退けや接収により軍用地に取られたため、村民は他市町村や海外に移住地を求めた、小禄出身の海外移住者が多いのもそれ故。
1954年(昭和29年)9月1日には小禄村は首里と共に那覇市に合併。そして立派に栄えたとう歴史がある。


残念 ステージの写真が取れませんでした。

さて 役員の新旧交代式が終ると90分愚生のライブという段取り。
幕開けは昨年まで沖縄国際大学の琉球芸能研究会メンバーだった大濱暢明、大城智子さんに「うるずんぬ詩」「前ぬ浜」「与那国ぬ猫小」の踊り手伝ってもらった。ハツラツした若い踊りにお年寄りは大喜びでした。

出席者はほとんど年配の方がおおく、雰囲気にあわせライブは「籠の鳥」なども織り交ぜ座を華やかした。


ライブ後の交流会が、まだ沖縄本島にこんな風習が残っていたのかと思うほど役員や一般住民達も集まり。和気あいあいでのお座敷パーティ~
宮城自治会の子供会や住環境を立派に支えているのは隣近所隔たり無く大人達がこんな立派なコミュニティーがあるからだなぁ~ ホントニ羨ましい限りであった。ミャーグシクの皆さんお疲れさんでした!
そしてありがとうございました。


始まる前の豪華な弁当  
Posted by 大工哲弘 at 19:27

2007年04月27日

GWと4・28

4・28と書いて「ヨンテン・ニィハチ」と読める人は段々少なくなっている。

昭和26年(1951)サンフランシスコ講和条約(第2次世界大戦締結後)
アメリカ、イギリスなど連合国48ヵ国と日本が結んだ平和?条約がある。

だが しかし其の条約で琉球諸島、小笠原諸島が本土と分断され両諸島はアメリカの施政権下に置かれた。沖縄ではこの日を「屈辱の日」ととらえ1960年(昭和35)4月28日(ヨンテン・ニィハチ)または「沖縄デー」と呼ぶようになり本土で復帰協が結成され、沖縄返還・復帰運動が盛り上がり海上集会などの行動が世論を動かし17年間のアメリカ世に終止符を打ち「完全本土並み」をスローガンに1972年に沖縄が日本に復帰した歴史がある。因みに小笠原(1968年)奄美(1952)に復帰

沖縄は来月15日で復帰35年を迎える。基地問題は何一つ解決していない。基地がある故に起きるすべての事件事故に「完全本土並み」はほど遠い密約だとウチナーン人は、いまだ屈辱を受けている現状である。




全国に広がる米軍の基地問題・・・・
米軍再編ドキュメンタリー『基地はいらない、どこにも』のDVDが愚生の元に届いた。

『基地はどこにも、いらない』専用ブログ
http://kichidoko.exblog.jp/
企画・制作:野田 耕造
演 出 :小林アツシ
ラストシーンに愚生のオリジナル曲「命どぅ宝」が効果バックになっています。


先週、桜坂劇場で片桐直樹(監督)『戦争をしない国 日本』というドキュメンタリー映画も観た。すごく纏まって分かり易い映画で感動しました。
だが残念なことに愚生が劇場に行った日の観客はわずか10名程度。こんな素晴らしい映画を多くの人に観てもらいたかった。特にこれから日本を背負う若者達には必見の映画と思うのだが・・・

風化させてはいけないヨンテン・ニハチの明日から世はGWの幕開けである。
日本がang(ギャング)ar(戦争)をしない国、させない国に成るためにも
ナァ~メイメイ(一人一人)が考える時期が来ているように思う。  
Posted by 大工哲弘 at 11:42

2007年04月24日

シーミーの時季に

手前味噌で申し訳ないが・・・

愚生が指導している三線教室は全国(札幌、帯広、東京、岡山、東広島、福岡、日田市、大阪、名古屋)に三線の糸で繋がっている兄弟達が点在して居る。

全国で教師、指導、世話しているリーダー達が年に一度沖縄に集い、悩みや近況報告、これからネットのあり方などを話し合うリーダー会議が21日(会議・講演)22日(研修会と研鑽会)アルテ大ホールで開催された。議論が百出展開され、会議で纏まったキーワードは「コミュニケーション」と「情報交換」「工工四の整備と音源統一」などなどが確認されました。

今回は特別講演と題して新城亘氏(琉球音楽研究者、沖縄県立芸大大学院博士課程在学)を招いて『八重山民謡の伝播と変容と』と題して2時間も講演してもらった。


①沖縄の三線音楽の特徴
②先島(八重山、宮古島)の特徴
③音韻の変化
④沖縄のリズム
⑤八重山の歌から芝居音楽の発展
⑥類似曲のルーツは


興味ある内容に出席者は熱心に聞き入っていました。

講演後は一般会員も参加して大パーティを開催。余興も合唱、独唱、踊り、狂言ありと沖縄・八重山の歌・三線を通しお互いの更なる親睦と交流を図り賑々しく遅くまで楽しみました。
お陰で2日間に渡って開催された第3回リーダー会議は無事終了しました。


全国から多忙の中、参加されたリーダーの皆さん。お疲れさんでした!
そして 地元開催であるが故、マドンナ弟子たちが心を込めて作ってくれた料理は本当に美味しかったです。ありがとう!


いまの時季週末の沖縄はシーミー(清明祭)が各地で行なわれている。祖先を敬う崇拝精神の表れである。

全国で沖縄の島唄を勉強している会員は当然技術も大事だが、その沖縄の精神文化も学ぶ意味で島唄の聖地にシーミーの時季集う意義は大きいと思う。  
Posted by 大工哲弘 at 01:57

2007年04月18日

生活の柄ライブ

広島シリーズは一休み


高田渡が一昨年(2005)4月16日北海道釧路市の病院で死去して昨日は二回忌にあたり昨年に続き今年も4月16日の命日に「生活の柄」という居酒屋で、追悼ライブをさせていただきました。

那覇の「栄町」にある「生活の柄」は木造建ての民家を利用した雰囲気のある居酒屋ライブハウスである。客間とステージ(床の間)の堺がなく、淨いなく歌い聞ける空間がいい

八重山の歌を中心に歌い、ジンタも何曲か・・・アンコールはライブの趣意である高田渡の「生活の柄」を客と大合唱。それでも収まらないのでノンマイクで「とぅばらーま」を歌いライブを閉めた。
今回 初めてタイの打楽器(ジャンベに似た楽器)取り入れて自ら打ちながら歌って見たが、面白かった。客にもいい感触を得た?こらからライブに組み入れて見ようかな

来客くれた高田渡ファンの皆さん。ありがとうございました!
また来年高田渡を偲び「生活の柄」でお会いしましょう。


↑店長の好青年・モリゾウと(ロックミュージシャンでもある)
UPは昨年ライブの後に店の前で  
Posted by 大工哲弘 at 02:44

2007年04月15日

広島2

音戸町に行く前にどうしても訪れたいスポットがあった。

平成17年呉市に完成した大和ミュージアムである。

呉の町は「明治時代、海辺の一寒村だったが海軍鎮守府が置かれて栄え、時の戦争では焼け野原となり海軍工廠のあとに重厚長大産業が受け継ぎいまの繁栄の呉がある」と弟子の井口さんが説明してくれた


それを誇示するかのように大和ミュージアムは日本造船技術の粋を結集した実物の巨大潜水艦の陸上展示。館内では戦艦大和を始め数々の戦艦の資料、ゼロ戦闘機なども展示されてある。

帝国日本が誇った戦艦大和は「世界最大最強」と言われていたが、昭和20年4月7日アメリカ軍の激しい爆撃により東シナ海で撃沈され、乗員3,332名のうち、3、056名が灰色の海底に尊い命を大和と共にした凄愴なる事実は今でも語り草となっている。

ミュージアムを回っているとボランティアのおじさんが、親切に我々に声を掛け説明してくれた。「大和は呉海軍工廠(海軍直轄の工場)極秘裏で建造され、船内で使用されていた電化製品やグレーチングの技術はいまも世界各国で活かされている」などと日本最高の技術を自慢げに話してくれた。

戦艦大和は平和で世界を繋ぐはずの海に戦争のため容赦なく攻撃され沈んだ船の自慢話は聞きたくなかったが・・・戦後60年余 悲惨な戦争の教訓を活かし平和世を次世代へ伝えるためのミュージアムであって欲しいと10分の1の模型になった戦艦大和の勇姿を眺めながら願った。  
Posted by 大工哲弘 at 15:13

2007年04月09日

広島1

コンサートで行く先々・その土地の民謡を成る丈うたうようにしている。
何故なら民謡は歴史や風土・生活感が漂い、民衆の中から湧き出た血や魂が込められていて一番分かり易い資料となるからである。

また 愚生が下手な横付けでも大和歌を歌う精神は「ワームン ジョウトゥ、ヤームヌンジョウトゥ」(我々沖縄の歌も上等だけど、あなた方の民謡も上等だよ~)その交流心をもって歌うと相手も心を開いてくれる雰囲気があるから、その土地の民謡は上等と考え良く歌わせて貰っている。

しかし 残念だけど最近地元の民謡を歌ってもご当地歌を知らない地元の人が多く、やり難いところもある。大切な無形の財産は無用な長物か?なんかモッタイナイないような気がする

先月 東広島でコンサートを終え帰り道、広島を代表する名曲「音戸の船歌」の歌碑がある呉市に弟子の井口さんに連れて行ってもらった。
無伴奏で櫓櫂を漕ぎながら河をゆったり渡るようなしぐさで朗々と歌う「音戸の舟唄」は情緒があって大好きな歌の一つです。


ヤーレーナー
♪船頭可愛いや 音戸の瀬戸はよ 一丈五尺のヤーレー櫓はしわるよ
♪泣いてくれるな出船のときはよ 沖で櫓櫂のヤーレー手がしぶるよ
♪男伊達すりゃ 音戸の瀬戸のよ 潮の流れを ヤーレーナ止めて見しょよ
♪ここは音戸の瀬戸 清盛塚のよー 岩に渦潮ヤーレーナどんど当るよ

今は立派な大橋が架かっているが、昔は安芸郡音戸町(倉橋島)とその対岸呉市警固屋(けごや)間の水路は90メートル幅の主要航路の潮流は急だったので渡るのに困難とされていた。船頭さんの男粋や別れの辛さを歌った舟唄ではないかと歌詞から推測される。

音戸の瀬戸は平清盛が開削されたと伝えられ、現地に清盛資料館などもあったが、新幹線の出発時間が迫ったので次回ジックリ訪館し勉強させてもらう楽しみを残し音戸町を後にした。  
Posted by 大工哲弘 at 22:59

2007年04月04日

久しぶりの同窓会



11年前の話だが。96年3月から1ヶ月あまり南西アフリカツアー「ジャズピアノ+島唄」明田川庄之(ピアノ)佐山雅弘(ピアノ)愚生とツンダラーズ・屋嘉部充、山里ゆき、金城実(沖縄うた・三線)コンサートを企画プロデュースした澤井夫婦が久々に来沖。読谷村に立派な家を建てた平井さん(当時ツアーマネジャーだった)の家に新築祝いも兼ね昨夜は(2日)集合した。

平井さんの家は読谷残波ロイヤルホテルのちかくでロケーションもすばらく環境もいい。
オキナワ移住して夫婦でよくここまでがんばったね。
まずは新築おめでとう!


読谷の酒と奥さんの美味しい手料理を舌鼓しながら思い出話は弾む・・・・

アフリカ・ジンバブエに到着初日からトウモロコシ畠にいき、コンサート会場に行くバス賃が無いから聞けない農夫達に沖縄のうた・三線音楽の反応も試したく畠道ライブは初日から盛り上がり、凄いことになった。また アパルトヘイトのあったソエット地区に入り、子供達と一緒にライブとカチャーシーしたことや、セネガルからゴレ島(奴隷を集める小島)に渡り、金城実さんが徐に三線を取り「屋嘉節」を歌うと、通りすがりの現地の人が耳をすまして「ナイス・スピリチャ~ル!」といってくれた。沖縄の島歌の魂を分かってもらえた。ポスターのサブタイトルも「魂」だった。ツアーの答えが出たようでスタッフ一同みんな喜んだ。

沢山ハプニングもあったけど、機会があれば、
いつか紹介したいと思います。


また澤井さんがジンバブエ公演&ワークショップを共演した指琴(ンビーラ)ミュージシャンのムジュールさんが4年前亡くなられたと報告があった。

↑実際ムジュールさんから頂いた指琴

ムジュールさんと云えば公演前に子供が誕生して、嬉しさのあまりに会場に連れてきました。子の名前を我々と共演する記念にと「オ・キ・ナ・ワ」と命名したそうだ。「ムジュール・オキナワ」いい名前だね~! 「可愛い~!」の連発。みんなで交互に抱き合いました。

オキナワちゃん!もう大きくなっているでしょうね
ムジュールさんのご冥福をお祈りしたいと思います。


アフリカ南西ツアーは本当の意味で国際交流を果たし素晴らしいツアーであった。まだまだアフリカツアー同窓会の話はつきないが・・・
また機会があったら集まろうね  
Posted by 大工哲弘 at 02:08

2007年04月02日

十五日

今日から世では いつからそうなったのか?4月新年度がスタートした。

沖縄では今日の旧暦15日は伝統行事の「2月ウマチー」である。

「ウマチー」とは「おまつり」の意味で2月ウマチーは麦、穂の順調な実り祝豊作を祈願するまつり、ウマチーは年4回(旧暦の2月、3月、5月、6月)があり、いずれも人々の自然に対する畏敬の念が表れています。門中の本家や各家や各家庭で行なわれ麦穂と酒を仏壇・火の神などに供え豊かな実りを祈ります。(オキナワ・ダイアリー手帳より・東洋企画)

農作物の収穫を祈り、ご先祖様に感謝の意を捧げるという敬虔の祭りといえよう。

旧暦の十五日といえば 満月に地震が起きる。以前 そんなことをコラムで書いたことがあった。つい一週間前は能登半島で大きな地震があったばっかりで、旧暦の7夜であった。それが前触れかのように・・・・
今朝 TVを見ていると実際 南太平洋ソロモン諸島沖でM8、0もする横揺れの強い地震が発生したとニュースは報じた。

ソロモンを上空から見た(左)ホニアラの賑わう市場(左)慰霊塔(中央)コンサート(右)地元のゲストと共演。ソロモン島の椰子林

愚生も2002年ガダルカナル島・ホニアラ(首都)をコンサートで訪れたことがある。オーストラリアの北東、メラネシアにある美しい島々からなるソロモン諸島は周囲が椰子の木が林立していて、第二次世界大戦では日本軍も多く(約2万人)戦死(餓死)したところである。ですから毎年日本戦没者の墓参団が鎮魂の慰霊祭を行なうため訪れるという。平和で静かな美しい島々での災害は辛い。詳しい状況はわからないが。被害が少なく、被災者がないように願っている。

いつも そうだけど自然災害は弱者を襲っているような気がする。  
Posted by 大工哲弘 at 17:22